17.8.09

レイジーの後に

2007年ごろから、レイジーになっていて寝転び系のパフォが楽しかったけど、そろそろ、あきたのか、身体をいじめたくなってきた。健康具合は、変わらないけど、半身不随の父を見ていると、動けるうちに動いておこうと思った。
どこまで、行けるのかなと思ったりする。

こんなことが、アーティストとやらの、制作の動機になるなんて、イージーすぎるのかもしれない。
最近は、
もう、アーティストなんかではなくて、くだらないことを思いついていろいろやる人、でしかない気がして来た。
たとえば巡礼を、アートにしたいと思っている。
いっしょに苦労してもらう。
そんなのに、人はついて来ない。恐ろしく物好きな人だけか。
でも、そう思うからしょうがない。ちょっと、つまみ食いみたいに楽しむことは、できないようなやつ。

それでも、配置とか、構成とか、気にしてやっているなんて、皆さんにはわからないかもしれないなあ、と思う。しょうがないな。
人のやっていることに、文句つけたりする、立場じゃないだろうとか、思う。


「キング牧師とマルコムX」なんて本など、読んでいる。学ばなくてはならないことが多すぎて。このところ、勉強もしてなかったんだ。知らないことが多すぎて。

こちらから見るアーティストもいろんなアーティストを、あれこれこれ見るのではなくて、一人の作家をぐっと追ってみたい。退屈、マンネリ。カモン。そこまで来ると急に、ぐっと深くなる。人の行い、として見る。