31.1.11

チャートで価値を考えた

なぜだか、中国思想なんか勉強し始めてる。でも、なかなか、わからない。今はわからなくても、「入れ」なくてはとと思う。

さて、今日考えたことは、価値のトライアングル。人生の価値でもいいし、芸術の価値でもいい。図式(チャート)で考えてみた。「図式で考えた」というと、ネガティブに響くね。でも、そういうのが好きなもんで。

さて、平面図にすると、上が一番えらいみたいになっちゃうから、箇条書きにすると

  • 真実
  • 勢力
  • 快楽

頭の中では、このトライアングルがどちらが上とか左とか前とかなく、重力のない空間に浮かんでいる。
このトライアングルの中の、様々な位置に、それぞれの人の価値観の選択があるんだろう。
そして、私の場合「真実」と「勢力」に価値が偏りがちの位置になっている。「快楽」から遠いのが、問題。私は、美しいもの、楽しいものに対して、強い嗅覚があるわけではないと、常々思っている。好きだけど、ほどほどでも別にかまわない。残念だけど。芸術ってそれ以外にないでしょう!と思っている人には、わかりにくい奴なんだ。だけど、どうにもならない。充実感を何で得られるかということだからね。
絵を描いても、あるところから行けないのは、それ以上の「美」に入り込む気がないからだろう。でも、「真実」も大事な芸術の理想だからね。真実というか、リサーチみたいなことなんだ。希望、かもしれない。真実って、やばそうな言葉だから、あまり使いたくないが。


コメントにあるように「真善美」とこれは似てる。


29.1.11

されど五感、だけど五感

今回の経験で、人によって耳が相当違うということが痛いほどわかった。たとえば、音楽のイベントなら、ある程度、近い耳を持った人が集まるだろう。でも、パフォーマンスアートは、一応ビジュアルアートなので、そう言う意味では、ある程度近い「目」の持主が集まっている。しかし、「耳」の方は、非常にまちまちになるらしい。美術以外の趣味が合わないというか.....

で、五感について、あれこれ考えたけど、もちろん、思考がかなり大事ですよね、アートは。何を見せたいか。一番欠けていたのは、それでは? イベントの企画理由がわからなくて、一度断りました。でも、「声」でやろうと決めて、やることにしました。やってみたかった。他人のやりたいことを感じたり、受け取ったり、そして、まねるという愚かしさの可能性(学ぶということはまねるということからだから)、自分が空っぽの状態になること、について感じるのは楽しかったです。

でも、感覚について、もう少し。
きのう、あるイベント会場で、トークを聞きました。前から2番目の列に座って、話者から約3メートル。スクリーンから4メートル。うまい位置だと思ったら、イベント始まってすぐに、すごくでかい男が私の真ん前に座りました。右に少しずれないと、話者は見えないし、左側に行かないとスクリーンが見えない。目前30センチのところにある、男性の背中にすぐ目のピントがあってしまって、意識して、数メートル先に合わせるのは、大変です。なんだか、船酔いみたいになってしまった。ぐっすん。


じつのところは、いろんな感覚を混ぜて行うパフォーマンスアート。たぶん、思想は大事。私は、思想としてのシェア(リンク参照)を、理想に沿わない実際の苦しみを経験しながら、どうしたら可能かさぐっている。
だけど、五感に関する考えも、やっぱり面白いね。
3月のスペインでのパフォーマンスとワークショップ、それから、イスラエルのアーティストとの企画、そこを今、考えてます。



28.1.11

世間話

母が、高校の同級生たちと作っているミニコミは、年に2〜3回の頻度で編集されています。そして、次の号に、母は、インターネットに驚いたことを書くことにしたようです。インターネットの何に驚いたかと言うと、母の従兄弟である、海軍中佐のことが書かれている記事をみつけたから。その記事によると、母が小学生の時に聞いていた、その人の「最期」の様子が、半分は記憶通り、半分は違っていたようです。真偽はともかくとして、ともかくも、そんな、ずっと昔のことがインターネットで調べられることに母は驚きました。

なんでこの話から始めたのだろう。

私は、10年ちょっとパフォーマンスをやってきて、学ぼうと思って、ヨーロッパに頻繁にでかけてきました。そして、学んで、自分が体得した、ある種の「運び」方が、最近は古めかしくていやになってきました。このブログの背景になっている写真のパフォーマンスの時が、最後だったように思います。なんか、できそこないのエンゲキみたい。
結局、多くのパフォーマンスアートってそんな感じになっていると思う。コンセプトはまあまああるようなないようなで、動きがきれい、とか、段取りがきちんとしているとか。「芸」になっちゃってる。
そう言うレベルの近代的「芸」を学ぶ為に、パフォーマンスアートをやってきたわけではない。なにか、硬直して行くものを、拒否し続けるのが、パフォーマンスアートの芸だと思う。「うまいね」とか、そういうのを、量産してもしょうがないと思っている。

前回のシャトマルでの内田さんの組は、インストラクションはそのもの古風なものだったけど、彼らがわくわくしているのが伝わってくる鮮度のあるパフォーマンスで、私はとても楽しみました。実は、全部の中で一番、すっきりしていて、パフォーマンスらしかった。ところが、それをこき下ろす人は、少なくなかった。言う人は「暴走してる」「だらだらしてた」。わたしは、それを「大きなメリハリ」があったと言い換える。緩んだり、走ったり。

そして、人によっては、それは表現としてだめだと言う。やっぱり、いつも。こないだのボイスなら、音楽と捉える人には、聞くにたえない、だけの話になってしまう。場所とか状況のへんてこさがマイナス要因になるらしい。私は、フジエさんの音楽でも体操でも踊りでもなく、大きな大きなため息を時間かけて、様々な方法で吹き出しているいるようなボイスが、どこから見てもパフォーマンスアートに見えて、面白いとずっと思ってました。でも、ボイスは音楽家がたくさんいて、そちらがメジャーだから、厳しい道なんだね。でも、「音楽」になってしまっているボイスは、私はあまり面白くないんだ。結局、シューベルトのアリアと同じだから。ヨーロッパのパフォーマンスフェスには、時々、ボイスパフォーマーが参加していますが、どの人も、なにか、まとまっちゃって、小さく見える。

それにしても、銭湯で、「脱衣所」にいると「全く聞こえなかった」という人がいた。「女湯」の中に入ってきた人が何人かはいました。中に入るように、手招きしたので。椅子もないから、めんどくさくてまた出って行ったみたいです。それはいいとして、聞こえなかったこと、私が、1週間も後になって、誰かに聞くまで、誰一人として言わなかったということに今、驚く。終わって「残念!聞こえなかったよ」と言う人が誰もなく、ただただ、世間話で時間をつぶしていました。

*この投稿のあと、いただいたコメントやメールで、脱衣所で聞こえないということはなかったと、わかりました。そして、移動して聞く人も少なからずいた、ということがわかりました。確かに、脱衣所と中では音が違うことはわかってましたが、それはそれとして、聞けるのではないかと思っていましたから、良かったです。声を堪能するというコンセプトではないので。現代美術のインスタレーションを見る人は、あちこちから見ます。部分を見たり、全体を見たり。そういうことが、パフォーマンスアートには活かされてほしいので、落語を聞くようにじっとしているものでは、もうない。それを求める方達にお届けしたいです。どんなインスタレーションでも、わけわかんなかったという人は必ず多数いるので、それでひるむことはないと思います。ライブは、みんなを喜ばなければならないとは限りません。この辺をこらえないとショーイベントになっていってしまう。



かつてわたしは世間話ができなくて、OL生活がうまく送れなかったことを思い出しています。韓国語で「うまく」とは「音楽」のことです。

27.1.11

スケジュールアップデイト

http://hechimasoon.blogspot.com/p/2011.html

今年のスケジュールをアップデイトしました。外国のものは、もしかしたら、行けないのもあります。旅費をオーガナイザーが払ってくれることになっているのは行きます。さっき、マカオのフェスティバルからオファーが来た.........。

国内は、今月に飛び込んできた2つ以外は、今のところすべて、自分/自分たちの企画です。今後どうしようと考えている。
昨年、MedActionsに関わって以来、パブリックコンシャスなものに関心が高くなり、何かみつけたら、アプローチしたいと思っています。そのためには、勉強したり、実績を整理したりしなきゃね。

収入がなくなっているので、それをどうやってカバーするかは、目前の問題なんですがね。
それやこれやで、少々、乱暴な気持ちになっています。

24.1.11

デュオで学んだ事、反省など

今週は16日(日)、19日(水)、23日(日)とデュオでした。つきあっていただいたサエグサさんと冨士栄さんに感謝いたします。
これは、もともとシャトーマルゴーの企画で、1月16日のために、シャトマルメンバーで、相談して決めたお題(決めたのは11月中)です。そこではサエグサユキオさんにいっしょにやっていただきました。残りの2つは、1月になってから降ってわいたイベントで、せっかくだから、似た形式を続けてみようと思い、こんどは冨士栄秀也さんにつきあっていただきました。この2つの会場は、月の湯という護国寺の風呂屋と、埼玉県行田市のパン屋さん。

私がこれを通じてしようと思ったのは、「他人のしたいことに耳を傾ける」ということです。私は作品に限らず、いつも、どこでもかしこでも、私がしたいことを、自分で決めてぐいぐいやってしまいます。それで、抵抗されたり、無視されたり、回避されたりすることもあります。でも、案外、私の案が通ってしまうこともよくあって、なんか、いつでも一人でやっている気分になります。それで、少し、他人の考えに参加するようなことがしたいと思いました。作品でも。

結果から言うと、こちらから誘ったということもあり、彼らは受け身だったかなということ。受け身なのに、イニシアティブを握らされて、少し、困惑していたんではないかと思います。サエグサさんとは3回のミーティングをしてテキストを一緒に決めたので、割と、一緒に作った感じはあります。サエグサさんはパフォーマンスアーティストだけど、割と即興のことが多い。そこで、今回は作ってやりましょう、と声をかけました。表現についての意見を交わしたりもした。相談した結果、聖書を10分くらい、「銀河物理学入門」と「冠婚葬祭入門」とを5分ずつ、交互に読むことにしました。表現をしない、そして、座って読むということを決めたのはサエグサさんです。聖書に対して、仏教書を読むという選択肢も考えましたが、いいテキストがないので、二人で書店を歩き回って、残りの2冊を決めました。この3冊の組み合わせにこのパフォーマンスのハートがあると思います。イベント会場では、窓ギワで、後景に町の交差点が見えるところに座りました。ライトは一つだけつけて、静かな感じを演出しました。室内は暖房が入っていて、外は夜だし寒いので、曇りガラスになりました。雰囲気というものがあったらしいです。反省としては、私が、声の出し方を決めることができなかったということ。楽しいときはたのしく地味な文では地味に読むだけ。これで良かったか。これが心残りです。さらに、テキストは開いたページから、直観で好きなものを選びましたが、その選び方の相談はなく、流れにまかせていたのでこれでいいのか、よくわからなかった。曖昧な部分は、それぞれがそれぞれの判断で埋めるわけなのですが、ここのところが、どうも互いに、もやっとしていたように思います。


冨士栄さんとはなんの相談もせずに行いました。冨士栄さんはボイスパフォーマーです。しかも、即興専門です。いつも、楽しそうに声を出しています。そこで、文字通り彼のすることに「耳を傾け」ました。そして、彼は私のコンセプトにはいっさい関心がありません。彼が彼の即興ボイスパフォーマンスを行い、私がそれを同時にまねる。19日の月の湯では、私が女湯にいて彼は男湯。これは「なぜ私はここにいてあそこではないのか」という有名なアイデンティティについての言葉をイメージしました。お互いは見ることができません。私たちの立場の違いはそれだけではありません。彼は声を出すと、まるでオートマティカルに私の声(へたな)がかぶり、それは彼にはコントロールできません。かぶっている感じを、変えることはできるそうです。でも私をやめさえられない。やめさせるために、彼がやめるということはできる。一方、私は、いつでもやめることはできるし、変えることもできるという立場でした。彼の声を聞きながら、自分の声を決めました。23日パン屋では、ふたりは同じ空間にいて、結構近くでいっしょのアクションをとっていましたが、私たちは決して「ツインスターズ」ではなくて、「パーマンと似てないコピーロボット」の関係です。一見仲良さそうに見えたかもしれませんね。勝手な行動もとるコピーロボット。先にやっちゃうこともありました。だんだん予測がつくから。さて、お客さんにはどう映ったでしょうか。私がどのくらい下手なボイスだったのか、私にはわかりません。案外、様になってたんではないかと思います(笑)。私がもしかして、今後うまくなり、いわゆるかけあいボイスパフォーマンスになってしまったら、ほとんど意味はないので、もうやめます。


学ぶところもたくさんあったけど、作品としてはどちらもいまいちだったかも。ごめんなさいね。お客に私がいれば、いろいろと分析してみたりすると思うのだが、身体はひとつ。あっちにはいけない。

それから、他人との協力方法については、また、さらに経験していきたいと思います。表現でも、生活でも。

22.1.11

「パン屋20110123」に参加します 

日曜、水曜とデュオが続きました。
そして、
急遽、今度の日曜、行田の野本さん(シャトマル2に出てもらいました)の企画イベントに出る事になりました。それで、
もう一度、フジエさんとデュオしてみます。

行田は遠いですが、良かったら遊びに来てください。
野本さんありがとうございます。
2回のデュオのリフレクションを書こうと思っていましたが、次回にします。


ちょっと書けば........水曜に、月の湯でしたのは、男湯でやってるフジエさんのネイキッドボイス(ちゃんとした)を、私が女湯の方から、終始マネるという方法でした。ぶっつけ本番でだったので、ひたすら、真剣でした、私。でも、それはお客さんにはどうだろう? 心配でした。私はボイスパフォーマーではないですから、インチキボイスです。猫が自分を人間かと勘違いして、食卓に参加している感じ。あるいは、猫がないているのをマネしている人間みたいな感じ。こんなことでいいのだろうか。でも、面白いと言ってもらえたので、もう一回やってみます。
関係ないけど、「ネイキッド」も「富士」という名前も、お風呂にはすごく相応しかったね。
パン屋ではどうしようかな。パン屋とフジエさん。フジパン? 


とにかく、また、今度は、もう一度、フジエさんにお出まし願って、さらに、ちょっと私は何か無謀なことをしようかと思っている。他の人には、判らない程度かもしれないけど。あ、会場や主催者に迷惑のかかる系統の「無謀」ではなくて、言ってみれば、「パフォーマンスアート」や「芸」ということに対して。いや、むしろ、「自分」に対して。

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 パン屋20110123

 □日時:1月23日(日)18時頃~21時半頃まで(途中入退場自由)※この時間外に行われる企画もあります。

 □会場:翠玉堂(〒361-0073行田市行田5-7 ℡048-556-2640)

 □アクセス:●お車でお越しの際は、駐車場所を案内しますので下記連絡先にご連絡ください。●秩父鉄道「行田市駅」南口から徒歩5分。南口から国道125号まで直進、埼玉りそなのある交差点を左折、次の信号の手前左手。●JR高崎線「吹上駅」北口からバス「行田車庫」行きまたは「行田工業団地」行きで約15分、バス停「 行田本町」で下車、バスの進行方向に道なりに20mほど歩いて左手。(バス運賃230円)

 □入場:無料(代わりに翠玉堂のパンを買って頂けると大変ありがたいです◎)

 □参加者※急遽参加できなくなる場合もあります
 ・サトウイオリ/何か
 ・君嶋桂吉/何か
 ・小鮒正博/何か
 他、数名

 □お問い合わせ:(野本)090-7814-9615
 EMAIL shoheinomoto@yahoo.co.jp

 □WEBSITE
 http://bakery.web.infoseek.co.jp/