30.4.08

コンテクスチュル・アート宣言

ワルシャワの展覧会のテーマはコンテクスチュアル。以下はそのキュレーター、ヤン・スヴィ人スキーが1976年に書いたテキスト。フランス語の出来る人に訳してもらった(フランス語で書かれていたのだ)。このところの、ディレクターとのやりとりで、それは、お飾りではないらしいことがわかる。テーマなんてお飾りなこと、多いですからね。
わかりにくいけど、面白い。


コンテクスチュエル・アート宣言
  (宣言文 1976年)

written by Jan Swidzinski




コンテクスチュエル・アートは
その場の現実とかかわりながら、意味作用としての文明に働きかける領域で
実践するものである。

コンテクスチュエル・アートは
美学の領域を侵すものではない。

コンテクスチュエル・アートは
偶発的な言表(エノンセ)に働きかける。
すなわち、これらの言表は伝統的な芸術に組みするものではなく、
かといって、コンセプチュアリズムの延長となる言表でもない。

コンテクスチュエル・アートは
美学的追求から生まれた孤立したオブジェにみられるような
現実拒否に異をとなえる。

コンテクスチュエル・アートは
科学認識論の範疇にある。
したがって、次のような言表にかかわるものである:
わたしは認識する、わたしは知る、わたしは信じる、わたしは仮定する、
わたしは反省する、わたしは理解する、わたしは許さない、わたしは許す。
それは文明構造の深部にかかわるが、その深部のレベルとは
社会(近隣社会proxisocial)、科学、文化、芸術を決定する
イデオロギーと神話を生み出すところである。

コンテクスチュエル・アートは
本物とか偽物といった基準をもつ形式論理学の領域の外にある。

コンテクスチュエル・アートは
交感するはずの現実に足場を失った意味作用(signification)の
たえまない崩壊過程に向き合い、
新しい活気にみちた意味作用の場をつくり出そうとするものである。

コンテクスチュエル・アートは
したがって、意図する状況や目的により、有効なメディアを通して偶然に
つくりだす形態学によって生み出されるものである。

コンテクスチュエル・アートは
意図的な言表となるシーニュ(記号)、つまり現実の情報、現実に向かって開かれた新
しい意味作用である記号によって生み出されるものである。

コンテクスチュエル・アートは
社会に身近なものである。
それは一般的な秩序による物事や既製品にかかわるものではない。

コンテクスチュエル・アートは
「主観」「客観」といった対立には反対である。
たえまない変化の途上で、対象から活動する主体を切り離したり、
ある行動の結果から出てくる二次的なものを切り離すことは不可能であるからだ。

コンテクスチュエル・アートは
科学として問題解決をさぐるものではない、というのも科学技術は、今日の文明に
起きている変化のリズムに直面しながら、同様の難事に混乱しているからだ。

コンテクスチュエル・アートは
ネガ(クリシェ)の純粋で洗練された記号のひとつである;
つまり、動く現実を満たす記号のひとつである。

コンテクスチュエル・アートは
主張によって生み出すものだ。

コンテクスチュエル・アートは
形式的な公理の領域とはちがい、変化する現実を定着させようとして、活動停止に向
かうたえまない規範の世界で効力を発揮する。

コンテクスチュエル・アートは
比較主義に反対であるように、あいまいさに反対する。
正確で実用的なコンテクストのなかでは、
真実であるひとつの表現、唯一のものがある。
このような表現は確固として公正な言表である。

       ヤン・スヴィジンスキー、1976年