20.10.08

日本庭園で寝る

ボストン美術館のアートスクールへ行き、Missing in Yokohamaと、Best Place to sleepと、come with meを話す。
そして、come with meをボストン美術館内で、行う予定。ゲリラなので怒られるかも。一緒に行うのは、美術館のアートスクールの生徒たちなので、いやがるかな。天心記念日本庭園や、日本美術のたくさんある部屋でやりたい。























トロントでは、太陽からの風というのをやる。植物園か、または花屋での長時間パフォーマンスと、室内でのイベントのセット。どれも、荷物がほとんどないので、
今スーツケースを詰めているのに、がらがらだ。

ということで、明日から11月3日まで留守にします。ブログもたぶん書きません。たぶんね。

19.10.08

ボストンへ出航です

ボストンへ出航です。
もう戻らないかもしれませんね、ヨコハマには。失踪します。

今日参加してくれた人たちには、感謝です。搬出まで手伝ってくれました。
パフォーマンスは、見たい人だけ見ればいいと思っています。それは何でも同じで、うどんぎらいは、そばを食べればいいだけのこと。
そばぎらいは、スパゲティを食べれば良い。わざわざ、スパゲティ屋に来て、麺類だったら、うどんでしょやはり、と言わなくても良いのです。

結構、今回は決心がつきました。いい友達もできました。
迷っていると、いい友達もできない。これが、この数年でした。
今回は、ひとりならず、ふたり、さんにん、よにん、ときちんと話せる友達ができた。それが、良かったです。

16.10.08

出航とボストン

12日のオープニングから翌日のトークまでの間、プロジェクターの準備で、血相を変えていたので、きちんと報告できなかったが、
展示会場、庭の東屋にての「ひつじ」によるパフォーマンス、多くの、ひつじの仲間達に見守られて、出航式が、劇的に行われました。どこへ行くのでしょう。様々な危険要素を抱えて。
でも、出航せざるを得ないよね。

わたしは、来週、火曜に渡米。ボストンへ行きます。ボストン美術館のアートスクールで、アーティストトークというのを、行う。
13日のトークでも、まず話題になった、岡倉天心が長い事努めていた、美術館で、天心を記念した日本庭園もある。
わたしは、作品Missing in Yokohamaを語る予定だけど、ここには、深い因縁の、ボストンの要素が、加わってくる。
モダン日本美術を、ある種の危機感から、「作り上げて」海外に紹介し、その目的は、「日本は野蛮な国ではない」と知らせる目的が、彼にはあった。そして、我が国は、日露戦争を応援してもらったのである。もちろん、アメリカは、アジアで覇権を持ちたかったからなのだけど。
その辺を取材する目的もあり、ボストンからの招聘は、時を得たりで、でかける、私。ただ、滞在日程が短すぎるのが、残念。
そのあと、トロント。ここも、港町だ。

羊の出航式が、わたしの出航式なのだ、と勝手に思っている。

で、..................ヨコハマには、もう戻らぬとかね。

14.10.08

きのうのトーク

きのうは、トークイベント。出だしの人数が少なかったので、ちょっとやばいと思ったが、少しずつ増えて、場所はいっぱいになってきた。
トークの内容も濃く、一見、距離のありそうなふたりのゲストだったのだけど、クレオールという言葉で、リンクできてよかった。わたしのプランのアイデアは、どうしてもよくわからないという人たちがいるのだけれど、さすがのおふたりでした。お客さんを含めたディスカッションでは、さらに発展。日本の美術の近代というあり方には、純粋化と美がむすびついている。それが武士道といったようなやせ我慢(つまりは国民皆兵隊)を国民全員の思想つまりは美意識にさせられた、なってしまったかもという展開。寄せ集めの文化のくせに、純粋化を志向するのは、余裕がないのでしょう。ばらばらの人々とまとめる必要に迫られて来た。西洋的視線を取り入れて、創られた伝統絵画をよそおった「日本画」という、あいまいなジャンル。フランス画やアメリカ画、ベトナム画やシンガポール画がないことを思えば、確かに、不自然。そういえば、ラフカディオハーンの書いたものは、日本文学?
違和感のあるものを、面白いと思うセンスを大事にしたい。それができないのは、余裕のない文化、感性。

観客参加のディスカッションの間、最も気をつけたのは、文化混交やぶつかりの愚痴のようなものを、出し合うだけにならないように、ということ。そうなりかけた場合、どう調整するのか。苦肉の作で切り抜けた。
ゲストのおふたりが、創造するということに前向きな方たちで良かった。司会のアライさんが、きちんと用語解説や、段取りをしてくれました。
内容が硬めという意見もあったけど、わたしの、持ち味なので、それは今後も、変えるつもりはありません。発散型のアートではないんだろうな。

また、思ったことは、文化は政治の影響下にあるし、様々な不幸ともかかわっているけれど、生まれてきたことの中の面白さに、目をむけたい。政治に利用されてはならないということでしょう。
許容力と言う言葉も、佐川さんから聞いて興味深く思いました。


もうひとつ、あとで友達からの電話で言ってもらって面白かったのは、人生も文化もアートも、重くて、軽くて、重くて、軽いのです。重いものを、重く描くのは、わたしのやり方ではないし、わたしの興味のある方法ではない。たとえば、フルクサスの多くのアーティストはは、思想家だったり、重い背景を持っていた。だからこそ、ナンセンスを愛したということは、忘れてはならんと思うのでありました。

ナンセンスを楽しむのは、ただの、怠け者には、権利がない、と言っておきたいです。

13.10.08

まだ続きます

レセプションパーティ、来てくださった方、ありがとうございました。
いい時間でした。
まだ、イベントは続きます。

よろしくお願いします。

12.10.08

ミウラ

うちのおかーさんは、ずっと前から、ロスギワク事件が好きである。彼にけっこう惚れている。
まじめで、陽気で、人の良い父と結婚しておきながら、悪人が好きとは、まったく、不真面目なことである。まじめなわたしには、わからない話。でも、今回の自殺で、彼女はとても感動しているのを感じ、わたしも感動する。涙が出る。

人の愛を裏切る人なんて、わたしは、許せない。けど、わたしの母がこういう人にあこがれる、ということを、感じる。
人生は、かくのごとくありたいという、思いが、世界には、確実にある。
他人の不幸の上に、自分の欲望を、まんまと手に入れるというずばぬけた能力に、尊敬をいだく?

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人のこころの、しあわせ感覚は、どこにあるのか、わからんね。
バッハの曲に「人の望みの幸せよ」というのがある。大学の卒業式の時に、かかっていて驚いた。好きな曲だけど、大学の卒業式には、どうかと思った。宗教ががってる。

今日は、おかーさんが、同窓会にでかけたので、父と私はふたりで昼はうどんを食べた。まじめで陽気なことが取り柄な父が、母の人生を守っている。でも、母は、不良にあこがれる。

この理不尽さが世界。

10.10.08

ジョジマ状態

ジョジマ状態とは、ジョージ・マチューナス状態ということ。

企画して、隅から隅まで、心配して、印刷物の手配をしたり、自分で作って、カッターでこまめに切ったり。お金を入れる箱、テープ、ホッチキス、セロテープ、ひも、なんだってやるぞ。
頑固でゆずらないから、「まったくジョージは」なんて言われる。でも、そうでなくては。
早死にすれば、うかばれるかな。
ジョージのように、ユニークでなくては。世界を敵に回すくらいでなくては。

彼が、長生きしたらどうなっていたんだろうかと、意味もない妄想。
サイトウタカコさんは、ジョージの信念を通したけど、多くの人は、時代とともに、ビッグだったり、ブルジョアな活動をするようになった。ジョージがエスタブリッシュされるなんて、想像できない。
むしろ、デュシャンみたいになるのかな。
こんな時代を生きる、ジョージを考えたくない。

でも、わたしはこの時代を生きる。

なんで、だろう、ってことばかり。

9.10.08

プレ展「響き合う始まり」響き合ってます。

港町往来ワンダララ計画プレ

[会期] 2008年10月7日|火| → 10月19日|日| 13:00-20:00
[会場] ザイムカフェアネックス
神奈川県横浜市中区石川町1丁目51 045-308-8481
アクセス : 根岸線JR「石川町」下車5分 (JR横浜駅より乗り換えて3駅目)
[企画] 港町往来プロジェクト実行委員会(山岡佐紀子、アライ=ヒロユキ、丹羽良徳、後藤天)
[主催] ザイムカフェアネックス

お近くの方は、12日18:00パーティに遊びにきてくださいね。
その日、14:00からのぎすみこさんのパフォです。インスタレーションの中で行います。

イベントは、13日にトーク
18.19日にワークショップ
1回1500円、2回2500円、3回も2500円


<展示作品>
アーティストの国際ネットワーク組(今回はビジュアルポエトリーを紹介。足立智美さんがキュレーター)
パフォーマティブ組(場所の政治性、空間の歴史と推移を意識したパフォーマンス系。山岡キュレーター)
ハイブリット組(今回は在日韓国/朝鮮アーティストを招待。アライ=ヒロユキさんがキュレーター)

ギャラリーカフェの雰囲気もいい感じ。くつろぎ空間(気持ちのいいソファがたくさん)なので、ゆっくりどうぞ。と言っても、御茶が出ないカフェですみません。

海外アーティストは、みな、写真のドキュメンテーションですが、それぞれ、場所の政治性、経済問題をテーマにしたプロジェクト型やデュレーション型の作品の記録。ロディ・ハンターは「港の貿易の歴史」をテーマにした作品のプランともいえるプレゼンテーション。

トイレは、楽しい「レスト」ルームになっています。「寝ている」人ばかり。魔女パフォーマー、アディーナ・バロンが、イスラエルの国旗模様のふとんにかぶって、ショッピングセンターの柱の上に寝ている写真。背景にはマクドナルド。そこで、彼女は目をつぶって寝たまま、彼女の独特の声で、歌と叫びを、行ったと聞いております。あまり、休まらない「レスト」ルームです。わたしもちょと寝ています。
トイレの入り口にも注意。足もとに、丹羽君のビデオが。ちょっと隠れたすみっこが、好きな人が多いのですよ。

わたしの新作、御高覧いただければと思います。「Missing in Yokohama」 インスタレーションバージョンです。矛盾した記憶の断片を、インターテキスト的(?)に配置した苦心作。1980年代に、横浜からワルシャワに逃亡した、ある親子の話の、背景が、だんだん、明らかになってきます。

庭の東屋の、のぎすみこさんの作品も新作。港を意識して、作ってくれました。テントの刺繍がとてもかわいいです。風ではためくテントは、出航する船のマストのよう。

在日のふたりのアーティストは、わたしはこれまで知らないふたりでしたが、若いのに、なかなかすばらしいです。ペスノッさんと、オムチュスさん。見せ方がうまい。場の空気を作っています。在日のアーティストたちによるアルンアートネットワークというのが、あるそうです。

足立智美さんのキュレーションしたビジュアルポエトリーの部屋は、ソファに座ってゆっくり、ジュリアン・ブレインや松井茂さんのビジュアル本を楽しんでいただきたい。

場所性にフォーカスしたイベントコンセプトが、アイデアに賛同してくださっているアーティストの皆さんのおかげで、だんだん、醸成されていくのを感じています。

8.10.08

展覧会今日初日

この一週間は、寝る間も惜しみ、この2週間は常に、こればかり、この3週間も、こればかり、でした。
きのう、展示を終えてほっとする。この一週間は、身体トレーニングも休まないと間に合わない感じだったので、それを休み、案の定、大変な肩こり、あくびをするのも、至難の技。寝ている時間以外は時計との格闘だった。もう少し、他人に仕事を分配することを考えないと、来年まで、もたない。だけど、儲からない仕事なんてする人は、アーティストしか、世の中にはいないのである。

あした、会場に行きます。参加してくださった皆さんの作品については、あしたレポートしますね。なにせ、きのうは夜遅く終わったので、冷静に見ていない。昼間に見たい。

今日は、日曜にしょうとずっと楽しみにしていたのに、あっと言う間だった。


目でみる力には、言葉では言えない、感性がある。それは、きれいとか、すてきとか、それだけでない。物事の配置ということ、意味の関係性の距離ということがある。
そこに、私は、テキストという、目でみて、さらに読むというものを加えた。記憶の断片、歴史の断片。関係性があいまいで、かつ、矛盾しているテキストの群れ。しかし、関連性もある。イメージの断片。そうしたものを、目にして、言葉を集めて物語の部分部分をつなぎつつ、どういうことを、見る側が感じるか。違って来る。計算づくでない、イメージの出会い、テキストの出会い。たまたま隣り合わせたために起こってくる関係とか。

そういうことを、工夫して遊ぶのは、楽しい。

今日も母とテレビ番組を見ていて、いかに違う所を見ているのだかと不思議に思った。彼女は、与えられたキャラクターで、犯人は誰かと読もうとする。わたしは、論理的にどうなるかで、読もうとする。ドラマの制作者が、視聴者の気分にめくらましをかけようとしている魂胆は、わたしはすぐわかった。だいたい、つくりはどれも似ているし。ということで、TVドラマではわたしの当たりであったけれど、実世界では、どうかな。わたしは、論理優先で、人間性を時々、無視するので、誤解することが多い。こういう自分を克服するためには、論理でも、人情でもない、他の、物事の脈絡を読み取る力が必要だ。

5.10.08

あした搬入

あした搬入。
えっ、とか、何だってっ、ということがあっても、いちいち、あわてることはなくなったが、それは見た目だけで、ハートの中では、ど〜〜んという感じになる。だが、助けてくれる人も少なくなる年頃なので、せめて、「それは困ったね。」と同情のレアクションをしてくれる人が、いてくれるだけで助かる。ありがとうね。

万全の用意かどうか、まだわからない。企画上なくてはならないものをチェックしたら、自分の作品をよくしらべて、スーツケースに入れることにしよう。

友達が、車で運んであげようと言ってくれた。本当にありがたい。実は、ひとりでは、どうなったかわからないくらいの荷物がある。

展覧会、イベント来てください。


ヨコハマの山はけわしいぞ。荷物を持って、坂をどうあがるか。

1.10.08

豊田

きのう、豊田市まで行って、「不協和音 6人」を見たし、パフォの手伝いをしてきた。

豊田市美術館の、お金持ちぶりにも、展覧会の内容の濃さにも、驚いた。聞く所によると、美術館の予算の半分は、TOYOTAが出しているんだそうだ。でも、お金だけでなくて、丁寧さにも、感心しました。
高級そうなレストランには、おそれをなしたが。でも、ランチ1000円はお得です。

6人のうち、4人はフルクサスのアーティストで、「生活の中のアート」を目指しているけれど、これほど、現代において、フルクサスの価値が上がってしまうと(国内ではぴんと来ない人が多いと思うが)、やっぱり、イクスペンシブアーティストだ。小野洋子さんは、ともかく、たぶん、最も、庶民視線の斉藤陽子さんの展示こそが、もしや、一番、お金も手間ヒマもかかったかも。少なくとも、手間ヒマはかかっている。税関で、検疫も大変だったそうだ。テマヒマが、かかるというのは、わたしたちのイベントと違って、職員の給料やアーティストのギャラや滞在費や旅費として反映される。

それから、気がついたのは、何と言っても、サイトウさんとオノさんの、キャラクターの大違い。サイトウタカコさんのあふれんばかりの、「楽しむこと」に重点をおいた自由さ、むしろ、童心に帰ってと言う感じの作品の、真反対の場所に、オノヨーコさんの作品、血の付いた丸眼鏡がぽつんとあり、そのミニマルな強さに、はっとするとともに、他人への厳しさも感じた。世界を甘く見るなよ、というメッセージが濃厚である。何もかも、もう間にあわないという絶望もある。死という......。

一方、オノさんには、モダンアートの世界の技法への信頼もある。だって、そんなもの(血のついた丸めがね)がアートと言えるためには、ものが、何かを表象するというシステムを運用しなくてはならいでしょう。タイトルは「家族のアルバム」。人は、それに彼女の家族であるジョンを連想する。サイトウさんは、モダンアートのシステムには、まったく頼らない。自分の手仕事しか信用しない。自分の手以上のことは信じない。だから、展示も自分でする。サイトウさんが、父権的な家族という関係(世界のシステムのもっとも象徴的なものでもある)を徹底的に切って、ひとりで生きているという現実の、厳しさをそこに見る。そうやって、彼女は鍛えて来た。よりラディカルなフェミニストは、彼女かもよ。

企画者は、イタリアのムディマファンデーションというところ。フルクサスと具体の研究がテーマのひとつらしい。いわゆる助成をするファンデーションではなくて、企画研究する機関。コレクションだけでなく、普及活動がなのだそうです。特に、フルクサス、ジョージ・マチューナスを一番に見いだしたのが、ここのファンデーションのボス。アメリカ人ではなくて、イタリア人が一番に見いだしたんだったのね。具体も、認められたのは、あっちの方だったね。

自分の立場も顧みずに、こういうところへ行くのが、好きな、さきこであった。アートは権威主義だと思う、本来。だからこそ、反権力という、もうひとつの権力も、アートにあるのだと思う。権威づけとガス抜き装置として、自由民主主義国家のブンカ政策には、両方ともが必要なのです。きっと。