27.2.10

梅は咲いたか桜はまだかいな

今日は、確定申告を史上最短の時間で書けた。うれしい。

あした四十九日。(七七日と書くのが正しいのかな)
お供えに、エビスビールと柿とはっさくとシュークリームとミルクチョコレート。トンカツが好物だったけど、お供えにはちょっと。夜に食べるか?

ご本尊として描いた絵を添付します。あした、魂入れです。でも、季節ごとに替えたら?と家族は言っております。
因に、戒名も父の自家製。5年くらい前に作りました。9文字のって、お寺に作ってもらうととても高いそうです。友達の友達にお坊さんがいて「戒名を自家製するってどうでしょう?」と聞いたらみたら、怒り出してしまいました。でも、ご本尊は、仏壇屋さんに聞いてところ、自家製でもいいのですって、言ってました。魂入れにかかる費用は、戒名にかかる費用とくらべたら、ずっとリーズナブルで、わたしのパフォーマンスの海外でのギャラの竹コースくらいだから、納得できました。今回のお坊さんは、市内の「大連寺」というところの副住職さんです。霊園の係の人が「副住職さんでも、ちゃんと、お経を読めますから、安心してくださいね」と言っていました。いろいろじゃな〜。今後、どのお経を読めばいいか、聞いておいて、わたしが読むつもりにしています(高校が浄土真宗系だったので、お経は読み慣れてます)。

戒名は川柳。本尊は絵画。お経はパフォーマンス。なんだ、うちでやれちゃうんじゃん。後は、仏壇をつくったり、お墓を作ってくれる彫刻家がいればよいです。お墓の表面の図柄のデザインはわたしがしました。あした、写真とってこ。


ではここで、記念に父の名句をひとつ。



湧き水のゆらぎは神の囁きか


25.2.10

都内の場所

数日ぶりに、へちまそブログにだけの日記。mixiからも来ない。

ここでは、ぼそぼそとしよう。

父の闘病1年が終わり、父がいなくなって、日常が戻ってみたら、日常が変わっていた。

中学生の甥が、高校受験の神様として父にお祈りして、合格したそうです。まだ、四十九日も来ておらず、成仏前なんですけどね。
今度の日曜がその法事です。

パフォーマンスを春までに屋外でしたいです。(このくそ寒いうちに)
チェスの駒を使った1時間から2時間の長めのパフォーマンス。今のイメージでは、寺や神社の入り口を入ったあたりとか、その脇とか。もしかして、能舞台上とか。
少し、歩いて探してみましょうか。都内の、ちょっと、忘れがちな場所で。広すぎず、風のないところ。川で言えば、瀬ではなくて、淵みたいな所。静かな場所。パフォーマンスを見ようかな、と思ってくださる方が、そこなら、行ってみたし、と思うような所。芽吹き始めた、木々なども、眺めることもできるような場所。

タイトルをやっと決めました。Blind Gameです。

おすすめが、あったら、教えてください。


22.2.10

Art iTのブログとリンクしました。

グーグルブログとリンクしました


上の色の違う字をクリックしていただくとArt Itのあたしのブログのページに行けます。たぶん、会員になってなくても、見られるんではないかな。ちょいとわからん。アクセスが増えれば、Art Itが儲かるシステムなんでありましょう(笑)。でも、アクセス件数がわかるし、mixiより公共性があるのでいいみたい。「アートに関心のある人々一般」に開かれている。しかも、現代美術系。

最近、「リンク」にはまっている私です。やりすぎになるかもしれない.........

今後は、Art Itに書くたびに、こちらのページにリンクが表れます。といっても、Twitterみたいに、その文章そのものが出てきたりはしないのね。それから、Art Itの方のブログには、こちらのは表れないみたいです。

どう書き分けたらいいのか、わからないので、Art Itの方は、ずっとほったらかしていました。リンクの可能性を思いついて、久しぶりにアクセスしてみた、というわけ。あちらには、美術展やArt It内のインタビュウなどの、感想を書こうかな。

こんなことしていて、何かになるのか、ただの時間つぶしなのか、不明であるが、やってみよう。
まあ、そういう暇があればの話ですけど。

(因に、mixiとはつながってます、ずっと前から。あっちから、こっちへ来れる)



21.2.10

魂と犬

Twitterをこのブログにリンクしました。 英語で書いている理由は、Facebookとリンクしているからです。Facebookの友達の95パーセントまでが、外国人だから。
ところで、あまりに簡単にリンクできて、怖かったです。これまでの私の感覚だと、リンクのためには、どちらかに、どちらかのURLを入力しなくてはならなかった。ところが、Twitterの設定の中で、ブログにリンクを貼る、というページに行ったとたん、もうすでに、こちらの素性がバレている。というか、もう準備オーライだったわけ。Googleのブログを使っていることを知っていて(つまりGメールアドレスを持っている)、Googleマークをクリックするだけになっているのだ。つまり、わたしのアドレスは、もうわたしの「顔」そのものになっていて、出歩いているので、「あなたのことは、存じ上げていますよ」というわけ。
セカンドライフというのがあったが(今もあるのね、きっと)、そんなところのサイトに入らなくても、もうすでに、セカンドライフになっているのを感じました。つまり、このインターフェイスのこちら側の心の動きに関係なく、ネット上でわたしが表した「表情」がそのパーソナリティとなって、勝手に生きている、そういう感じ。

今日は、そのtwitterに書いたとおり、うちの仏壇のご本尊を描いている。それに、来週、お坊さんが、魂入れのパフォーマンスをするので。絵は、パソコンで描いているの?と時々聞かれる。まさか。えんぴつで描いて、和紙か水彩紙を焦がします。お坊さんのパフォーマンスは、勿論、お経。人間のパフォが一番、かっこいいのだ。


なかなか辛そうなlifeの犬。台湾の海の近くの町で。

20.2.10

日常と内側

去年の7月に入ったまま、ほったらかしていたtwitterを思い出して、書き込んでみた。それから、それを、FacebookとLinkedInに、リンク。「友人の意外な日常を知ることができます」ということらしい。知らないうちに、意外な人が、わたしをフォローしているのに、気がついた。(フォローと言うからには、これは散歩のようなものらしい)これから、何が生まれるのか、もう少し、他人をフォローしてみないとわからない。でも、暇ではないとやれないんとちゃう?

10年前に出版された「情報デザイン学」といった本を、最近目を通して、とても楽しかった。10年前のわくわく感が伝わってくる。10年経っているので、もっと進んでいることもあるし、期待したほど進んでないものもある。「ユーザー」と「デザイナー」の境界がなくなるというのも、そう夢のようにはなってはおらず、せいぜい、ユーザーがデザインに参加することになった程度ではないかな。デザインしたりプロバイドする側は、あくまで利益を求めるし、使う側はあくまで「道具」または「娯楽」の感覚なんだと思う。どうでしょう? 
もっと勉強が必要かな。
わたしは、変わりゆく、身体感覚に関心がある。
一方、19世紀に書かれた経済学が今も有効である、といった、話も面白い。

私は10年ちょい前にインターネットをはじめた。e-mail に書き込みすぎることによる、礼儀やら問題やら誤解やらの配慮や作法の議論や工夫が、一通り終わったのが、わたしの感じでは、2005年くらいではないかな。mixiでも、最初はわたしもつい個人的な思いを書きすぎて、しくじった。私としては、外ブログを使うようになって、意識に公共性が増して随分、書きやすくなった。mixiで知り合える人には、限界がある。その後、面倒なMLからは手を引くなど、関係性の整理をして、今は、ネット利用は極めてクール。この間に、わたしの中のセンスとして大きく変わったのと感じるのは、自我意識。

自分の内側の奥に何やら、があるとは、感じないようになった。言葉も文章も、多くの人が使っているものを、利用しているのすぎない。ネタを明かせば、柄谷行人「近代日本文学の起源」に、影響を受けたのだけど、それは、ネット会話によって、余計に促進されたと思う。
なので、twitterに書く事は、出来事程度ということになる。自分の内側に、自分の内面がある、というのは、フィクションにすぎない、と感じるようになって、久しい。
ゲーテは言っている。「己を知れだと? もし、自分のことを知ったら、逃げ出すだろう」
これは、いくつもの意味にとれる。

自分のことと言えば、まあ、適性と言ったくらいのことは、知った方がいい、という程度ではないかな。
あるいは、他人に迷惑のかかる癖、といったことは、認識しておいた方がいいです。(まわりの他人は、いやほど、知っている)

自分だけが感じていることなどに、意味があるのだろうか? そういうことを大事にするのが、アートだったのかもしれないけど、それって、余計、孤独になるじゃない? 孤独がいやかどうかも、また問題。時間的には、孤独な時間はとても好きなんだけど、制作したものが孤独になるのは、どうでしょう? 普遍と個性の話をまだ、整理しきれない。唯一の場所としての、個人ってのは、どうなのよ、と思う。ノットとしての、個人はわかる。だが、それは、他とのつながりがあってこそでしょう? 個人とは、他者との関係性の束である、とキルケゴール(だったっけ)も言っておる。....... この辺が、実は、まだ解決がつかない。わたし、馬鹿でしょうか。

インターネットを使ったコミュニケーションは、費用が安くすむという事以上は、あまり、考えていなかった。だが、そのことの替わりに、何が、おこっているのか? 


17.2.10

対話はできたか(1)

対話展終了。

ところで、肝心の「対話」がどうだったか、学生さんたちと検証したいけど、わたしは「先生」ではないので、そこまではやらない。ていうか、そういうことを、話さないタイプみたいで、皆さんは。

対話という言葉は、もちろん、あえて、選んだ。どうしても、折り合わない二つの陣営が、和解のために、努力していくために、「とめてはならない」ものとして。もう1つの理由は、マルティン・ブーバーの著作(ユダヤ人だ)から。完読してないけど、読んだよ。

わたしは、そういう機会をつくるだけ。牛を連れて行くみたいなことはしない。無理強いしたって、無理だ。「わからない」からとそこまでにする人と、「わからない」から頭からつっこんでいく人とあって、そのどっちが、のびていくかってのは、自分の経験と、これまで、わたしの出会って来た人たちの人生を横目で見ていれば、それはわかる。言うまでも、ないのだ。今から、完成していて、どうする。わたしだって、のびざかりだ。

それから、私は、もちろん、イスラエルという国の若者の芸術家について、ほんの一部であるけれど、知ることができた。コンセプトの立て方など、優等生だと思う。学校ではちゃんとアートを教えているらしい。結局、アートっぽいことで、遊んでいるだけなんだなという人もいれば、かなり、頑固に取り組んでいる、興味深い人もいた。私から見て、興味深いのは、やはり、身体・社会・政治というテーマを自分の内側に入れて、アートという手法とのバランスを、自分自身の手探りで取っているアーティスト。社会的なこととの関係を、固定してしまった時、とっても、ベタなものになるからね。フレキシブルな人は、共感ができるし、私の作品も見て欲しいと思える。

イスラエルという国の中で、アーティストが行うことが、どう、許されていたり、期待されていたり、敬遠されたりしているのか、その度合いは、今のところまだ、わからないが、これは、今後のつきあいで、知っていきたい。今年中に、一度行きたい。ある種のやり方で、コントロールしているらしい、から。

単に、芸人として、アーティストが求められている、日本のパブリックな状況に、対して、わたしは、どう、スタンスを構えていけるのか。ムラカミ君(ハルキではなくてヒロシ)が心配しても、わたしも銃を持ちたくなるのか(笑)、そうではなくて、何か、ピースフルで、しなやかな戦略があるのか。それを行って行くために自身の力をつけつつ、仲間を見つけていく、経験のある人の話を聞く、力も借りる。アーティストイニシアティブというのは、夢なのか、実現すべきことなのか、私には無理な相談なのか。どげんでしょか。

上から、マヤゲルフマンの詩を自分の詩の言葉に置き換えて、リーディングパフォーマンスをした長尾日和さん。テルアビブのカフェのおしゃべりの録音に妄想参加している後藤君。銃の形の自家製のパンを必死で食べているムラカミヒロシ君。女性が銃を持つことを理解するためには、まずは食べてしまおうと思ったそうだ。その下、鈴木萠さんがLiorというパフォーマンスのアーティストの作品を紹介するためのカードを色とりどりに作ったもの。拡大して見てみださい。その下は、Iritのパフォーマンスの映像展示、担当は後藤君と磯君。その下の2枚は、丹下さん、畑江さんチームで、NavvaとAnatの平面昨品。こちら、拡大してくださいね。







16.2.10

C&M 広報記録

広報です。

日本イスラエル親善協会
(今見たら、なくなっていました。終わったから?)

Take Art Eazy


他、様々な人が、mixiやブログに書いてくださっています。感謝。
その方々のブログから写真を(勝手に)頂戴いたしております。ありがとうございます。以下の写真は、浅野幸彦さんです。
浅野幸彦さんのブログ。数日前にもあります。

緒方敏明さんのmixi ブログにも(mixi友のみアクセス可能)。数日間つづけてコメントあります。


15.2.10

ヒロシに告ぐ

あしたは、Cannons and Musesのパフォーマンスの日。

パフォーマンスアートは、技巧である前に、思想がなりより大事なのである。それに気がついている、Cannons and Musesのメンバーに誇りを持ちます。
でも、アーティストとして、やりとげなくてはならないことがあります。
自分たちを、外の、社会から来た人々に、自分たちの存在意義をアピールすること。
しかも、アートの力によって、アピールすること。

パフォーマンスは、その間に、死んでもいい、くらいのエネルギーでやらなくては、絶対に、他人に伝わらない。
イベント初日に、ムラカミヒロシ君が、銃の形をしたパン、予測よりずっと、固くて食べにくいでかい自家製パン一個を、40分かけて、食べ尽くしたエネルギーを私は評価します。お腹が痛くて、苦しんでいた。

それは、イスラエルのニスリーンという女性のアーティストへのオマージュでした。
彼女が、武器をアニメーションのイメージのメインにしているのを見て、ショックを受けたのだったね。だから、銃の形のパンを作った。

女性が、武器を、考えなくてはならない世界に対して、極東の非力な若者ができることって、なんだ?


以下は、ムラカミ君に、わたしが書いたメール。

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わたしは、あなたが必死ででパンを食べるパフォーマンスをして欲しい。
彼女が、武器を考えなければならないように、シチュエーションに対し、
極東の男の子が、なんとかしたいと思い、非力を承知で、何かを起こそうとした事自体が、
とても、心を打つ。

そのことは、1回のパフォーマンスでは終わらない。

日本とイスラエル、と言う関係ではなくて、
女子と男子と言う関係で、
思う、ところが、今回は新鮮でした。

Cannons and Muses テルアビブのアディーナにも、プレムにも知らせたけど、あなたが、苦しんで食べたことが何より、大事なのです。
バターを使ってもいいから、食べ尽くしてください。

14.2.10

夜中に誰もいない橋を渡る

 夜中に2時間くらい歩いた。寝ていたわけでもないのに、考え事をしていたら、一駅乗り越してしまった。面倒だから、歩くことにした。人も車もないど田舎の道。このあたりの、一駅はとても遠い。しばらく歩くと、川が見えてくる。川を渡る。風がびゅんびゅん。結構長い橋だった。水の音が聞こえる。遠くに人家がパラパラ。田んぼばかりの道。なんとなくなぜか、自分を罰したい気持ちもある。そうではなくて、何かから力をもらっているからなのかもしれない。高揚していたのかもしれない。いや実のところ、深く深く落ち込んでいるのかもしれない。理由はいくつもあってわからない。実は何も考えず歩いた。なぜなら、道を知らないから。考えて歩かないととんでもない方向へ行ってしまう。タクシーを拾う事もできたが、歩きたいと思った。決めたことはやり通す、と言ったことをしたかったと言い訳をしてみる。山を登り、引き返さないで、山の向こうに行く、みたいな。去った事はもう戻らない、何も、ということを、身体に叩き込まなくてはならない。叩いても叩いても、身体はなかなか、理解しない。ということかも、と理由を探す。ばかばかしいことをやり遂げることが、好きなだけの話かもしれない。学生さんの影響で、自分の本分を思い出しているのかもしれない。2時間くらいではまだまだ。


 以下は、Cannons and Musesのオープニングのパフォーマンス。阪中君が、自分が担当した、Chayaという女の子のパフォーマンスを彼の身体で行う。コンセプトがいまいち、腑に落ちてないんですと、毎日彼は言う。メールで、Chayaにレクチャーしてもらおう、と言って、昨日は終わりにしていた。腑に落ちるまで、きっと、彼は、おしっこを漏らすことができない。おしっこを漏らす事自体が、目的になっては違うという気もするし、と迷う。彼は、実はなんでも迷い続けるタイプなのか、それとも、これについては迷っているのか、わたしには、判らない。まだ、彼については、わたしも知らないから。白い花の方が、Chaya。Chayaはおしっこを漏らしている。

 水が身体をサーキュレートしているということを、体験、体現したいのだと、Chayaは書く。身体は、所詮、それだけのはずなのに、人間は、それだけとは言えないような活動をする。社会も、家族も、愛も、友情も、戦争も、ビルも、町も、都市も、何もかも、幻想であり、あっと言う間の、無意味な出来事とも、思える。人は死んだ時、尿道が緩んで、失禁する。それだけの生き物である、ということだけは、確かのように思う。
三島由紀夫の「豊饒の海」で、4巻にも及ぶ大ドラマの最後に何もかも、幻で何もなかったことかのように、言われてしまうシーンがあった。高校生の時それを読んだときは、技巧走った文章だと思って、ピンと来なかった。ハリウッド映画のとってつけたようなオチのようなものかもしれないとかんじていた。
 でも、今は、わかる。


13.2.10

What lovely performances!

以下は、C&Mのテルアビブ側のコーディネーターに書いたメール。

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Hello, Premshay

Yesterday, it was opening of the exhibition.
Students worked very well. They are very happy to work it. Thank you very much! and big love to you!!

Yesterday Japanese students did 2 performances.
Takahumi wanted to do Chaya's performance. He laied down on the floor with flower in his mouth.
He worked more than 1 hour.
He wanted piss like Chaya, but could not.
Instead, he concentrated to do very very much. Finally he gave up,
because his friend suggested him that it was time to close the space.
And than he said that he would try to do it tomorrow more.
He love her concept very mush, you know?

Hiroshi did a performance for Nisreen.
He cooked breads by himself, which were shaped pistol.
He ate one after he took from a woman who tried to kill him by the "pistol".
The bread was too hard and big to eat.
He needed to take 40min to eat one. looked very painful for his stomach.
He said he wanted to support woman who needed to take "pitsol" on her hand.
Nisreeen sent to his a animation movie, about pistol.
So Hiroshi worried her, the situation why a woman had to think about weapon.

I feel proud of them, their energy to make art with their effort.
What lovely boys!!


Today, we would have a little bit public opening party.

11.2.10

C&M マヤ・ゲルフマンの詩

明日が、「イスラエルの若いアーティストとの対話」展の初日。

自分が20歳から26歳くらいの頃を思い出してみる。個展は2度ほどしていたけど、個展を開けば、だれかがやって来るとばかり思っていた。当時は、「画壇」みたいな言葉も実体もまだ、リアリティがあって、そういうのがいやで、NYのアートシーンにあこがれていた。お金をためて、NYに行きたいって思ってた。


さて、
わたしの駐場日程は、
12日 14:30〜 たぶん、20:00まで
13日 16:00〜 たぶん、20:00まで オープニング
15日 14:30〜 16:00くらいまで
16日 18:00〜20:00 パフォーマンス見学


マヤ・ゲルフマンの、イスラエルと言う国について書いた詩をひとつ、ここに紹介。

人々は集まって都市を築いた それぞれがひとりぼっちにならないために。
孤立していると 恐ろしく危険な見知らぬ者に攻撃されてしまう。
安全と可能性の幻想を信じるのはたやすい
そういう輩の群れに囲まれているならなおさら。 私たちは 他者たちを区別することで まとまりを持つ
彼らとともにいながら。 うわべだけでは。 人々は混み合った場所にいっしょに住むためにやってきた。
なぜなら私たちの行っていることの回りには 死の脅威だらけ。 恐怖の果てには、
私たちが行い 進んで行こうとしていることの果てでは、
それは突然来るだろう、 しかし私たちが叫んでいるのを聞く人はいない
私たちは中心を作り グループを組織した。
脅威はそのグループのあいだでは重要課題である。
しかし 個人としては 私たちはバラバラであり 関心がないと感じている。 おかしなことには その都市の中では私たちは まるで
完全に孤立しているかのように振る舞う。 この場所は私たちのものであり
そして 他のすべてが野蛮な侵入者であるかのように。
まるで彼らの事件は 彼らのことでも 私たちのことでもないかのように。
わたしたちは 彼らと共にいることの選択肢を遠ざけている。
私たちはまるで るつぼの中に投げ込まれたかのようにふるまう、
選択の余地がないかのように、
まるで 押し合いへしあいから逃げ場を失っているかように、
しかし実のところ、
私たちが 外からの 恐ろしく敵意に満ちたものを引き込んでいる。
わたしたちは脅威の隣人である わたしたちは恐怖にとりつかれている。
孤立するか  共存するか。

C&M マヤ・ゲルフマンのホームページ

本日多摩美に搬入、設置。搬入と言っても、多くは、デジタルデータなので、何か、搬入した気にはなれず、展示が進んでみるまでは不安にかられていました。予定とは展示室が変わったけれど、前の場所より、確実に良い部屋。エンゲキの練習のための部屋なので、天井が高く、床は、ゴムみたいなところです。見栄えはとても、よさそうです。予想より、ずっと面白そうな展覧会になりました。まだ、あさって、開場前に、手直ししなくてはならない、ところあるんですけど。

イスラエルの大使館の人が、見に来るよ、と学生さんに話したら、「何しに来るんですか」と。確かに、アートと大使館のつながりが見えないと、なんだろうと思うよね。ここは、面白いところ。大使館の人には、「交流にイスラエルを選んでくださってありがとうございます」と言われました。アートって、文化なんだ。

 Maya Gelfmanの詩を訳しました。3人で手わけして訳し、わたしが最終手直し(という能力があるからではなくて、全体のトーンを揃えるために)しました。なかなか興味深い詩でした。イスラエルの建国について、微妙な考えを述べています。
彼女のホームページは、なかなか、いかしています。

 写真はG君が、イスラエルのアーティストに送った写真を勝手に流用しました。展示風景。まだ、展示作業が始まったばかりの時のようです。美術館的気配です。奥に映像作品があります。

6.2.10

Wifi 散歩

今日の午前中は、iPod touchを持って、近所を散歩する。Fonが実際どのくらい共有できるか、テストしたかった。うちのFONのルーターは、わたしのマンションの一室から、4件隣までは、使えるが、1階下はだめ。FONマップというのが、あって、近所にあとこちで、使っていることはわかっているので、散歩して、その建物に、すり寄ってみる。..........だが、どこもだめである。
なんだ。Fonは機能しないみたい。会員同士共有できるというコミュニティのセンスが売りなのに、何にもならないではないか。Fonのコミュニティに書いてみよう。

(因に、もしかして、知らない人のために、説明しますと、iPod touchはモバイルなのですが、電話ではないので、Wifi環境がないとインターネットに接続できません。つまり、まあ、ヤドカリ型なのです。もちろん、wifiのプロバイダーにお金を払えば、いいわけです。FONに関しては、家にルーターをつけ(1980円払って)、このことにより、世界中のFONのルーター使用者のルーターを共有しあえることに、なっています。また、livedoorと提携しているので、livedoorのwifiも受信できます。)

他のWifiは、ほぼどこでも、感じることができる。ずいぶん、たくさん飛び交っているものだ。おどろく。勿論、フリーで使えるところは、とても、限られている。
それにしても、20年前には、こういうデンパはなかった。目に見えない地図が、クモの巣のように張り巡らされているのが、手に触れるようにわかる(と感じることができる)。これで、空間認識が変わらない方がおかしい。他人とのつながり方だって、違う。
だからって、目に見えて、重さがさわって判るものが、希薄になったわけではないと思う。センスが弱くなったとは思わない。幅が広くなったからと言って、薄くなるということではないだろう。そういう理解のしかた事体が、違うのだ。たぶん、言葉は遅い。
いくら、携帯でつながっても、出る気がなければ、何日も、音信不通になる。家までおしかけたくなるストーカーは、これにいらだつのかも。
1世紀前から、人は家まで行かなくては、まず、誰にも会えなかった。行っても留守だということは、ある。あとは、職場と行きつけの店と路上。
時間の使い方にしても、違ってくる。
部屋の使い方も違ってくる。
他人に対する思い入れは違うだろう。何が違うか、考えたい。むやみに違っていると決めつける必要もない。誰だったか、経済学者が、「21世紀になって変わったと言っても、まだまだ19世紀のネタでやれる部分もある」と言っていた。だが、やはり、驚くよ。

少なくとも、ものごとを、時間軸で感じる軸とともに、構成で考えるセンスは、ずっと増してきたと思う。いくつかのマッピングの方法を、まぜながら、認識、そしてプランしていく、ことになるみたい。

なんて、もしやして、すんごく当たり前のことを、今更ながらに考えているだけかもしれませんけどね。

読もうってわけでもないが、一応、みつけてみた。Martin Dodge先生のブログ。

4.2.10

エスプレッソカップの裏底

 今日は、神保町のエチオピアでカレーを食べて、それから、近代美術館でケントリッチ展を見た。楽しくて、じっくり見たかったが、連れが、展示の仕方に不満があるらしくとっとと出てしまったので、気になって、あまりゆっくり見られなかった。(と言っても3時間は見ていたみたい。外に出たら、友達が凍えていた。)。月世界の作品が一番好きだった。エスプレッソコーヒーのカップの裏を覗くと、宇宙(あるいはミクロの世界)が見えて、エスプレッソマシーンが、ロケットになって飛んで行くのだ。彼の技法の集大成といった感じと、陽気さと、イマジネーションの自由さがつまっていて、良かった。彼の作品の中では、かなり軽めなんでしょうけど。
  ところで、若い頃の南アフリカの人種問題、労働者問題などをテーマにしていたのは、だんだん、どこに行ってしまったのだろう。美術館の説明だと、「普遍的になったきた」と言ってすましているけど。こういうことは、よくある。
 若い時は、何か、重要で大きな問題やテーマを取り扱うことで、自分を大きく見せたいということがある。そうこうしている内に、自分の本分に気がついていった、とか。
 ただし、病と死を扱う、ということでは、続いていっているのではないかな。病と死をユーモアにつなげてみるのは、まだ、わたしには難しいけど、感じはよくわかる。父も最後のころはベットで「かゆい、いたい、ねむい」を、自嘲的に、三拍子にしてつぶやいていたっけな。人間生きていること事体が、笑える出来事なんだしな〜。深刻なことはおかしくもある。ギリシャでは、貴族以外の人間におこることは、すべて、喜劇だとされていたらしい。
それから、確かに、展示の仕方に問いがないわけではないと思う。アニメーション作品、しかもカラーがかなり似ているものを一部屋に5つも展示していた部屋で見たものは、記憶の中でまざってコラージュになってしまい、印象が薄い。じっくり見ることがなんとなく、困難になる。

 神保町の古本屋の外に、intercommunicationが400円で出ていたので、つい、2冊も買ってしまったけど、ハイテクアートものの、10年前の本は、古すぎだね。帰りの電車で、失敗した〜、と思った。つまり、ハイテクアートって、そういうもんだ。

 C&Mに、研究班というのが、確かできて、1月末に読書会をすると彼らは言っていたけど、やんなかったね。そのネタになる予定だった、スーザン・ソンタグの本がアマゾンから届いた。先日、写真美術館で、気になってしょうがなかった問いについて、ちょうど、考察が書かれているようだ。もう一冊届いたのは、「クルーグマン教授の経済入門」。

2.2.10

BPtS, CwM

Best Place to Sleep とCome with Meの2つの作品は、ひとりで行うか、複数で行うかの違いがありますが、見た目はほぼ同じです。以下の18カ所にて行ってきました。去年は6月以降やっておりません。台湾では、なぜか、気乗りがしませんでした。
また、今年も行おうと思います。ライフワークにしてなんぼ、というようなものかもしれないので。ばばあになってもやれますように。
因に、関係ないですが、今日、やっとFONが開通しました。これも、去年の6月にルーターを買っただけで、接続してませんでした。それでやっとiPod touchが、アクティブになりました。散歩が楽しみだな〜。

Best place to Sleep / Come with Me
Essen 2007 07
Hannover 2007 08
GInza 1chome 2007 09
Shibuya 2007 10
Marunouchi ~ Kyobashi 2007 10
Chain Mai 2007 11
Ginza 2007 12
ShinanoMachi 2008 04
Poland 2008 06
Ishikawacho 2008 07
Watarase 2008 08
Sakuragicho 2008 09
Boston 2008 10
Toronto 2008 10
Yanaka 2008 11
Obama & Me 2009 01
Ginza 1~4chome 2009 04
Zagreb 2009 06

以下は、写真で遊んだ作品(とよんでよければ)。iPhoneが発売されたばかりのころ、2008年7月に石川町で撮った写真を使いました。以前にもブログで紹介したけど。拡大してみてね〜。因に、わたしはiPhoneは使ってません。

1.2.10

対話展

東京より数時間遅くなりましたが、うちのまわりも雪になりました。雪って、勝手に、情緒的な気分になってしまいますね。お酒を少しあたためて、飲むことにしました。

2008年は、2009年の秋に行うイベントの企画を立てていました。でも、そのプレイベント中に、何か、やたらと妨害が入ったので、2009年に企画は、やめることにしたという苦しい経験がありました。いろんな人にあやまりました。でも、不思議なほどの妨害でしたね。でも、それは、何モノかが私に「お知らせ」をしようと、悪魔の力を使って、行ったことなのかと今では思っています。もし、昨年秋に、企画を実行していたら、家でおこっていることとの狭間で、わたしは、想像ができないくらい、むずかしいことになっていたに違い有りません。雪を見ながら、しんみりです。あのプレイベントの場所を紹介してくれた人も、そういえば、その後2ヶ月ほどで突然、亡くなりました。無理なことが続いていたのではないでしょうか?

おととい、ちょっとでかけて、いろいろな人に会うことがあり、わたしのアイデアを話したりしたところ、すんなりと理解されました。不思議ですね。でも、あまり、表面的なリアクションで、物事を判断せず、背景などを考えながら、新しい歩みをしたいと思います。

今年は、どんな形で作品の発表をはじめるか、思案中。やはり、話が、やはらかく進むところで、行うべきでしょう。どうにも、理解できないところには、無理して行きません。と、宣言しておこっと。つい無理しちゃうのよね........


以下、件のプレイベントで手伝ってくれたG君に代表を務めてもらっている現在のプロジェクト。わたしは、コーディネーターやアドバイザーの対場であります。やるのは、若者たちだ!! わたしは、ネタだけ、運んでいるだけです。きのうは、彼らとSkypeで会議をして、楽しかった〜。

「イスラエルの若いアーティストからのプレゼンテーションとの対話展(略して、対話展)」 多摩美、上野毛校、鏡の間(演劇演習室)
2月12日〜17日 日曜休み 14:30〜20:00
  テルアビブの学生の作品の紹介展、写真、ビデオ、アニメーションなど。日本側の学生たちがホストになって、彼らの作品を紹介す
  る。彼らの作品を再現したり、e-mailやSkypeを通して会話で、話し合いながら、共同作業なども行う。テルアビブ側8人に、日本側
  は9人。ほぼ1対1で組んで、コミュニケーションをしている。
     13日 16:00 パフォーマンス(日本の学生によるイスラエルのアーティストの作品の再現パフォ)
         17:00 オープニングパーティ しやかしにきてくなはい
     16日 19:00 テルアビブとのリアルタイムパフォーマンス


桜木町にて。たぶん2008年9月30日。写真は、Jeremy Coleman。