6.2.10

Wifi 散歩

今日の午前中は、iPod touchを持って、近所を散歩する。Fonが実際どのくらい共有できるか、テストしたかった。うちのFONのルーターは、わたしのマンションの一室から、4件隣までは、使えるが、1階下はだめ。FONマップというのが、あって、近所にあとこちで、使っていることはわかっているので、散歩して、その建物に、すり寄ってみる。..........だが、どこもだめである。
なんだ。Fonは機能しないみたい。会員同士共有できるというコミュニティのセンスが売りなのに、何にもならないではないか。Fonのコミュニティに書いてみよう。

(因に、もしかして、知らない人のために、説明しますと、iPod touchはモバイルなのですが、電話ではないので、Wifi環境がないとインターネットに接続できません。つまり、まあ、ヤドカリ型なのです。もちろん、wifiのプロバイダーにお金を払えば、いいわけです。FONに関しては、家にルーターをつけ(1980円払って)、このことにより、世界中のFONのルーター使用者のルーターを共有しあえることに、なっています。また、livedoorと提携しているので、livedoorのwifiも受信できます。)

他のWifiは、ほぼどこでも、感じることができる。ずいぶん、たくさん飛び交っているものだ。おどろく。勿論、フリーで使えるところは、とても、限られている。
それにしても、20年前には、こういうデンパはなかった。目に見えない地図が、クモの巣のように張り巡らされているのが、手に触れるようにわかる(と感じることができる)。これで、空間認識が変わらない方がおかしい。他人とのつながり方だって、違う。
だからって、目に見えて、重さがさわって判るものが、希薄になったわけではないと思う。センスが弱くなったとは思わない。幅が広くなったからと言って、薄くなるということではないだろう。そういう理解のしかた事体が、違うのだ。たぶん、言葉は遅い。
いくら、携帯でつながっても、出る気がなければ、何日も、音信不通になる。家までおしかけたくなるストーカーは、これにいらだつのかも。
1世紀前から、人は家まで行かなくては、まず、誰にも会えなかった。行っても留守だということは、ある。あとは、職場と行きつけの店と路上。
時間の使い方にしても、違ってくる。
部屋の使い方も違ってくる。
他人に対する思い入れは違うだろう。何が違うか、考えたい。むやみに違っていると決めつける必要もない。誰だったか、経済学者が、「21世紀になって変わったと言っても、まだまだ19世紀のネタでやれる部分もある」と言っていた。だが、やはり、驚くよ。

少なくとも、ものごとを、時間軸で感じる軸とともに、構成で考えるセンスは、ずっと増してきたと思う。いくつかのマッピングの方法を、まぜながら、認識、そしてプランしていく、ことになるみたい。

なんて、もしやして、すんごく当たり前のことを、今更ながらに考えているだけかもしれませんけどね。

読もうってわけでもないが、一応、みつけてみた。Martin Dodge先生のブログ。