26.10.12

パブリックサービスセンターというプラン Plan for Public Service Center




現在参加しているプロジェクト「ディスロケイト12」。  杉並区の善福寺界隈がその活動領域です。

ここには、10年以上前から、トロールの森という自然系アートフェスティバルがあり、それと「ディスロケイト」はリンクしていますが(子供のワークショップ作品が展示されるらしいです。)、私の立場では、全く関係がありません。活動範囲には「遊工房」というレジデンスタイプのアートスペースもあり、ディスロイトのキュレーターである太田エマさんが働いているところですが、このプロジェクトとはやはり、あまり関係がありません。


さて、杉並と言う閑静な住宅街。どんな形の参加が良いか、模索しています。テーマは、パブリックスペースとコモンセンス。2ヶ月の滞在をしているインドのアーティストと、ラオスの映像作家とのコラボをすることになっています。



3つほどのプロジェクトを準備中、または、進行中です。
「パブリック・サービス・センター」はそのひとつ。
以下は、この企画についての説明と、私の考えです。

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 パブリック・サービス・センター


杉並の善福寺界隈で、モバイルに設置されるサービスセンター。
移動型のベンチとパラソルを使う。
サービス員は、私とプライアスさん。カームさんは、映像で様子を記録する。


私たちの企画している「パブリック・サービス・センター」は、基本的にアーティスト2人が、サービス員として常駐するが、アートのサービスは決してしない。しかも、私たちからアーティストというアイデンティを取り払うと、はっきり言って、どう見ても気のきいた人たちではない。
1.カレーを作れないインド人
2.ぱっとしない中年女性


サービスは2つの方法で用意される。
1.      ある程度は役に立ちそうなサービス
2.      まったくナンセンスで役に立たないサービス

設置場所 
1. 合法的に設置できる場所。
2. 基本的には違法な方法。
どちらにせよ、町にとって決して「必要なもの」ではないし、「邪魔」という可能性の方が強いので、注意されたら、すぐに移動する。




<以下は、この計画のためのメモとコンセプト>




最近は、アート周辺で「パブリック(公共)」という言葉が、頻繁に使われるようになった。それらはだいたい以下のように分類できる。
1. 地方公共団体やその外郭団体が企画したもの、あるいは、それを民間委託したもの。
2. それ以外………..

実際のところ、「パブリック」で「サービス」するとはどういうことだろう。アートを使ったサービスは、あまたある、かのように見えるが、実際のところは、ほんとうに、そういうことでいいのか?と疑問に思うものも、正直、多々ある…..
1.そのサービスは必要なのか、ということ。
2.それはアートにとって、発展的と言えるのか。

さらに「サービス・センター」という言葉はどこかまぬけな響きがある。ユニフォームと笑顔のイメージが妙にステレオタイプなのだ。説明できないが、どこか、本気さが足りない気がする。もちろん、その前に「テクニカル」がつけば、なかなか、説得力があるが、そこに「パブリック」がつけば、むしろ、無用な疑惑が極まる……..

ところが………それはとても必要なものかもしれないとも、私は考える。社会は個人を支えるという重要な仕事がある。しかし実際は、行政側の目的と都合で、サービスは行なわれ、受け取る方は、そのサービスに合わせて生活することを強いられる。だが、抜け落ちてしまうことがいろいろあるだろう。
どの町にも、何か困っていることがあっても、相談する人がいないために、抱え込んでいる、老若男女がいるはずだ。それほどでもなくても、ちょっと散歩ついでに、誰かと立ち話がしたい人はいるはずだが、それはなかなか難しい。井戸端も路地も縁側がなくなって久しい。病院にたむろっていた、老人たちも、ついに、追い出された。喫茶店に、テレビドラマに出て来るような聞き上手の名物マスターがいるところなんて、めったにない。スターバックスでは、話す相手はみつからない。友達のいない若者は家にひきこもり、孤独な母親は子供を傷つけてしまう。働き過ぎのお父さんはせっかくの休日にお買い物のおともなんてまっぴらと思っているし、ほとんどのご老人はテレビがお友達になる。その他、メンタルサービスなんて大げさな方法や、介護サービスの対象外の難儀なことが多々......。

杉並の住宅街は、私たちを必要とするだろうか。私の予想ではほぼいつでもどこでも、邪魔にされると思う。しかし、もしかしたら、ちょっとした出会いがあるかもしれない。

私たちは、実際には、上に書いたような問題には、対応できないかもしれない。しかし、私たちが、示すことができると考えているのは、いわゆる公からの公共サービスの対象にはならない、しかし、誰かが受け止めた方がきっと良いに違いない、今の所、宙ぶらりんな需要と、その供給の方法が確実にあり、それが、私たちの興味/可能性のである、ということである。

ところで、「パブリック・サービス・センター」とは、固有名詞ではなくてほぼ一般名詞であろうと思っていた。しかし、ネットで調べたところ、パブリック・サービス・センターは、ほとんど見つからなかった。英語で調べたところ、MITを含む複数のアメリカの大学のプログラムに、それがあることがわかった。うす〜いアメリカンコーヒーをポットに入れて用意しよう。

以下、3つのアメリカのパブリックサービスセンターのロゴ。
その下に、御存じ「アート引っ越しセンター」のホームページのヘッドを切り取ってみました。「アートだからできること」という表現が楽しい ♫
















テイストとスノッブ Taste and Snob



以下、facebookに書いた文の再録です。


10月23日(火)
アートではいろいろなことがトライできるが、「テイスト」のことをアートだと感じている人は、なんらかの「テイスト」のモデルの範疇でつくるだろう。たとえば、最近は「スタジオ」的な場所を作るのが、流行みたいだ。何気なく見せているけど、わざわざ、コンパネむき出しみたいなテーブルや仕切りをつくったり、PCを何気なく置いてみたり。自然に見せて、それもテイスト。パフォーマンスアートでも、わざわざ、黒いゴミ袋を使ったりする人があるのも、実のところは「テイスト」。普段着の演出。綿々と続くのは「私

のこと」というテーマだ。これは誰でも取りかかりやすいし、他人につっこみを入れられないですむし、共有もしやすい。誰も考えてないことをするには、誰にも「テイスト」を理解されないリスクもある。つまりのところなんでもいいし、流行のことをしたければする、みたいなこと。


似ていてちょっと違った価値観として「スノッブ」というのがある。私的にはこっちの方が面白いかもしれない。「テイスト」派の方は、けっこう、まじめだったりするが、「スノッブ」派は不真面目を恥じない。まあ、どちらも表面的な話。大事なのは、楽しみながら、サバイバルすることだ、誰にとっても。それが、結果的に「リアリティ」になると思う。





10月24日(水)

テイストとスノッブの話の続き。



公共という話になると、「役に立たない」「正しくない」ことというのは、肩身が狭くなると感じがちだ。しかし、人間は、役に立たないけど楽しいこと、というのを抜きに生きていくと、かならずや、抑圧的になると思う。だから、酒場のだじゃれやぐだぐだ話、どうでもいい朝のあいさつ、商店街のおばちゃんやおじさんのつまんない世間話が、自然に生まれて来る。公衆トイレの落書きや、2チャンネル的なものなども、それに含まれる。そのくだらなさを、ソフィストケートしたものが
、アートなんだと、私は思っている。あるいは、錬金術的に「くだらなくない何か」のように変身させる。

そして、アートの中の2つの方向。中産階級のいい大人は、テイストを好む。安心して鑑賞できるよく手をかけた感じで、技のある「くだらない」もの。ある程度は「正し」しそうに見せたりもするかもしれない。大人だもんね、当然だ。一方、スノッブは、若者と金持が好むものだ。「くだらなさ」を極める、ひねりのある、思いつかないような「くだらなさ」。偽悪的になったりもする。そして「おれたちにしかわからないかもね」なんてポーズもとる。金持も別の意味で、占有的。なぜって、それが楽しいから。
若者でも金持でもないスノッブは、どうするのか。
それが、私の問題。でも、仲間はいるって感じがする。





11.10.12

バクスイレン vol.2 アートの前に


不肖、山岡佐紀子がモデレーターとなり、ディスカッションを試みる、連続したイベントのお誘いです。


参加させていただいているイベントなどで、「ディスカション」ということを企画することが増えてきました。でも、なかなかうまく運びません。
うまく行っているように見えるディスカションは、実のところ、発言者たちが方向性をあらかじめシェアしてあるし、
その方法性が読める参加者が、うまく発言しているわけです。
ショーイベントとしては、そうした方が良いと思います。


もし、そうではなくて、本当に、考えをシェアしながら、未知のアイデアを求めるならば、違った方法が必要です。
それを磨く方法を考えた場合、方向性は2つあると思います。内容とプロセスです。ディレクションを決めてしまうのではなく、プロセスを意識したことをしたいと思います。それぞれは持ち帰るアイデアは違っていて良いともいます。

目的としては、相互セルフワークショップになると思います。
話すのに、とまどいがち、な方、歓迎です。
参加者はテーマに沿って考えや経験を話し、問題を討議します。
討論に勝つためではありません。考えをシェアし、集合的な未来の希望を考えるプロセスの研究です。
パブリックというより、少人数のあつまりに近いでしょう。




バクスイレン vol.2 アートの前に
1回目のトピック <この1年7ヶ月どうしてた?何を学んで、何が希望か?>
そういうことはもう話しあきている人もいるかもしれません。しかし、まだ、あまり意識して、他人に話してない人の方が多そうです。

2012年10月21日(日)17:00〜20:00
マルプギャラリー
http://malpu.com/gallery/
〒171-0014 東京都豊島区池袋3-18-5
参加費:200円 ベジタリアン料理つき  予約していただけると助かります。Facebookページもあります。
企画;山岡佐紀子、佐野佳子

https://www.facebook.com/events/287656241335195/


<2回目以降のトピック>
犯罪と迷惑、家族と家庭、美学の変化、など、考えています。



1.10.12

作品へのボランティア参加者募集 Call for ”Public Double”







太田エマさんキュレーターのディスロケイドが始まります。

以下はFacebookのページです。
https://www.facebook.com/dislocate12







テーマは、「コモンセンス?」。ここではコモンセンスは「共通感覚」と訳されています。以下が、私のプレゼンテーションの始まりです。







作品「パブリック・ダブル(分身)」の参加者募集
201210月〜11月の間、杉並区善光寺界隈で、パブリックアートのイベント「ディスロケイト12」が開かれます。3人のアーティストが参加しますが、そのうち、山岡佐紀子は、作品(活動)の参加者を募集します。
期間中の、参加できる日だけでかまいません。

<条件>
生物学上の男性、日本育ち(国籍不問)、およそ3035歳、英語が少しは話せる。
芸術の経験、知識は必要はない。採用人数/複数。


<参加内容>
海外からの2人のアーティストが、その世代の男性なので、彼等と考え方や興味をシェアする機会を持つ。山岡にはないアイデンティティを替わりにつとめてもらう。食事会、共同プロジェクトなどに参加する。写真、ビデオ、メモなどを、作品として残す。「分身」というのは、私の替わりに彼等とつきあってもらうので、そう呼ぶ。食事会は、アーティスト2人と参加者のスケジュールを調整して行なう。共同プロジェクトは、今のところ、10月29日、11月5〜9日、11月11日、11月23日が予定されている。内容については、お問合せを。参加できる日だけで良い。複数人募集。

30〜35歳の男性というのは、自分が社会で何ができるか、自分は何がしたいか、真剣に実践し始めている年齢だろうと推察します。二人の海外からのアーティストがちょうどその年代。私が一緒に、共同制作するのは、アーティストとしての共有部分は当然ありますが、その「社会的身体」なレベルでは、やはり、かなり、遠い。そこで、私の替わりにそのあたりを、共有してもらえる人を募集しているのです。


<参加方法>
まずは、メールか電話でお問い合わせください。
問い合わせ missinginicity@gmail.com  080-5447-9338