30.7.09

安定とご案内

最近は、なんか、ラディカルさとか、意志の強さとか、屈しない力とかいった、精神の美に関心があるみたいな、わたしである。見た目の美もそりゃ、面白いと思うけど、わたしが好きな、見た目の美ってのは、デザイン作品になる。う〜ん、これでいいのかどうか、わからない。
道徳は関係ない。ふてぶてしさとか、いざとなったときの寛容さとか、なんか、そういうものに惹かれる。なんだろうな〜。
やばい兆候かもしれない。すぐれたデザインてのは、いいよね。まっすぐ受け止められる。でも、美しい絵画ってなんだ?

婉曲表現。
医療の世界で、「安定期」とは、「もうなおらない」「保険をつかうのは無駄に見える=治療はもう限界です」の意味になる。
きのうきいた婉曲表現は「その件については、ご相談になります」。これは、無理だから断ります、の意味。
「多目的トイレ」については、2003年にはじめて知ったが、障害者が使えるトイレ、の意味である。
これらは、相手に、理解の負担を与えるもので、自分はきれいな言葉を使っていようとするものだと思う。もちろん、気分的なものではなくて、責任逃れだ。

ところで、裁判員制だけど、死刑の決定をする立場になりたくないから、参加したくないという考えについてはどう思いますか? 一方、死刑執行も、市民が交替で行えばいいのだという意見もある。後者の意見をいいたくなる人のいらだちは、割と、わたしはわかる。直接ではなくても、自分が手を貸していることに自覚的でありたいということでしょう。
きのうの話のつづきだけど、市民であるための、義務と権利と自由の話だ。市民権は、与えられたものではなくて、勝ち得たものなはず。だが、日本はな......。だから、知らん顔するのは、全く自由だと思う。そのうち、年収いくら以下は、選挙権剥奪されたりして。


もうひとつ書きたかったけど、終了。おやすみ。

写真は東洋人すら見かけないクロアチアの田舎町の銀行(これでも)。東芝のエアコン。僻地に知り合いのオジサンに遭遇した感じ。

29.7.09

最終回

きのうは、市役所介護保険科に用事ででかけて、帰りに、NHKの朝のドラマのロケに遭遇する。川越のシンボル、時の鐘の前で、サンバをやっている。大きなぴかぴかのクレーンの上にカメラの人がいて、撮影中。なんとなく、最終回なんだな〜と思う。野次馬に混じって、目をこらすと、サンバのダンサーの合間に、胡麻くらいの大きさの女優さんたちが見える。「ああ、女優さんて大変だな〜」と思う。スタジオで演技するのは、かっこいいけど、かんかん照りの田舎町で、うれしそうにサンバごっこをしなくてはならない。ドレスや着物を着ている。ギャラもらわなければ、やってられないと思う。今日の新聞の埼玉版に、載っていた。やはり、最終回らしい。



セカイは、究極の選択みたいな場所だと思う。



やっとAfrica for USAの感想みたいのをいただいたりしたが、やはり、言語は頭に入りにくいのかもしれない。順序が変わっていたり、notが入ったり、じっと見るとわかる、いろいろな変化を表したつもり。ベランダのサボテンみたいなもんなんだ、わたしには。でも、だいいち、「なんで日本にいるヤマオカがあれをつくる意味があるんだ?」という問はあるでしょう。でも、あるんだ。
ぱっと見てわからないものは、わからないと考える人もいるかもしれない。わたし自身は、あれこれ、妄想をさせてくれる作品が好きだから、自分もそうする。自分のような人へ届けたい。

最近知り合った映像作家の人が「アートは政治を扱っていてもいなくても、政治的なものです。美術とは違います」とメールをくれた。なるほど、うまいことを言う。美術は、何か作ってあるものだと思う。芸だったり、職人だったり。
それはパブリックのセンスだと思う。市民たるもの、自分たちで、勝ち得た、民主主義という自由の場所では、自分たちでルールは守るし、また、問題があれば、提起する、というのが、市民だ。路上も公民館も市民のものであり、「おかみ」のものという発想ではない。公とは、おかみのことではなくて、市民たちの責任と義務と自由の場所。ゆえに、市民の発言はすべて、政治参加の意味と同じになる。だからアートの中に、何か考え方、感じ方ですら入ればそれは政治的になるというわけだ。植物の絵ばかり、描くとすれば、それも充分政治的だ。
で、わたしだけど、「おかみ」がしきっている社会に育った。だから、市民のセンスが乏しい。選挙に必ず行くから、スタイルとしての民主主義は身にはついているが。
ところが、アートだ。この10年、わたしがアートだと思って注目してきたのは、すべて、欧米のものだったし、活動の8割は欧米だし、ディスカッションしたり、喧嘩をしたりした相手は、西欧人たちだった。そうやって獲得して、自分のやり方は、たぶん、アートなのだ。だが、アートの言語のネイティブではないから、結局のところ、どこかぎこちないクレオールなのである。

なんちゃって。
でもそう。ここまでこう来たので、この路線で走ります。そうなる理由を4月頃書いたテキストに書いた。和訳しますね。
でも、政治の人たちとともに歩んだりはしないと予定です。
自分のおろかな、直観だけを頼りにしたい。
今年は、自分の路線を確認することと、新しいスキルを学ぶことが目標かなあ。あまり、旅行できないから。
ベランダの植物とともに。サボテンがすごいんだ.........


28.7.09

南下

きのう送られて来た写真。クロアチアのパフォで、わたしが南下するところ。見てた人もいたんだ、とうれしくなった。拡大でみてください。良い写真だと思う。この日は、朝から雨でした。小雨の中、歩く。

27.7.09

「だれもわかってはおらぬ」

といったようなタイトルのオペラがあったような気がする。

ロウケンには預けていられないと母が言うので、自宅介護に切り替えるべく、役所、地域包括センターなどに連絡をする。みな、違うことを言う(笑)。制度が、まだ、定着していなくて、皆、手探りなのだ、というのは、わからないでもない。でも、どのくらい経ったんだっけ?

父が、家に帰れば、母が毎日のようにヒステリーの声を上げるのが目に見えている。「わたしでなければ世話できない」「わたしがやってあげる」と、考えているようだが、それが一番、危ないって気がついてないみたいだ。でも、誰が止めることができよう。
まわりが、思うように動いてくれないから、「では、わたしがやるよ」と、引き受ける性格が、わたしに遺伝している。それで、うまくいく、という話だって世の中にある。でも、わたしはだいたいうまくいかない。全部引き受けるのは、絶対にだめだと感じている。

では、たよりになる人がどこかにいるのか?

いない。その場合は、出会いを待つしかないし、出会うように動くのだろうと思っている。だけど、どうしても相容れない人、言っていることとやっていることがかけはなれている人はやっぱ、だめだよね。やっていることで、人は見よう。

この理屈でいえば、介護業界の人々の言っていることがまちまちなのは、それほど、問題ではないのかもしれない。
実際を行いながら、ってことだ。

うむ。

26.7.09

わが町は祭り

今日はわが町は祭りでした。秋の伝統的な祭りと比べると、出し物が、つまらない。でも、若い女性たちの浴衣姿がとってもかわいくて、眺めて楽しかった。来ている人たちを見るのが良い。

ところで............民族差別は、身近でもたくさん痛みとともに、見てきたけど、人種差別はちょっと、リアリティがない。東ヨーロッパの田舎へ行くと、黄色人種な私が、めずらしがられることはあるけど、手痛い思いはしたことがない。まだ。


だから、そのセンスの乏しいわたしが、あのスライドビデオを作るのは、無責任かもしれない。アフリカ人の自由と権利を訴えているわけではないのだ。実は。もちろん、その反対でもない。

むしろ、批判として、心配なのは、世界の経済の動きの現実への認識の私の甘さ、であったり、ポップカルチャーの引用の仕方のセンスの問題が問われることだった。どちらも専門ではないし、特に熱心に調べてもいないから。

また、わたしはオバマさんを誉めても、批判してもいない。関係の図を考えただけ。人種問題は実は、深くは関係ない。世界地図の中の経済のバランスがテーマなんだ。


むしろ、ヒューマニズムには、わたしは懐疑的だ。


けど、世間にはいろんな人がいるよね。誤解が出た時、どう対処するか準備がいるかもしれません。まだ、はっきり出てないですが。

25.7.09

アタリの当たり、コンゴの今後

ジャック・アタリ、読んで見なはれ。21世紀を予言している、かも。We are Elegantとは言っていないけど、趣旨は似ているかも。
21世紀の歴史」

マイケルが亡くなって、それからオバマ氏ガーナで演説。
アフリカの未来が気になる。こういうコラムありました。

みなさん、アフリカにまだ目がいかない?
資源の宝庫ですぜ。日本も行って、福祉の財源のために、掘って来た方がいいかも?!?! 掘る為のそれらしい理由が必要です。「故郷なので!」と言うとか。

そういえば、去年の洞爺湖サミットでのテーマは、アフリカでした。なんだか、我が国の首相がちゃんとやっているかばかりが心配だったりして、うっかり、その本質を見ていなかった、わたしです。今年になって、やっと気づいたというわけです。

4度目アップしなおしました。「オチ」が変わって、メモリアルガーデンらしくなりました。
まだ、直すかな〜

ダメだし

どう考えてもだめだなと思っている。
自分で「アイデアはいいけど作品がだめ、のサンプルをつくってしまった。

今日も暑いです。おいておくか、削除するか、考え中。

24.7.09

阿呆の上にも日が昇る

毎朝、こんな愚かな私の上にも日が昇る。このことが、何よりの神秘。日食より、すげ〜と思うのはわたしだけか?(だって、ここでは、日食って新聞テレビインターネットがなければ、気がつかないレベルだもん)ロウケンのお父さんの上にも、今日も日は昇ったらしい。でも、いつか、昇らなくなる。私の上にも昇らなくなる。それって、なんなんだろう。それって、暗いって話ではありません。文字通り(笑)。
太陽なしでも、生命なしでも、へーきになるってことかもしれん。

前々回にアップしたスライドビデオ作品だけど、反省点などを考えている。
でも、素直に見ると、22人のリードボーカルの人々の、個人の時間の流れに、24年のアメリカの時間の変化を重ねてみている、と理解できると思う。22人+現代のロックンローラー、オバマが加わっている。まあ、そういうことです。スティービー・ワンダーの新曲(2005年)のA time 2 loveは、たぶん、2つの愛ということ、彼らには、祖国とルーツの2つの故郷があるということだと思って、加えた。(でも、YouTubeでは聞けません。著作権でひっかかるので)

わたしのように、何かを「つくる」のではなくて、アレンジでもって作品を作るという姿勢でいると、私の頭から出た「妄想」の部分が少なくて、その分、アートというより、ジャーナリスティックになってしまいがちだ。銀行で、わたしが寝るということは、わたしの動作や思い込みが、フィクションになるけど、ネットで集めたデータだけで作る場合、どこに、わたしの妄想が入っているのか、微妙になる。かれらの24年を「墓碑」の形で表したあたりなんだけど。なんか、イマイチ。単なる芸能人ネタに見えてくる。

だが、とにかく、たぶん、今年から、爆発的にアフリカ話題が出て来ると、わたしは予測する。すでに、資源の取り合い戦争が始っているもん。アメリカに既得権があるわけではないのに。アフリカ系アメリカ人と言っても、アメリカ人だ。決して、アメリカ系アフリカ人ではない。民主主義という宗教を、押し付けようとしている。16世紀のフィリピンを連想する。こんな事態は、21世紀ならではだ。

それらのオンタイムの出来事をすべて、メモリアルガーデンとして、眺めようとしている、私。

英語がな〜。わたし自身、クレオールとして使っているわけです。その記号性が好きで使うんだけど、ネイティブでないと、ぱっと見てすぐ入ってこないでしょう〜? 作りながらも、微妙なんだ。 


以下は、クロアチアで見たお墓。ほぼ、どのお墓にも、写真が入っている。


サバイバルの極

このタイトルにして書こうと思ったことは別のことだったのに、別の話でいっぱいになった昨日のページ。スライドYouTube作品は、なんどか直して、もうこの辺で、いじらない。きのう、見そびれた(入れ直し中だった)方は、良かったらもう一度、トライしてください。

書こうと思ったのは、ロウケンのことだ。
父は、実社会では、まあまあのサバイバルぶりであったが、ロウケンではまったくだめなようだ。得意のおしゃべりも、積極的な動作ももがれていて、売りがなくなると、とたんに、苦しくなるらしい。
孤独ということは、どういうことかな。毎日のように妻がきてくれて、娘や孫も時々顔を出し、ひと月に一度は、友人が会いに来る。それでも、さびしくてたまらないらしい。車いすから落ちたり、5分おきにナースコールをしたり、ネツをだしたり。落ち着いていることができない。非常に残念だが、痴呆があらわれているようで、テレビで見る相撲の勝ち負けがよくわからないらしい。ほんの2週間の出来事である。助けてあげる方法がみつからない。家へ帰れば、寝ていることしかできないのだ。それもやはり痴呆が進む。

高齢化する世界の中で、だれもが、ホームで最後の日々を過ごす可能性がある。サバイバルは続く。それは、勝ち抜くことでもないし、理性を維持することでもないようだ。できれば、日々日々を大切に感じながら、生きていたいとおもう。最後の最後で、サバイバルの極みが待っているようだ。

23.7.09

サバイバル

「良識のある市民性」×「想像力を何より大事にする」
これは時々、というか、いつもぶつかる。しょうがない。けんかをしても平行線だ。譲り合えれば最高なんだけど。

ワークショップは、ゲストの準備がすばらしかったのと、学生さんの熱心な好奇心のおかげで、だいたい、成功です。皆さん、喜んでくれた。私も楽しかった。次は、「戦時におけるアーティストの役割」という議論に行きたい。
今回もわたしはわざわざ、言ったけど、社会におきていること(戦争に限らず)に向き合い、だからこそ、芸術のための芸術、純粋な芸術を作るんだという選択も、あるんだよ、と思っている。でないと........ 何か理想に対して正しい態度であれば、なんでも良い作品ということになる。これは、違っている。これではいかんのだ。役に立ても役に立たなくてもいいんだ。役割というのは、そうだと思う。
この辺は、いちいち、言うことにしている。

「避難所としてのアート」というタイトルで、クロアチアのレポートを書きはじめている。国際交流基金へのレポートなんだけど、それだけで終わるのは、つまらないから、レポートにしたい。
「逃避」ではないのです。やはり、ただ、自分が楽しむためだけに発表をしている、というのには、ついていけない。
わたしの世代より、よっぽど、今の学生は、問題にさらされているから、かえって大丈夫かもしれないが、そこで、国内だけの、ドメスティックになりがちなのだ。で、気持ちのある学生さんたちに、外に触れるチャンスをと思っている。わたしにできることは、このくらいだ。


この一週間、ちょっと妙な作品を作りたくてがんばってみたが、あんまり、いい出来ではない。勉強にはなったけど、作品がイマイチ。
あくまで、YouTubeで発表することで作った。YouTubeのりのポップで緩いものなんだけど、アイデアはじつはしぶいってやつね。

iTuneでダウンロードしたStevie Wonderの曲をつけたら、あたりまえだけど、削除されてしまった。歌付きの作品を見たい(聞きたい)人は連絡ください。メールで、Quicktime file 送ります。

アフリカ系アメリカ人のことは、去年、飛行機の中で見た映画「The Great Debater」で関心を持つようになり、やがて、Obama氏がPresident になって以来、私は、オバマウオッチャーになって、毎日、いやがらせのようにWhite Houseのホームページを見ていました。プラハのSpeech(核廃絶)にも注目したけど、ガーナでのスピーチあたりから、「ん?」という気持ちになりました。アメリカは中東から徐々に撤退しているけど、その代わりに、アフリカの資源に関心が向いているのがよくわかり、かつ、それで彼が大統領になったのかもしれないとすら感じるようになった。そんな時に、マイケルの死があって、We are the worldを何度か聞くはめになって(別にファンではない)、もうひとつ、「ん?」。
70〜80代にアフリカ系アメリカ人は、音楽業界でちょっとしたブームでしたね、そういえば。すんごいムーブメントだった。
この25年の年月を感じて、作りたくなった。25年が、どれほど、長いか。
アメリカの何が変わったか? それを、できるだけ、ミニマルな方法で表したかったが。
いまいち。まあ、楽しんでください.........。

USA for Africaではなくて、Africa for USAです。このテーマ深めたら大変なところにはまりそう。

(削除しました。新しくベターなものをアップしなおしています。YouTubeのチャンネルをご覧ください)

17.7.09

大砲と美神















多摩美の学生の自主企画ワークショップのお知らせです。
一般も参加できます。
私、山岡は、外部のアーティストとのコーディネーターの役をしています。
参加希望の方は、山岡まで御連絡ください。

イスラエル料理と絵画と映像作品の紹介になります。

紹介アーティストのひとり、エイタン・ヘラーさんは、2018年のワールドカップを、イスラエル、パレスティナがホスト国となって開こうという提案をしているプロジェクトのために映像を作っています。
http://goal2018.org/
プロジェクトそのものは、アートではなくて、本物の(?)草の根運動ですが、大変、興味深いものだと思います。


さて、
テルアビブの方からもたらされた「戦時における芸術家の役割とは?」というテーマは、最初は東京の学生には、唐突に響いたようですが、
向き合わないわけにはいかないテーマだと考えているようです。日本においても、私たちの戦争----格差社会、貧困、暴力、孤立、無関心、無力な政治---があるわけだし、と。
現在、e-mailやfacebook、webのコミュニティを使ってコミュニケーションが始まったばかりです。
多摩美上野毛校カフェ10番テーブルが拠点ですが、別の大学の学生、社会人なども参加しています。


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多摩美術大学映像演劇学科の学生によるセルフエデュケーショナルプロジェクト
テルアビブ〜東京コラボレーション企画
「Cannons and Muses : Art in a Time of War  戦時におけるアーティストの役割を考える」

WORKSHOP vol.1
イスラエルの料理をいただきながら、イスラエルの生活と作品の話を聞く。

日時:2009年7月21日 12:00 (トークだけなら13:00)
場所:多摩美術大学上野毛校 3号館 映像スタジオ
参加料:無料

12:00 料理を一緒に作る
13:00 作品紹介 + トーク + 質問とディスカッション

ゲスト*ダフナ・アヴィダン(画家、イスラエル出身)+ 羽川幸一さん(映像作家)のご夫妻


<紹介作品とアーティストプロフィール>

羽川 幸一さん Hagawa Koichi
1967年東京都生まれ。画家・映像作家。東京芸大絵画科博士課程満期退学。 ニューヨーク大学、プラハ工芸大学にて映画制作を学び実験映画やドキュメンタリーを制作。04、05年映画美学校のドキュメンタリー映画監督佐藤真氏に師事。人物、風景のドローイング制作を続けながら、個人映画を主に製作活動の中心にしている。 
16mm、8mmfilm、デジタルビデオテープで撮影した素材をパソコンに取り込み編集している。紹介する作品は、映画『砂漠で乾く』。1992年から制作中。

ダフナ・アヴィダンさん Dafna Avidan
1968年U.S.A生まれ。6歳よりイスラエルで育つ。画家・アートブック作家。エルサレムにあるBezalel美術大学卒業。94、95年テルアビブの街に出て壁にグラフィティー(型を使った落書き)をさまざまな公共の場所で「Dogs」を展開。99年フレスコで『Birds』を制作。紙やキャンバスを支持体にエアーブラシ、油彩を用いている。 手作業で一冊ずつ作る本は、昆虫図鑑のようなものから、私的な絵日記風のものなどがある。最近は子供向けのカードを制作。ニューヨークPrinted Matter、東京ワタリウムに自主制作のアートブックを置く。

エイタン・ヘラーさん  Eytan Heller
1968年ブリュッセル生まれ。20歳よりイスラエルに住む。エルサレムヘブライ大学にて政治学の学士号を、ロンドン経済スクールで国際経済の修士号を取得。様々な国際的なNGOで働いた後、ニューヨーク大学の16mm映画制作を修了。現在は、イスラエルでテレビ番組の制作に従事しながら、ショートフィルムを制作、イスラエル内外で、発表を続けている。「壁のないアーティストたち」というイスラエル〜パレスティナのフォーラムのメンバー。
今回紹介する作品『If you bring it to me』は、広島の原爆の写真を、イスラエル人に見せ、どう思うかを、インタビューしたドキュメンタリー作品。『Love Sum Game』は、イスラエル〜パレスティナ間の壁越しに、両者がテニスのゲームをするユニークなショートフィルム。



<プロジェクトについて>

 このプロジェクトは、テルアビブの若いアーティストと東京の学生がインターネットを通して交流と共同制作をしようというものです。テーマである「戦時におけるアーティストの役割とは?」は、テルアビブ側からもたらされてもので、まさに彼らには切実なことですが、東京の学生にとってそれは、遠くの出来事だと感じるかもしれません。しかし、本当に遠くのことでしょうか? 実は、私たちにも、私たちの戦争がある。格差社会、無関心、偏見、無理解、孤立、絶望は、他者への想像力の弱さと欠如がもたらしたもの。この「緊急時」の想像力を鍛えるために、私たちは、このテルアビブからの問いかけに応えることにしました。プロジェクトに興味のある人は御相談ください。Mixiにコミュあります。(大砲と美神、と言う名前です。)

ワークショップとして、イスラエルのことを知る勉強会を開きます。東京近辺のおられるイスラエル人、あるいはイスラエル、およびそのアートに詳しい方をお招きして、お話を聞く会を何度か、催します。興味のある方は、プロジェクトに参加していなくて、参加することができます。


<企画>
テルアビブ〜東京コラボレーション企画「Cannons and Muses(大砲と美神):Art in time of war」
代表・後藤天(多摩美術大学映像演劇学科2年)
コーディネーター・山岡佐紀子

14.7.09

活路

活路、ってどういう意味だろう。ふと思う。

今、書かなくてはならないレポートをほったらかして、はまっていることがある。
でも、今は、それは何かは書かない。発表したくてうずうずしているけど、ばっちり、作ってからにしたい。かなり安易なつもりで、始めたけど、案外、よく考えないとできない部分があって、頭をめぐらす。イメージのとびらを、さぐる。知らないことがネタだったけど、わたしのやり方を、紹介するには、いい方法だからと思ってやっている。でも、くだらなくなるかもしれないし。
時間と身体がテーマというと、ショーパフォーマンスしかないわけではないのだ、ということを、行いたい。また、発表場所は、Youtubeになりますよ、きっと。なんか展覧会のお誘いでもあれば、展示バージョンにできろんだけどね。

モチベーションというのは、自分にふりかかってきたことから、見つけ出すものなんだろう。自分が新しくなれる感じ、これを活路という。


写真は、ザグレブの銀行前。
若者たちが、遠巻きに、見ている。拡大してみてくださいませ。
そういえば、この町には、路上酔っぱらいとか、路上生活者はいない。たぶん、けーさつが、すぐに追い払う、拘束するのだと思う。

9.7.09

2018ワールドカップ

2018年のフットボールのワールドカップ開催地になろうという草の根運動。賛同者、スポンサーを募集しているそうです。ジョークではなくて、
本物みたいです。イスラエルと、パレスティナがホストになって、開催しようと言うわけ。実現するとすばらしい。
「わたしたちは、同じを土(草地)をわけあい、私たちが協力し合えるような未来を想像し、戦闘ではなくて、フットボールを競う」
開催都市案。

6.7.09

老いと死の作品、映画

以下、「美術観察学会」のMLに投稿した文。いろいろな人が、会員になっているMLで、書き過ぎかな〜と思ったけど、書いてしまった。

ベネチアビエンナーレのやなぎみわさんの作品。もちろん、プロフェッショナルとしては、すばらしい。わたしなど足下にも及ばない。だけど、観客としては、意見をもってもいいと思うし、そういうことにさらされてなんぼの、世界の人ではないかと思う。また、わたし自身にも、帰ってくる。もしかして「そんなレベルで見ていたのか」ということになるかもしれない。でも、背伸びも、かがみもできないから、しょうがない。自分の感覚を確かめるために、観察記録は書いておきたいと思いました。だめかな。


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クロアチア、ベネチアなどに行って参りました、山岡です。


『ART iT』新サイト。さっそく拝見して、ちょうど、気になっていた、やなぎさみわさんのインタビューを読ませていただきました。

そこにハリウッド映画の「ベンジャミン・バトン」のことが触れてあり、わたしと全く違う感想なので、面白いと思いました。これは、やなぎさんの作品に関連することなので、遠回しのようですが、このことから書きますね。

私の感想を先に書きます、........けっこう期待して見た映画(帰国の際の飛行機の中のサービスで選んだ)なのだけど、あまりに表面的なドラマで、少々、がっかりしました。

老いや運命について、見た目のことばかり、老いは不幸で、あきらめなくてはならないもの、といった印象。台詞がどうであれ。アイドル映画なんだな〜と思ったが、ブラピが、すてきだったシーンはほんのわずかで(笑)、なんか中途半端。

フィッツジェラルドの原作はどうなのでしょう。

前半の、子供の心で、老人の外見の時、顔に何かはりつけて、ごてごてになっていて、老人の魅力である、そぎおとされている=失われている、生の潔さみたいにみえるもの、でありながら、凝縮されたどろどろした欲望がほの見えるみたいな、独特の、感じではないですよね。単に、皺と、シミが皮膚の表面に付着しているだけ。ブラピなら、しぶ〜いおじいさんになると思うのだけど。でも、技術はわたしは、とやかく、言わない。

醜い、ということだけを表している。それに、喪失は、不幸だけではないでしょう? 一方、若さとは体力があって、記憶力がよく、美しいという、こちらも、ステレオタイプ。

それから、後半、外見が子供になった老人の、心の複雑さをどう表現するのかしらと楽しみにしていたのに、ベンジャミンは痴呆症になっていて、感じとしては、記憶喪失になった少年のようでした。まあ、ハリウッド映画の限界かな〜と思ったり。

老人って、まだまだ、未開拓な分野なのかしらね。このごろ、都合があって、様々なご老人を観察する機会に恵まれますが、ぞっとするほど沈痛な場合もあるし、とっても、複雑なですよね。年代や病気によって、様々な段階があるし。あんまり、一面的だとつまらない。

一方、やなぎさんは、「ベンジャミン・バトン」を、評価しておられるようなので(技術的な面を、なのかもしれませんが)、ここにおいても、「老いと死」について、彼女は、わたしとは、かなり違う感覚の人なのだなと、つくづく思いました。


あるいは!!

いっそのこと、外見のことだけをすべてとして見るのも、クールなのかも!それも思想でしょう。内面など、妄想と想像でしかないと。いや、しかし、わたしも、外見のことを、言っていると思います。


ベネチアで拝見した作品について、わたしはあれこれと、考えていたところなので、読ませていただいた面白かったです。作品のアイデアがどうわいてきたのか、影響を受けたことなどを知り、ちょっと先入観をもっていたのを申し訳なく思ったりしましたが、最後の方で、「ベンジャミン・バトン」の感想を読み、私がちょっと感じたことは、先入観ではなかったと、あらためて、わかりました。作品を通した場合と、言葉を通した場合の、ずれも、また、芸術のうち。「落ち」は、ない方がいい。


ベネチアには、わたしは、船の都合で5時間しか(クロアチアから船で参りましたが、その後、2日間、決航なので、日帰りするよりなく)いなかったので、本展示場であるジャルディーニ(Giardini)と、アーゼナルの一部だけ見ました。

やはらかな遊びの精神のある作品が多かったようで、印象に残りました。痛烈なことも、肩の力を抜いて、優雅に、表している。やなぎさんは、会場をサーカスのような移動民の場所をとらえていたようですが、他のパヴィリオンでは、もっと日常の中にある、となりドアを開けた場所という捉え方をしていた作家が多かったのが、興味深い違いでした。どうしてかな。


ビエンナーレ。疲れるかな〜と思っていましたが、なんのなんの。逆に、世間の暮らしのセンスの、疲れを取ってくれました。社会や人々の先入観と戦うのが、私の日常ですから。まあ、金持ち文化をありがたがるのも、我が身を振り返ると、どうかと思ったりもしたり........。それでも、想像力は想像力。ですから。わたしは、楽天的です。

Kさんおすすめの、スエーデンパヴィリオンは、わたしの友人も推薦しており、確かに、こにくい演出。楽しかったです。他にもいろいろ、思ったことが、頭の中で、まだ、爆発しております。

また、あらためて、感想を書くつもりでいます。たぶん。


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ちょっと、作文が雑だなあ。



山岡佐紀子

3.7.09

太陽、ロウケン

<太陽>
 南欧の太陽には、驚いた。緯度は、日本の東北くらいなはずなんだが、ものすごく強い。南仏に行った時のゴッホの絵が、まっ黄色になった理由はよくわかる。その他、ヨーロッパの北側の出身の人たちが、なぜ、皆、光のことを書くのかよくわかった。ワインがおいしいはずだ。おいしいし、美しいけど、わたしの身体が対応しなかった。日本人でも、亜寒帯の生まれだからね。ゴッホは、日本もこうに


















違いないと書いていたが、それはまちがい。全然、違う。目が痛くなった。サングラスか、帽子が欠かせない。

それだけではない、光に当たりすぎたせいで、身体を壊してしまった。その上、たった1日だけの雨の日はすごく寒くて、皆さんはいきなり、オーバーなんて着ていた。が、そんなものは持ってなかったので、重ね着で過ごしたが、身体は、びっくりしたらしくて、それも身体を壊した理由。

写真は、クロアチアの農村スタグリネツの畑(麦ととうもろこし)を、ひとりで延々南下していた時に会った、トラクターのナイスなおにいさん。まったく言葉は通じないけど、畑の歩き方を、念入りに教えてくれた。(踏まないで、すり足して歩くようにと。)
もう一枚の写真は、まさに、黄金のフィールド。その美しさをうまく撮るには、カメラの設定を変えなければならなかったかも。これではただの藁に見える。

それでもって、畑を4時間くらい歩きまわっていたのだから。
 帰国後、どっと出た。もう1週間が過ぎた。筋肉が動かない、むくんだ、などの症状から、カリウム不足であると自己診断して、スポーツドリンクをがんがん摂取し、果物、野菜、芋、豆などを努めて食べた。ようやく、きのうあたりから、まともになってきた。

<ロウケン>
 7月1日から、介護保険制度が色々変わったそうだ。運良く、1日に、父が今度移る施設の申し込みに行ったので、新しい、法律を適応してもらえる。まさに、父の為みたいな感じ。ロウケンというところは、老人保健施設と言って、長く病院にいたご老人が、自宅に帰る前に、日常生活を送る練習をするところ。ということになっているが、老人ホーム代わりにしてしまっている人もいる。3ヶ月までということになっているけど、帰る宛のない人まで、追い出さないから。父は、その理想通りの患者で、家に帰る為の練習をするために入る。練習と言っても(元気な若い人が聞いたら、よくわからないだろう)、1日中ベッドにいた生活から、寝るときだけベッドへ入る、という生活の練習のこと。それから、ベッドで御飯を食べるのではなくて、食堂で食べる。そんだけの話、言ってみれば。それが大変なのだ。父の場合は、便器でおしっこや、うんこをする練習というのも、含まれる。左半身が不自由な父には、これは本当にむづかしい。

老人の施設というと、暗いイメージかもしれないが、そこは2年くらい前にできたところで、父は「ホテルのようだ!」と大興奮。確かに、落ち着いた木目調の壁、柱で、シック。上の方は、真っ白で、明るい。父は、すっかり、張り切ってしまって、体操をしているご老人のグループのところへ行って、いきなり、「山岡です! 今度、ここでお世話になることになりました。よろしくお願いします。」と挨拶をした。だが、誰も、父を見ないし、返事もない。半分は、ほとんど、寝ているし、たぶん、痴呆の人が多いのだ。また、なつかしの昔の歌や出来事を、職員がおしゃべりして、御老人たちが、一緒に歌ったり、何か話したりするといったグループのところへ行くと、張り切って、「支那事変は、昭和12年7月7日です!」と知識を披露。でも、誰も、父を見ない。それでも、めげずに、「よし、おれの、川柳教室を開けるかもしれん」と言い、ナースステーションにいきなり、「どう?」と掛け合う、積極ぶり。たぶん、面白ければ、みんな目をさまずと思っている。
これまでも、少しは思っていたけど、わたしの父は、かなり、変わり者。躁鬱が激しい。躁のときが、95パーセントで、明るくて、気前がよくて、自己アピールが熱心。お葬式に行っても、にこにこするので、母が困っていた。
若い職員のおにいさんが、心配して、「あまり期待されると、がっかりするかもしれないですよ」と言っているけど、聞いてないみたい。一応、痴呆だけは来ていない父なので、どうなることやら。