27.11.07

I met Mitsubishi Family

















気がついたら、そこらじゅう、ミツビシです。
日本ケンタッキーフライドチキンを、アメリカに本社のあるケンタッキーフライドチキン社から、三菱商事は買い取ろうとしています。
http://www.mitsubishicorp.com/jp/pdf/pr/mcpr1031k3.pdf
王子製紙と業務提携を決めたのも、三菱製紙です。この場合、王子の方が、強い立場なんですが。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20071121k0000m020091000c.html
三菱重工名古屋が、社会人野球で決勝進出、トヨタに負けました。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2007/11/25/14.html

以下は、三菱商事広告。池田一さん、パクられたか、池田さんがパクったか。
http://www.mitsubishicorp.com/jp/ad/foryou/index.html

16.11.07

道連れ行き倒れ in Chiang Mai

チェンマイでの2つめのパフォ。3人の王様が同盟を結んだことを記念した銅像のある公園(信仰の対象でもある)。このあたり、日曜は車が規制されて、たくさんのマーケットが立つ賑やかな場所。ここで、「道連れ行き倒れチェーン」のパフォをしました。最初わたしは3人の王の銅像の前で立ち、手を差し伸べて、誰かがその意味に気がつくまで待ちます。ミャンマーの若いアーティスト、モサがさっとやってきました。まずは二人で歩いて芝生のところへ行き、寝ました。親子心中のようです。静かに死んでいるように見えます。それから、立ち上がって、またひとり、またふたりと、どんどん、手をつなぐ人は増えていきました。どんな意味と理解したかは知りません。スペイン人もつながります。違ったシチュエーションの4カ所で寝ました。円形になったのは、だれかがなんとなくそうしたのであり、私がそうしてくれと言ったわけではありませんでした。平和のためのデモンストレーションみたいにも見えたと思うけど、わたしとしては、そうかもしれないが、それだけでもないという考え。その理解も人それぞれで違うという事がわたしの狙いです。

15.11.07

Best Place to Sleep in Chiang Mai

銀行ATMで寝るというプロジェクトは日本中、世界中、それのあるところで、やり続けようと思っています。チェンマイ市内には、ATMはいたるところにあります。ほとんど1ブロックごとにありました。ガラスに囲まれることもなく、無防備な感じです。最後の一枚は、夜中の2時頃。いつでも、お金を使うように、期待されているのです。



14.11.07

I met Crupp Family, work 2 in Chiang Mai

















チェンマイから帰国しました。パフォーマンスフェスティバル「アジアトピア」vol.9に参加しました。日本からは、私の他、田中照幸さんが参加しました。主に、タイのアーティスト、他にはミャンマーから2人、インドネシアから1人、シンガポールから3人。ドイツ1人、スペイン2人、カナダ1人で、圧倒的に東南アジアの風でした。ステージは基本的にチェンマイ大学内や市立博物館の外など。観客は主に学生、通行人でした。滞在中、私は風邪をひいて高熱出したりしたので、帰国後は少々疲れて休んでおります。排気ガスがすごかったのもあると思います。
写真は、私のパフォ。「商品」がテーマです。特に重工業。東南アジアの町では、日本製品(車、電化製品)があふれかえっていることを揶揄して、特に今回は三菱にフォーカスし、三菱の航空機(軍用機)の新旧ラインアップを紹介。東南アジアが軍用機まで買っているかどうかは知らないけど、部品の製造はしているかも。それにしても、世界広しといえども「商品」の中で、軍用機程、美しく、かつハイテクノロジー、かつ人間の夢を実現したものはありません。なので、このテーマは日本とアジアの問題ではなく、普遍的なテーマです。この写真を、1枚1バーツ(0.3円くらい)で売りました。結構たくさんの人がわいわい楽しそうに買ってくれてびっくりしました。お土産感覚かな。遊び感覚を刺激したようです。ちょっとその辺は、個人的にはショック。その後、私は三菱のテレビの段ボール箱を潰して、濡らしてどろどろにし、みすぼらしい飛行機を作り、赤く塗りました。血まみれって感じです。楽しい遊びのパフォかと思ったら、みすぼらしいものが後で出て来たので、どう考えたらいいのかわからないと言う風に、みなさんは呆然としていましたね。私としては、論理的な帰結です。岡に上げられた鯨みたいだって、言う人もいました。そういうポエティックな想像力は好きです。良いとか悪いとかではないのです。サン・テグジュペリだって飛行機事故で亡くなりました。わたしの高校の時の親友の柴田真美も、女だてらに航空自衛隊に勤務して、25歳の若さで、九州の山に散りました。彼女は、飛行機が大好きだった。
この作品は「I met Crupp family」のシリーズの第2回目です。近代重工業をテーマにしています。この辺のことは、もっと学ばなければと思っております。別に、東アジア解放戦線みたいに、大企業を攻撃しようというのが、わたしの目的ではないので。
以下のサイトも参考にごらんください。
http://www.mhit.co.th/

13.11.07

最近

作品で反感を買うことが増えて来た。あまりにわたしが簡単なことですましているのが、気に入らないのかもしれない。でも、それは、狙いでもある。芸術ってすごいもんだなんて、思わなくなった。崇高なことであるわけでもない。善良を気取るのは、もっとも意に反したことだ。ちょっとした視点の違いを提供するだけ。少しだけ、呼吸が楽になるように。世界はあまりに禁止事項が多くて、あまりに暴力が多いから。緊張を解きたいだけ。今なら、脚立を置いて、天井に小さく、noと書いても良いのである。わたしなら、noと書く。いつもと同じだと思うなよ、のメッセージだ。あなたの知ってるあれと、同じと思うなよ、と。
わたしは、誰にでもできそうなことをするようになった。はあはあぜいぜい言うようなのをやっていたことがあって、それでもって感動されてたが、その時は、その努力に感動されているようにしか、感じられなかった。熱とかエネルギーは、とりあえず、説得力があったりする。実のところ、それぞれの人は、その都合で、いろいろ感じているにすぎないんである。アーティストなら、自分の作品が否定されるような作品は許せないとかね。だから、わたしはもう、自分にとって、意味のあることをするだけ。ただし、スタンダードにはならない。はずしていたいのだ。ちょっと怒られたいって、いつも思っている。「おいおい違うだろ」ってね。
それから、病気をして、身体のコントロールがむずかしくなった。あせってどうにかしようと思ったって無理なんだもん。醜いと思われていてもいいことにした。でも、それが、そう容易くはないのは、本人にしかわからないでしょう。

まだ、耳に入ることが気になることもある。それと戦うことも修行のうちだ。「聖アントニウスの誘惑」と同じである。今はただ、自分の思想を自分で研ぎすます、だけである。

5.11.07

ロケット13号打ち上げギャラリー


http://h2a.mhi.co.jp/f13/gallery/index.html
三菱重工。打ち上げギャラリーです。動画が見られます。かぐや姫、9月に成功していたんですね。三菱のマークと日本の国旗が、しっかりデザインされています。

ではわたしは、明日から14日まで、タイのチェンマイに言ってきます。

3.11.07

Best Place to Sleep

パブリックアクションプロジェクト「Best Place to Sleep」推進中です。

10月28日の日曜日、三菱東京UFJ銀行の丸の内の本店から寝始め、大手町の東京営業部、日本橋支店(日本橋室町支店)、日本橋中央、高島屋、プラザビル、八重洲支店、八重洲中央支店、銀座1丁目など、
東京駅近辺の10のATMで寝ました。

銀行は、常識的には間違いなく私企業ではありますが、国家の税金が使われている企業でもあり、彼らの経営が国の経済状態に多大の影響があるということを考えると、プライベートカンパニーと言い切るには、
あまりにパブリックな要素が大きいと、わたしは考えております。つまり、”ある程度は”、私達国民の場所=パブリックスペースもある、と言ってもいいのではないか............。

三菱東京UFJ銀行は、わたしのメインバンクだし.........。
..................それで、まあ、少しの間くらいは、休憩させてくれてもいいではないか、という気持ちを表すために、このアクションを始めました。
特にこの銀行は「眠らない銀行」の走りですから、やさしくわたくしの睡眠を見守ってくれると、信じております。実際、トラブルもなく、なかなか気持ちがよかったです。

このプロジェクトは、パブリックとは何か、の問いのひとつの答えでもあります。

2.11.07

アジアトピア9

http://asiatopia.blogspot.com/2007/10/9th-asiatopia-schedule.html
今年のアジアトピアは、東南アジア色が強い。本当のアジアトピアだ。
今年の2月に、イギリスでチュンポン(アジアトピアのディレクター)に会ったとき、彼は、欧米人およびその文化への反発を表していた。控えめな口調であったが。
彼は、ボストンでアートを勉強して、英語はペラペラだし、欧米でちゃんと尊敬されている人である。
これまで8回アジアトピアをやってきた中、7回目までは、欧米人がたくさん参加していた。
だが、昨年の政情不安の影響か、彼がバンコクでのイベントの地盤をなくして、チェンマイへと会場を移したあたりから、様子が変わってきた。昨年暮れに、件のボリス・ニーズロニーと共同企画したベトナムでのアートイベントに、彼はコーディネーターでありながら、欠席したのだ。何があったのか?
今年は、シンガポール、ジョグジャカルタのフェスティバルの報告会が、ある。アジアのネットワークを強めようというわけらしい。