20.7.11

北武蔵野を考える その1

所沢に住んでいる友人が、急に私の住んでいる川越市にやってきて、「この辺いいわよね〜。所沢も案外いいのよ〜」。地元を見直そうというわけ。私もそれに賛成することにした。

それで少し今の感覚を確認しておきたい。


世間の「地域社会」ムーブメントとしては、かなり、遅い出だしだ。しかし、それには理由がある。彼女も私も、地元の人間ではなくて、両親の都合で、引っ越して来て、そのまま、というタイプ。地元で、学校に行ってないし、知り合いが全くいないのだ。転勤族の第2世代の苦悩って、判る?だが、ふと考えると、たぶん、今後もここで暮らすという可能性が大になってきた、ということ。


地元志向という動きは、世間では盛んであるけど、ぎくしゃくもしている。横浜寿町にでかけると、ヘルパーさんに「あんた、地元にもあるでしょう?」と言われ、「しょば」荒らしだと誤解されたことがあった。小金井でも「地元はどうですか?」って聞かれた。もっと以前には、川口で「よそ者は、やりたいことだけやって帰って行けるからいいよね」と言われた。「地域振興」には、丸いものが必要なので、別の意味で、今度は「守り」に入ったりしているかもしれない。どこも居心地が悪いというのが、私の正直な気分だ。行政主導の「地域おこし」も、マフィアなネットワークに見える(すみません。誤解だったら、許してね)。



さて。

川越は、かなり特徴的な場所である。
なんと言っても、地元のデパート「まるひろ」がある。人が想像するような、廃れたデパートではなく、今も、他の商店よりも「高級感のある」ものを売っている場所であり、それなりに、最先端を目指していると思う。「まるひろ」は、この地域の主要な場所の地主でもあるらしく、駅ビルや、ユニクロ・紀伊国屋書店・ソフマップの入っているビルのオーナーである。
川越は、商人の町だ。大抵の他の「武蔵野エリア」では、農家の地主のパワーがなんと言っても強いのと比べると、川越は、異色である。城下町でもあり、門前町でもある。つまり、観光地である。

しかし、「近代的な意味での文化」の町とは、言いにくい


近代的文化の町の条件は、たぶん、「本屋」と「カフェ」だと思う。いい古本屋がある町には、かならず、いい「本読み」がいる。安易な図式かもしれないが、古本まで探して本を読む人々というのは「近代的」に言って文化的生活を送っている人々、を意味するだろう。以前、一人暮らししていた市川にはいい古本屋があったし、最近よく出かける用のある小金井にもあるよね。市川には「蛍明舎」というコーヒーがおいしくて、そして「静かに読書ができる」喫茶店がある。小金井には「フロンティア」がある。
川越は、東京の通勤圏としては、少々遠かった。市川は、浅草や銀座にすぐに出られる町であるが、川越から出るのは、池袋である。池袋西武が、「文化」を発信しだしたのは、80年代になってから。我が家族も、その頃、やってきた。その後の「文化」といえば、ご存知のように「泡」しかなかった。「西武」は、沿線に文化は創らなかったんだね。
川越の場合は、古本屋は「ブックオフ」、喫茶店は「スターバックス」が3つ、ドトールがたぶん「3つ」。店はたくさんあるけれど、たいてい、大資本によるチェーン店だ。観光地である「大正ロマン通り」には、喫茶店があるけれど、プチ観光のおばちゃんたちが、きゃあきゃあうるさい。地元の本屋はバブル期〜バブル以後につぶれてしまった。今は、紀伊国屋書店とビブロ。そういう町だぜ。観光エリアに喫茶店増えてきたけど、どうなんだろう。

一方、川越祭りは、間違いなく、すばらしい近年、ますます、磨きがかかってきた。誇ってよい。これがあれば、この町には、アートはいらないと思う。福祉なら、別の方法があるじゃんと思う。埼玉の他の町でやっているような「アート」がこの町にやってくるのは、あんまり、歓迎しない。あの祭りのある町として、相応しい「センス」のものではなければ、先人に恥ずかしいと思う。


今、私がこの辺で惹かれているのは、小川と草と樹木とほこらと小さな古墳群。北西に行けば行くほど、あやしいところがたくさんある。一人で延々散歩をしていて、飽きない。江戸時代以前からある、人間の暮らしや、想像力の痕跡。
アートが「クリスチャン」の影たっぷりな文化である以上、この「感覚」は、「カウンターカルチャー」の立場に違いない。しかも、「繁栄」とは違ったものだ。だが、これは、大事にしたい。今のムーブメントである「アートで町おこしを」というのは、こういうことを、潰しかねない気がする。「きたなくて、暗くて、怖い」とか言われそう。
安っぽい「おされ」なものや、子供っぽい「しつらえ」のものは、どうもしっくりしないんだ。だからって「レキ女」もどうかと思う。
高齢化の町である。「若いエネルギーを」と言うのは、高齢化している人たちを、疎外するだけの話。


アートと土地愛は、どちらも、誇りに、大いに関係がある。




サイトスペシフィックな表現を、主なテーマにしている私としては、安易に「面白そう〜」なんて関わりはできない。