30.9.07

書き上げる

ジョグジャのPerfurbanceというフェステイバルの記録本のための文章、やっと書き上げた。あんまりにも書けなくて死にそうだった。なぜこれほど書けなかったのか、わからない。2週間かかった。他に何もしなかったわけではないけど。ジョグジャが問題なのではなくて、わたしの頭の状態の問題。読めば、1時間で書き上げたと思うような平易な文。英語文チェックにさっき出した。やっと前に進める。

29.9.07

メルティン

初台のアートギャラリーに行きました。とても贅沢に3人のアーティストが空間を演出していました。バブルな空間認識を感じました。ちょっと違和感。

27.9.07

エイコー



ミャンマーで、僧侶たちのデモがおき、軍が制圧している。死者も出ている。
写真は、今年4月にインドネシアで会ったミャンマーのアーティスト、エイコー。

24.9.07

パファーバンス



















今年4月に参加したインドネシア、ジョグジャのフェスティバルが、本を作る。カバーデザインができてきた。わたしのアクションをこんなに使ってくれていてうれしい。もちろん、他にもたくさんすてきなパフォはあったけど、このパフォは、村人が主役だから、表紙に使うんだろう。借景としては、成功している作品だ。場所は墓地。あたしの顔かくれてるけど。

22.9.07

G.GとI.K

今日は2つのことで、出かけた。ひとつは、例の「ゲリラG」について。彼女たちが来年1月末に名古屋に来日するので、東京に呼べないものだろうか、ということを画策している人たちのミーティングに参加した。そこでの問いは、ゲリラGは80年代に活躍してわけだが、今は何をしているのだろうか、ということ。時代とともに変化してきた社会に、今はどうアピールしているのだろう。

もうひとつのイベントでは、何人かのパフォーマンスアーティストを見た。たとえば、イシュティバン・K。平和とか自由とか革命とか、そういうことの希望と問いと痛みと失望を、彼の育ったハンガリーで散々、見て来た人。今はカナダに住む。60歳くらいになっているかしら。パンクな表現が得意。でも、今回はヒロイックな感じではなく、親しみのある感じ。コミュニケーションがイベントのテーマだということを意識しているのだろう。彼は、フレキシビル。席が近かったので、少し話したが、むしろおせっかいなくらい気遣いのある人だって知る事ができた。元気だし。見習いたい。写真は、90年代に、誰だったかの展覧会で何かをしたらしくて、美術館員に追い出されるところ。彼のホームページのトップに載っている。

21.9.07

不思議なベンチ




















あるところで見たベンチ。なぜ、パーテーションがあるんだろう。丸見えなのも変だし。
I saw strange benches. why we need the partation each other?

19.9.07



現代美術館に行ってきました。こんなポスターを見たので、御知らせします。
ちなみに、わたしが見た展覧会は、「磯辺行久」展です。受付付近に、あまりに人がびっしりいるので、びっくりしたら、となりで、となりのトトロの背景を描いた人の展覧会をやっていました。平日の4時だっていうのに、本当に、驚く程の人が並んでいました。わたしはその絵描きの名前、知りませんでした。もしかしたら、現代日本人としての常識なんでしょうか。たぶん、あの人の多さは、荒木のぶよし展の時以上です。

18.9.07

ジョグジャ地震を思い出す



















昨年6月初旬のジョグジャカルタの写真。今日は、ジョグジャの今年のイベントについて、文章を書き始めた。今月末が、締め切りなのだ。翻訳の時間もいる。
今年4月にわたしの参加したジョグジャのイベントPerfurbanceは、去年のインドネシア地震(5月28日)の後、ある村の復興を手伝った若いアーティストたちが1年後、その村の協力を得て、行われたフェスティバルである。それで、地震直後の5月30日からの何ヶ月かの間、現地のオーガナイザーのイワンが送ってきていたメールを読み直している。彼は村の復興状況について書いてきている。

Art of Begegnungについても、少し書いた。こちらは気持ちがまとまらないけど、ちょっとしたテクを思いついたので、なんとかなるだろう。やはり、詩のセンスが大事。

16.9.07

sleeper



















I saw such young sleeper in my town.
駅で寝ている若者。ズボンがずり落ちてている。楽なのかな。

On the otehr hand, I am interested with Bridge.
Yesterday, I drived to northern from Tokyo. I saw a lot of intereting bridge.
I think I will have something with bridges., maybe、big influence from Krupp family.
別件だけど、どうも私は、橋に興味があるみたいだ。
きのう、車で水戸に行ったが、その途中、たくさん見かける橋に見とれてしまった。以前は、そんなに関心はなかったのに。たぶん、ドイツのクルップファミリーに出会った影響であろう。

15.9.07

デジタル写真のプレゼン

仕事である建築現場に行った。こちらはデザイン系の仕事で行っていて、現場の人に頼んでおいた定点観測写真を受け取った。その時、整理した方がいいので、後で郵便で送りますと、彼らは言っていたけど、こっちでそれはやるからと、その場でCDにコピーするのを待って(これが意外と時間がかかった)、受け取った。そして、今それを見ている。
なぜ時間がかかったか、わかった。分類して、日付を入れていた。感心しました。どうしてもそのまま、渡す気持ちにはならなかったのだ。

わたしの今までのアート関係の経験だと、たとえ、撮影料を払ったデジタルでも、なんら整理されていない写真を受け取るのが常だった。それどころか、カメラに入っていた、プライベートも写真も取り除いてないこともあった。で、まあ、普通、人はそうするんだろうな、とあきらめていた。

だから、この丁寧さには、心が動いた。

アート業界は、もっと実業の世界に学ばなくてはいけないんじゃないかな。


写真は銀座1丁目UFJ銀行にて。Best place to sleep

14.9.07

Emergency

プロジェクトタイトルは「緊急課題(Emergency)」。
目の前に起きている様々な他人事ではない問題に、実際、関わる形で、アーティスティックな活動をしている人たちを招待する。
タイ、インドネシア、アメリカ、日本。このプランの中には、アーティストではない人もいる。貧困、セックスワーカー、災害、人災、政治格差、アメリカ支配の世界。どれも、ぼんやり見てはいられないことばかりだ。そして、わたしたちは当事者である。

写真は、ワルシャワの議会ビルの前の路上でやっていた展覧会。1945年から民主化になった1990年までの間に、ソ連のKGBのための働いたポーランド人秘密警察の肖像写真と彼らが何をやったかを告発する展示。暗殺、拉致など。彼らは、民主化の条件として、刑事的な処罰はなしに、今でも市民として暮らしているが、現在のポーランド政府はこういう形で、彼らをさらし者にしているのである。This is a street exhibition in front of the parlament in Warsaw. They are showing portrait with document whose secret offcer woked for KGB from 1945 to 1989. The document inform their activity, for example, they killed Polish people or abducted poeple.

一方、わたしが招待の準備をしているアメリカ人のマリリンは、ポーランドがイラクへの出兵の協力すれば、アメリカがポーランドとのビジネスの契約を約束するというを条件を出した、という政治的な出来事をテーマにしたアクションを、ポーランドにて、2004年に行った。サイトスペシフィックなのだ。彼女はそういうアクションをすることで、彼女自身が現地の人に反発されることを恐れていない。作品と彼女自身と混同する人はいるし、もちろん、そこを狙っている。リスクを負っているのだ。ストレートだと思う。

13.9.07

さて。
今年度最後の方でするかもしれないイベントの申請書書き、2組。やっと終わった。明日投函。
かなりだらだらやったが、書きながら考えを整理した。こういうものでもなければ、ちょっと後ろ向きになったかもしれない、秋のはじまりであった。
ひとつ居場所にいられない質なのに、ぐずぐずしていて、お尻を叩かれたんだな。準備もなく出てきて、まだ慣れていないが、ススメ、ススメ。で、気分転換に、ブログも外に出ました。

春にパフォーマンスのミニレクチャーをすることになるかもしれない。外国でなんだけど。資料集めを始めるべきでしょう。

Any way...........
I have applied to get support for the next my project in the next year. today I have finished.
I have worked them so slowly and a little bit lazy, but I needed time to think well what I would do. it was a kind of meditation.
If I did not have these works, I was in very down and too much thinking to past time.
The autum came. sping will come soon.

I think I was pushed to the world, because some person know my character that I want ot move always. I was not ready, so now I upset, but I have to go on.
Go on , go on.

In spring I might to have a lecture about performance art hystory in Japan, I have to study more.
not time to hesitate.