25.12.13

「共同主義は自分自身からの逃避であり...個人主義は想像物にすぎない。」M.Buber

ブログを書き始めて、もう、6〜7年経つが3ヶ月も書かなかったのは初めてだ。
いろいろあった。ブラジルに行って、フィンランドに行った。状況のこともあり、それぞれで作った4つの作品は全部違う。その準備やら、なんやらで、ブログを書く余裕や、整理がなされていない。facebookの投稿で、少しずつ書いてはいたが、いきあたりばったり。変化しつつある、自分の方法について、自分自身整理すべきと思っている。少々、その変化が自分で不安でもある。でも、止まっていられない。
来年になっておいおい、それらの作品について報告しつつ、よく考えたい。
以下は、最近、facebookに投稿した文章。

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今月はバイトやら請負仕事やらをかけ持ってるし、悩みもあって、ほとんどの自分の作業がストップしている感じだ。その合間にいろいろな大事な人にも会っている。なんだか、乱世だ。正気を保つために、最近、とても心の糧にしている文章を書き写したい。睡眠時間よりも大切な言葉を。

「もし、個人という言葉が人間の一部を示すものであるとしたら、共同性とは人間の全体もしくは人間の集団を示すことになろう。個人性とは自分自身での方針決定ということにおいて、人間と関わるものだ。しかし、共同性は人間に関わるものでは全くなく、それは『社会』と関わるものなのだ。このどちらの生活上の要素も、同じ『人間性』の表現もしくは産物なのである。
 事体は広く社会的な問題となっているホームレスを始めとして、かつてない世界的な生活上の懸念や不安として顕在化している。孤立感からくる不安から逃れようとして、人は個人主義の賞賛というものへと逃げ込む。現代
の個人主義というものは想像の産物である。だから想像力というものが現実の状況に関わりのないものになってしまっている。
 現代の共同主義とは、自分自身に面と向かうことを避けたいがために、人類が打ち建てた最後の障壁ともいえる。共同主義では、個人的な裁量や責任といったものに対する権利は放棄されている。
 しかしいずれにしても、躍進的解決を図れる能力などがあるわけがない。真に人間的であってこそ、真の相互関係が成り立つと言うことだけなのである。相互関係を打ち立てるには、ひとりひとりが抵抗をしめすより他に選択すべき道はないのである。大いなる不満が、人類の真の歴史のすべての過程がそうであったように、ゆっくりと地平線の彼方から現れて来ている。
 人々は、以前は一般的でないことを好み、一般的と騒がれていることには反旗を翻したものが、今はそうではない。しかし共同性の獲得については、その誤った実現化には、正しい方向性を求めて闘うにちがいない。
 人々は事実の歪曲に対しては真実を求めて闘う。その第一歩は「個人主義か共同主義か」という誤った二者択一的選択を打ち破ることなのである。」


Martin Buber 「人類の課題」1948  (「都市と建築のパブリックスペース、ヘルツベルハーの建築講義録」1995 鹿島出版会より抜粋)