29.9.09

暴力性について

〇歳児の時に、テーブルクロスをひっぱって、テーブルの上の、母が買ってきて洗って並べていた新しいガラス食器を、ガラガラと落して、喜んだことがあるらしい。
覚えてない。
でも、ガラスの割れる音は、美しい。

破壊されるものへのフェティシュ。リンゴを何度も落とすと、落すたびに、音が鈍くなって、最後には、ぐちぇ、となる。ジューースになる。うひうひ。



暴力性とも関わると思う。

暴力の連鎖ということを思う。わたしは、かなり、叩かれた。何かというと叩かれた。頬を。鼻血を出しても、許してくれなくて、外を走り回ったことがある。ブラウスが、血まみれで、泣きながら、町を走った。姉が縁側にいて、こっそり家に入れてくれた。
消したばかりのマッチを頬にあてられて、火傷したこともある。まだ、幼稚園にも行ってなかった。


誰かに、力で脅された人は、力を使うだろう。排除されたことのある人は、また誰かを排除するだろう。これでは、エンドレスなのだ。強者が上だという考え方が、どちらにもあるのがいけない。誰かが、踏みとどまってその力を、別の形で、転化する、化学反応で別のもに変える、空に送る、自然に帰す、ということに努力すれば、連鎖は止まるだろう。その気になれば、できることだ。 War is over, if you want。


歴史学者などが聞き取り調査をするとき、明らかに、歴史上ありえないだろうということを地元の人が言う時、どうするか。
1.非現実的と否定する。
2.神話とする。

どちらも、結局、関係のヒエラルキーは同じである。

3.深いところでは共感できないが、あなたの真摯な経験だとはわかります。だから、あなたの経験と私の歴史理解のあいだの接続可能性や共奏可能性について、一緒に考えましょう。

こうやって、他者との闘いの連鎖を、止めるのはどうだろう。
これは、先日紹介した本「ラディカルオーラルヒストリー」に書いてあったこと。
闘いは、あってよい、しかし、連鎖は止めなくてはならない。


私に限らず、人は身体に、様々な暴力性を持っている。


誰かが言うように、芸術とは、ある種の「事故」の体験である。「事故」のまわりにまとわりつく、何か、行き場のない感情は、事故として、どこか外に、力が吸収されれば、と思う。人間以外の方向に。

28.9.09

名前を知らない植物たち

うちのベランダの名前がわからないサボテンさんたち。
へらが棒立ちしている、みたいなのは、今年の3月に、板橋のFGカフェが引っ越しをした際、いらないからとくれたサボテン。
ずっと室内にあったので、インゲンマメみたいにひょろひょろで、しかも、垂れていたのだが、今年、うちのベランダで暮らしたら、まるで違う種類かのようになった。ずっと、光りなし、水なしの拷問にあっていたのだと思う。
花がさいているのは、ずっと前からうちにある。花が咲くとは最近まで、知らなかった。つまり、私は去年までは、ベランダに関心がなかった。子供が描くへたなお絵描きの花みたい。クリックしてアップにしてみていただくとその不思議な原始的(?)な花を楽しめます。







27.9.09

フレディ

きのう、久しぶりに横浜へ行き、芸大の先端にはじめて行き、メディアアートの講義みたいなものを聞いた。フジハタ研究室である。
ゲストで来ていた、フォルマントキョウダイ(兄弟。本当は漢字、検索を避ける為にカタカナ表記にした)の「フレディの墓」という作品を見る。彼らによる解説と、東大の記号論の先生による解析と、フジハタ先生も参加したディスカッション。2時から始まって、6時過ぎまで。なかなか、濃いくて面白かった。作品は、Youtubeアップされている。
ちょっと説明がないとわからない作品のような気もする。
フレディ・マーキュリーの声をコンピュータで再現して、「インターナショナル」を歌わせている。フレディの生まれた年に、東西冷戦が始まって(1946年)、亡くなった年にソビエト連邦が崩壊(1991)というわけらしい。とてもおもしろかったけど、ざんねんながら、フレディの声に聞こえないのは、惜しい。

テクノロジーを使ったアートについての、様々な疑問やテーマをいろいろ聞けてよかった。機械のテクノロジーはむやみに尊敬されているけれど、それを扱うアーティストのテクノロジー(ブリコラージュ、手仕事)の地位は低い、だが、それはとても大事という話もしていた。さすが、こういったテーマで落しがちなことにも、ちゃんと、押さえているのだ。

それにしてもフジハタ先生を、生ではじめてみた。さばけた感じの話し方など、印象に残した。帰りに、受付で、フジハタさんの本を買って、電車に乗って、読もうとしたが、ちょっと、お腹いっぱいになっていた。「現実」とか「メディア」とか「イメージ」とか言う言葉に。それほど、たくさんその言葉を聞いた。彼の著「不完全な現実」というタイトルも面白い。やってくれる。ところで、一体、この本の全ページ内にも、「イメージ」という言葉が何回あるだろう。イメージという単語の密度において、世界一かもしれない。ちょっと疲れる。その反対のものって、なんだ? 何かで、中和したい。イメージの反対は、経験? 痛いもの? 
記号論は、わたしの脳には少し限界を感じたけど、ペーパーがあったので、それを読みながら電車に乗って帰った。あまりに前のめりになって読んでいたので、前にこけそうになって、となりの席の年配の女性に怪しい奴を見るような目で見られた。


25.9.09

行いのせいではない

経済難の問題は、さておいて、最近、気分が落ち着いている。ちょっと、揺れることがあっても、戻れるみたいだ。 私は、どちらかというと、何か問題がおきると、自分のせいだと、思う傾向があるのだけど、このごろ、冷静に考えて、それは「流れのようなものだ」と思うようになってきた。反省しないやつ、みたいな感じだが。でも、どうにも、避けられないことってあると思うようになった。

大事なことは、マグマにやられないことだと、思っている。

努力したことが、すべて結果になるのだという、「自由主義経済」みたいなものは、すっかり、肩から落ちた感じ。
それより、「ちゃんとやる」というのは、「成果」のためではなくて、「事物と時の充実」の手触りを楽しむためである。
と感じている。なので、それができる人を尊敬するし、友達にもしたい。自分もすすんで行いたい。

苦手なことからは、撤退する勇気もできた。ディスカッションピクニック以降にも、いくつか何かを、楽にした。

なのにも関わらず、ちょっと前より、好奇心がぶんぶん湧いていて、楽しい。たぶん、以前は、脇目も振らずに打ち込まなくてはいけない、と思っていたのだと思う。

今日は久々にほとんどでかけず、家にいたので、身体を休めることができた。
では、またあした。良い日でありますように。


写真は、「風の宮」の、休んでいる方の土地。小さなお社がある。

最後のミニバラ

たぶん、今年最後に咲いているうちのベランダのミニばら。冬越しできるのだろうか?
柵の向こうに見えているのは、西武線本川越駅。停まっている特急小江戸号の天井と脇が見える。うちは11階で、駅を見下ろしている。

24.9.09

今日の考察

仮説1:ディスカッションはアーティストに向かない(?)
理由:本来、ディスカッションは、民主主義のツールである。民主主義では、言論の論理性の強さ、あるいは、印象の強さ、あるいは、コントロール力などのパワーゲームが行われる。
もちろん、ディスカッションには、もうひとつあって、個人的な立場は横において、テーマの様々な方向から検証する、という研究のためのものもある。

それにしても、日本人には、後者のディスカッションは、「絶対に」できないようだ。これまで、何度も感じたけど、やはりかと思うし、何と言っても、アーティストには向かない。仲間作りだと思っている人もいるかもしれない。テーマを話し合いたいのに、勝ち負けの感覚が抜けない。そういうことに興味がないと、遠巻きになってしまう。

何しろ、アーティストは、「多くの人の声」を代表したりしない。
ポップシンガーはそういう言われることもあるけれど、そこには、陶酔などが入っていて、政治に近いことが始まっているかもしれない。「歌詞」のないミュージシャンには、それはない。

仮説2:民主主義が、芸術家の地位を低くし、誇り高い芸術家は、政治志向になって行く。
提案:あえて、アルティザンを目指す。抵抗である。この位置を守り通すことが、この危機の時代の多くの、個人の、心のために、確実な何かを、少なくとも壊れないですむ何かを、届けられる。危機の時代に絶望し、それを感染させようとする輩の、毒を、遠ざけるため。マグマのように何かの情念が流れているような社会で、木々を眺めたり、鳥の声をまねしたり、湖の水面の模様を楽しむための、涼しくて、かつ熱い別の場所と時間を確保する.............。

これは、あくまでわたしの考え。


なんてことを考えた。今日、思いついたので、夕方会った、ミャンマーのアーティスト、モサに「わたしはアルティザンになりたい」と、言ってみた。彼はぽかーんとしていたけれど、彼のガールフレンドがわたしに賛同した。たぶん、この台詞は、生まれてはじめて言ったかもしれない。

ま、そんなこと言っている暇があれば、スケッチのひとつでも、動きの一つでも。家の門の前で、手をもやもや動かしていたら、前方から歩いてきた人が、遠巻きになった。電車の中でも少し。


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そういえば、宮本常一の「忘れられた日本人」にあった、村の寄り合いは、何日もかけていて、寝ている人もいるし、お弁当を食べている人もいる、何を話しているのかよくわからないが、ある結論は出る。たぶん、それは、ちょっとしたパワーゲームだったのかもしれないと、思っている。誰の意見なら、なんとなく丸く収まる、というやつを、さぐっていたのだ。村の長たちは、マグマを扱っている。

伊勢、志摩行き

タイトルを見ると、まるで観光名所に、訪れたかのようであります。22〜23日の一泊ツアー。

20歳の姪を連れて行ったので、伊勢の伊勢神宮の内宮・外宮の見学、鳥羽の島巡りも一応いたしました。お天気に恵まれ、ありがたい。

印象に残ったのは、外宮の夕暮れ。内宮は観光客のラッシュでしたが、外宮はあまり来ないらしい。しかも夕方5時。日が暮れかかっているし、木々が高いので、影が多い。まばらな来観者の気配を影のように感じる。神社に相応しい感覚。真っ赤な勾玉橋のある池が、美しかった。しばらく座って眺めていました。薄暗い風景は、わたしのカメラにはよく写せない。

もうひとつ印象に残ったのは、おとずれたイルカ島(本当は別の名前でしょう。観光用に源氏名をつけられたみたい)の裏側の砂浜。寄せては返す波、風。遠景に島、後ろは山。

記録不可能な感覚ばかり。冥土に持って行くしかありません。
若い姪は、「また来たい!」と行っていましたが、たぶん、わたしはもう来られない。

今回のメインのお仕事は、ご先祖のお墓のある寺をおとずれ、祖父母の骨を預かること。父の出身校である廃校になった鳥羽小学校を訪れ、目に焼き付けること。

友達が「お彼岸だものね」とメールをくれて、「あ。お彼岸だったんだ」と知る。

写真は、鳥羽市内のかなり見事な「原爆スタイル」。その下が、鳥羽小学校。1930年頃に作ったそうで、保存予定だそうだ。コンクリートが痛んでいて、保存には、大きなお金が必要かもしれない。



21.9.09

ディスカッションピクニック2

どんな場合でも、想像力のやわらかさと自由は、守りたいなと思う。
もちろん、当事者にしか、わからないことがある、というのは、その通りで、その場合は、たぶん、ドキュメンタリーとして受け止めるのが、良いのではないだろうか。

それから、個人という場所の自由は、確保するのも、わたしには、大事。それぞ、危機の時代におけるアートの役割。
集団的発想には、なるまいと思う。

なので、C&Mの学生たちは、いつも自由だ。自分の好きなものを作ればいい。わたしもそうする。

ディスカッションピクニック

大変、よいお天気で、ピクニックびよりであった。
「大砲と美神 危機の時代のアートの役割」
とは、大変なテーマを扱うことになったものだ、ということを、この夜中2時24分に思う。
石川雷太さんと白川昌生さんというゲストの選び方の絶妙さに、自分で感心しながら、問題の大きさは、背負いきれない。


わたしにとって、アート作品は、解釈自由、表現自由が、砦のようなものであった。
だが、「経験者」と「非経験者」の間には、「解釈できないこと」「想像できない壁」というのが、ある。その「経験者」側による「経験についての」アート作品に対しては、わたしのその「砦」は、KYになってしまう。でも、それは人間関係を思い出せば、当然かもしれない。他人の生き方は、解釈するものではない、というのと同じ話。


そこで.........テルアビブ発信のこのテーマは、いったい、東京の人間に、関われるのか? という根本的な問もやはり起こってくる。
一方、私は、1回目のワークショップで、話題になった、イスラエル人がイスラエル人に「原爆をどう思うか」と聞いて歩くドキュメンタリー作品が挑んだことを思い出している。


石川さんが話した「ディスコミュニケーション」性というものを、前向きに受け入れていく方向はあるのだろうか?
私は、あると思っているのだけど。


イベント後の立ち話では、2つの輪ができていた(笑)。

19.9.09

美術展行きました

所沢で行っている「ヒキコミセン(カタカナで書くのは検索にひっからないために、実際は漢字)」という展覧会を、おととい見ました。友達のマスヤマシロウさんが出品にしているし、彼とはあまりこれまで話したことがなかったので、会う、という目的もありました。

この展覧会の大事なことは「作家主導で」ということらしいです。80年代〜90年代前半に活躍した彫刻家、インスタレーションの作家、画家が中心的なメンバーという感じ。商品化、コマーシャル化に対する反発から、企画したものと思われます。テーマは設けない、作品の形式、形体、思想は限定しない。だそうです。

場所は、天井が相当高い、西武線の車両工場で、迫力満点。こういう場所で、展覧会をしたい!と思う人たちの気持ちはよくわかります。
20年くらい前によく拝見していたアーティストの作品に久しぶりに会えて楽しかった!

ところで.......多くの作品は、ホワイトキューブで見たら、もっとよく見えるだろうな、と私は、思いました。美術館や、設備のいい画廊で見たいような作品です。場所自体が、迫力ありすぎるので.......。
本心は、彼らは、美術館で展示したいんではないかな〜、と思ってしまいかしたが、どうでしょうか。
外に飛び出したなら、そういう視点の作品、戦う作品であって欲しいな........。
このような場所では、思想的かビジュアル的にサイトスペシフィックなものが見たいと思います。

 因みに、知り合いのマスヤマシロウさんは、年代が若いせいか(スペースに幻想がない?)、すんなり、サイトスペシフィックになっていました。労働の場に、労働をテーマにしたのは、正解でしょう。見た目より、アイデアを優先しています。
彼は、アウトサイダーだという意識が強いみたいです。社会のアウトサイダー、アートからもアウトサイダー。でも、「そういう意味」で、メジャーでいたい。がんばれ。

 作家主導であるべきと言う気持ちはよくわかるし、世の流行にふりまわされるのはまっぴらというのもよくわかる。何十年作品を作っていて、方向性がまったく変わらないのは、りっぱなことなのかもしれません。キュレーターやライターは、どんどん、別のアーティストへ興味を移すことができるけど、アーティストはそうはいかない。わたしは、そんなに長くやってないのでわかりませんが。
とにかく、プロのコーディネーターやキュレーターが関わってないことで、自由にできて、良かったのなら、それは、何と言っても良いことだと思います。産地直送野菜みたいなのりで、お客さんに届けられれば、その方が、鮮度はいいはずだ。

今、ということをいろいろ考えさせてもらえて良かったと思います。

16.9.09

本読みねえ本読みねえ

気分がすっきりしている。
でも連日、遅く家に帰って、遅い夕食をしているので、胃は重い。なので、今日は都心で夕食を取ってきた。ひとりでさっさと食事が出来る場所がたくさんある都心は便利。だいたい、どの駅前も同じ種類の店があるわけなんだけど。あんなに安いってことは従業員の給料が安いってことだろうなあ、とすこし、暗くなる。でも、安いところを選んでしまう、わたし。


2名の友達が「これ読みねえ」と勧めてくれて、貸してくれた本2冊。

『りんごが教えてくれたこと』木村秋則著
まだ半分くらいしか読んでないけど、もし、自分の生き方がこれでいいのか、迷っている人があれば、おすすめしたい。以前、NHKの「プロフェッショナルの流儀」で紹介されていた、自然農法を確立した人。テレビで見た時も、いいなあ〜と思ったが、本で読むと、本当に驚く。「ほんとかな」と思うようなこともないわけではないけれど(笑)、物事の発見の仕方が、興味深い。また、彼が失敗を繰り返している時の、世間の冷たさには、ぎくりとする。信念を通した人ではあるが、その途上は、本当に苦しんでいたのがよくわかる。
11年、実らぬリンゴ園を続けていたのだ。

でも、最近、彼の本は流行っているみたいだ。ちょっとあやしい方向に行きかけている感じもある。『すべては宇宙の采配』というタイトルには、不安を抱く........。



『ラディカルオーラルヒストリー』保苅 実著
1971年生まれの保苅氏は、残念ながらもう亡くなった民族学者であります。まだ、読んでいないけど。友達は「山岡はこれを読むべし、これは山岡のセカイに違いない」と言って、貸してくれた。簡単に言えば「ポスト植民地主義」の書き方なんだと思われるが、その方法は、もはや「はやりの」社会学ではなくて、定着していると思う。
「りんご」の次に読みます。
その前に読んでいてまた途中なのが、『当事者主権』中西正司+上野千鶴子著 でありまして、通じる所あり。
障害者の立場が、この20年くらいでどのように改善されてきたか、なんて、これまで考えてきたことがなかった(恥ずかし)ので、勉強になる。それは、老人問題にもそのまま当てはまる。ポスカルの成果は、日常の上に、生きているのだ。と思いたいけど、現場はそうでもない。



読みかけ本まだまだ、あるのだ。『外国人』クリステヴァ、『21世紀の歴史』アタリ、『健康の日本史』北澤一利、などなど。
ああ、忙し。

いろいろな人とemotionについて話す

Emotion について、いろいろな人と話す。「?」というのが、皆さんの反応で、その考えのずれを埋めたり、それぞれの考えを述べ合ったり、面白い。インド演劇の伝統では、「感情」をいくつもに分類し、見せ方の作法があると、友達は言っていました。
パフォーマンス作品の中で、emotionがどう配置されたかは、わからなくても、その効果によって、「怖かったり」「美しく見えたり」「物たちが拷問されているみたいだ」と、それぞれが想像を働かせてくださってれば充分で、その私の中で、用意した意識は、見えなくてよいと思う。

感情の流れや質を、時間、空間にデザインする、みたいな感じ。床にチョークで描いた、碁盤の目は、それが今、どの辺で、発信されているの、指標としてみた。今は、テーブルのはじっこのあたりだとか、下に落ちたとか、天井に上りかけているとか、私の中では、そうやっていた。観客Aさんの手のひらに落ちた、とか。

壊滅的になった後、町が再生される。生き残った物たちで、無事を祝う。


emotionの配置、とは、まあ、フィクションのようなものかもしれない。


以下の写真も面白かったので、アップ。どろどろ色になったテーブルクロスに、グラスが何個か、まきこまれている。許してくれと、わたしに哀願している。



14.9.09

ものたちのemotion

おかげさまとはこういう時に言うのでしょう。
良いお客様にめぐまれました。コアなお客さんを大事にしていれば、大丈夫といった安心感をつかむことができました。
今まで、何を恐れていたのだろう?

これからの作業に、ビデオ、写真などの整理がありますが、シバタアヤノさんに送っていただいた写真からぱっと目についたものをとりあえず、ここに添付。ビデオは、ゴトウテンくんが撮ってくれました。いずれ、アップしたいです。

今回は、自分がアニミストなのが、心底わかりました。
Emotionをどう、「再配置」するか、ということが、今回の、チャレンジだったのですが、どうも「わたしの」Emotionではなくて、いつのまにか、「ものたち」のEmotionになっていました。こういうことになろうとは、思ってなかった。ふしぎだなあ。

会場が、日曜なせいか、外からの雑音が少なかった。なので、ささいな音も、皆で共有できたと思います。



12.9.09

で、あした

です。
久々の「普通の」パフォーマンス。
「普通」でありながら、この20年で最大のチャレンジ。

今日。画廊に行って、おおよそ、セットアップしてきました。あした、果物やら、追加のものを用意して行きます。

フライやーも作らなかったし、メールとブログ以外で宣伝していないので、たぶん、5人くらいしか来ないだろうな。

でも、関係ない。

「人がたくさん集まって、それなりの人が見てくれる」とか、言ったことに関心が薄くなった。

少数でも、いつも応援してくれる人たちに、しっかり見てもらい、それを続ける、ことが大事。

妙に、新しい観客を見つけようとすると、妙な人まで呼び寄せてしまうし。



では、よく寝て。、身体をベストの状態に持ってゆきます。


おやすみ。

11.9.09

C&M ディスカッションピクニック

テルアビブ〜東京交流 セルフエデュケーションプロジェクト
『大砲と美神 Cannon and Muses Tokyo, Role of art in Real-time Crisis』 
山岡はコーディネーターをしています。


ワークショップ第2回です。現在多摩美と早稲田の学生さんがメンバーになっています。
学生さんたちはディスカッションの経験は少ないし、考えを言語化するのはまだまだ苦手と思われます。しかし、これからの国際的なコミュニケーションには、言語化は是非必要です。
社会人の皆様、また他校の学生さん、ディスカッションに刺激を与えるべく、ご参加くださると、うれしいです。様々な立場の方が、来てくださるとありがたいです。

雨天の場合や、日比谷公園のどこなのか、などまだ決まっていないこともありますので、追って連絡いたします。
御興味のある方は、メールをください。
ccj59900@nyc.odn.ne.jp (山岡)


以下は、早稲田の新井君の書いた、お知らせ文です。

よろしくお願いします。



山岡

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ディスカッション・ピクニックのお誘い

9月に入り少し涼しくなって、過ごしやすい日が続いています。

いかがお過ごしでしょうか?

そんな中、政権交代、新型インフルエンザの流行など身近なところでも大きな変化が起きようとしています。
またあいも変わらず、貧困や紛争、核の問題から温室効果ガス、公害、異常気象や環境破壊などの諸問題は、根本的な解決の糸口を見つけられずにいます。
科学者、政治家、また企業を含めそれぞれがどのような形であれ、それぞれ活動しています。では、わたしたちアーティストにはどのような役割があるのでしょうか?

そういった問いかけを考えるため、また実践の場として、この「ディスカッション・ピックニック」を企図しました

ぜひふらっといらしてください

日時:9月20日 13:00〜
場所:日比谷公園
食べ物/飲み物:各自持ちより

目的:自らのコンセプトを言語化する
   アーティストが社会の中で明確なスタンスを持つことの大切さを学ぶ
   (ゲストアーティスト数人参加予定 交渉中)

テーマ:戦争とアート/格差問題/フリーター/大砲と女神/オルタナティヴについて/流行の服/お気に入りの場所について/DKNY/アクティヴスト/DEMO/イスラエル/シオニズム/ユリイカ/恋人について/ポッセについて/ポジショナリティ/グローバリズムと反グローバル/RATM/ホームレス/エンターティンメント/5月革命/大事にしたいこと/悩み・コンプレックス/マイノリティーについて/鬱について/政治と芸術/演劇について/プレカリ・アート/移民受け入れ/フランツ・ボアズ/学生運動について/コール&レスポンス/アクション/セルフ・ドキュメンタリー/DIY/日常の介入/レイヴの思い出/好きな音楽/不当逮捕について/選挙について/歴史認識/サブカルについて/NPO/発表の場について/お金について/パレスチナ/ダーウィンの悪夢/学校について/分析装置=媒介装置/ゲシュタルト崩壊/自殺/トウキョウ・オリピック招致について/ナショナリズム/マルチチュード/ストレート・エッジについて/チョムスキーおじさん/ピース/ついついしてしまう癖/オクトーバー/編集/メディアについて/芸術批評/アーティストがイマできること/


主催* テルアビブ〜東京交流 セルフエデュケーションプロジェクト
    『大砲と美神 Cannon and Muses Tokyo, Role of art in Real-time Crises』
    代表・後藤天(多摩美術大学 映像演劇学科2年)
    ディスカッション企画担当・新井宏輔(早稲田大学理工学部)
コーディネーター*山岡佐紀子 (アーティスト)
Official we site( international) * http://cannonsandmuses.org/
mixiコミュ* http://mixi.jp/view_community.pl?id=4294443

10.9.09

C&M ディスカッション

今月20日、日曜日、Cannons and Musesのワークショップで、ディスカッションがあります。
午後1時、日比谷公園。

私は、多摩美と早稲田の学生たちが行っている自主エデュケーションプロジェクトのコーディネーターをしています。
タイトルは「東京〜テルアビブ交流企画 Cannons and Muses Role of art in the realtime crisis」。
(「戦時におけるアートの役割」という副タイトルでした。今は、「危機の時代におけるアート役割」に変更しています。テルアビブ側が少し落ち着いてきたからだと思います。)


以下は、1月にC&M Telaviv が行ったイベントの記録。5人の過去のアーティストが、戦時における自分自身のアートを語っている。
今、それを日本語に翻訳中。長いからいやになる。


Dead Artists Panel- characters discussing the role of art in times of war. from Cannons & Muses temp on Vimeo.

8.9.09

デュシャンとケージ

きのう、「ギャグとしてのジョン・ケージ」という投稿をのせたら、mixi 友達が、たくさん、アクセスしてくれた。みんな関心があるんだね。はじめの4分くらい、トークばかりで、途中であきらめた人もいたかな。後半にパフォーマンスあります。ケージは、特に、ギャグというつもりでやっていないが、お客がアートのお客ではないので、笑うのである。でも、トークの時に、ケージが言っていたように、笑いも、音の一部になりえる。
アートのお客でも笑える時は、笑えばいいと思う。
先月わたしの通ったイメージフォーラムの講座の時、わたしが笑いたい時に、誰も笑ってないので、ちょっと窮屈だった。それで、一番、前に座ることにして、遠慮なく、笑わせていただきました。そしたら、少しは、後ろの人もつられて笑えるようになったみたい。満員電車に乗り過ぎで、自分を消す、習慣がついているのかな、皆さん。どしどし、出しましょうよ。

今日のネタは、デュシャンの作品をダダのアーティスト、ハンス・リヒターたちが映像にしたものに、ジョン・ケージの音楽がつけられている。
ちょっとなぞなのは、ケージの音をどういうつもりでつけているか、なんだ。一見、合っているように見えるけど、効果音にされているようにも感じる。よくあることなんだけど、わたしの耳には、映像より強烈に入ってきてしまうので、時に、邪魔なんだ。この場合は微妙なんだけど。それとも、ケージがつけたの?まさかね、わかる人は、教えてください。ハンス・リヒターとケージでは時代が違うから、一緒に仕事をすることはできないはず。
「夢」として、それらを構成しているのもなんとなくいや。まあ、いいか。いったい、誰がつくったんだ、このビデオ?



さて今度の日曜です。3時から。
わたしのパフォーマンスです。
音系、物移動系、もそもそ動く系のパフォです。よかったら遊びに来てください。マテリアルとして使うのみもの、たべもので、後で、おしゃべり会します。

こういうところに掲載されている。

きのうは3つも投稿したので、mixiから来たみなさん、2つほど、見てないかもしれない。ひとつの投稿しか表示されないからね。
よかったら、さかのぼってみてね。

7.9.09

ギャグとしてのジョン・ケージ

質問をもらう

知り合いから、何かのサイトに私の活動を紹介したいので、文章を書いて欲しいと言われた。
わたしのどういうことを紹介したいのか、わからないから、質問形式にして欲しいと言ったら、4つほど、質問がきた。それで、がんがん書いたら、10000字くらいになった。でも、800字で、ということだった。そういえば、はじめにそう書いたあったような気がするけど、他の人は長く書いていたし、わたしもいいのかと思っちゃった。

で、減らしたけど、もったいないから、ここにアップします。質問1と4のアンサー。


Q:なんでパフォーマンス??

1991年頃のこと。ある人たちが、屋外で即興のパフォーマンスをしているところに出くわし、じっと見ていたら「あんたもなんかしたら」と誘われて、なんとなく参加したのが、最初です。(彼らは、毎週、上野の谷中墓地でやっていた)。歩き回ったり、掃除をしたり。はじめは、気晴らしくらいの理由でやっていましたが、ある日、誰かが撮っていたビデオを見て、とても驚いた。「誰だ?この人は」自分が、まったく知らない人に見えました。その動きをしている時の自分の頭に浮かんでいたことはおおよそ覚えているのに、ビデオ越しでは、まったく見えない。このギャップがとても面白かった。身近にいながら、最も、未知の存在でした。それで、このなんだかオートマチックに動く知らない女を、この世に、放ってみたいと思うようになった、というわけです。
 あとで、わかったのですが、そういう感覚は、身体芸術では、基本の基本だったのですね。「分身」と言う言葉があるでしょう? 

最近は、サイバー系のアートに関心大なのですが、お客さんとして見て歩いている段階です。今後もたぶんお客の立場から抜けられないと思いますが、センス的には、影響されています。手元、足下、具体的、ではなくて、それらから、どれだけ、遠くいけるか、そして、世界の見えない構造を、見えないまま、感じる。サイバー系は、結局のところ、バーチャルという「現実」で、本格的には遠くはないのですが、目に見えないということで、擬似的に、見えないものを体験できるところが今のところ、私の脳にかゆくていい感じです。そのうち、飽きるかもしれないけど、今は、楽しい。

遠い、という感じが面白いと思っています。

実は、ショーケースパフォーマンスの、やる人と見る人がひとつの空間に閉じ込められている感じが、どうも照れくさくて、苦手なのです。観客との関係性ということは、わたしが、面白いと感じてはじめた理由と、あまり、関係がない。それで、自分に向いた発表方法をあれこれ考えています。それに、第一、「パフォーマンス」という言葉は、あくまで「上演」という意味なので、あくまで、提出方法でしかない。「展覧会」と言うのと同じです。つまり、メディアそのもののことは、言えてないのです。ですから、最近は「アクションのパフォーマンス」という言葉をわたしは使いますが、これを「社会にコミットする」の意味で使っている人もいますね。それは私の意味とは違うかも。なので、いずれ「ボディアアート系」あるいは「身体意識系」と言えるようになりたいです。

提出方法は、展覧会、イベント、パフォーマンス、インターネット上など、様々あってよいと思っています。





Q:「we are elegant」、なんかほっこりする。簡単な説明とかしてもらってもいい?


 あれは不思議な作品です。実は、自分では「こんなこと作品になるのかな」と思いながらやっていました。ゆるゆるの感じでしょう? わたしには、人をコントロールする力はなくて、でも、そのかわり、「わかったよ、いっしょにやってあげるよ」的な気持ちにみんながなるみたいです。それが、中西さんのいう「ほっこり」なのかもしれない。

 元々あの作品は、大変にサイトスペシフィックなものです。
 インドネシアのジョグジャカルタに「Perfurbance」(Performanceと言う言葉のなかに、urbanという言葉が入っている。2004年より毎年)フェスティバルがあって、イワンという青年を中心にした若者が集まっています。2006年に、このあたりは、深刻な地震の被害をうけました。このとき、イワンたちがいつも世話になっている土地の有力者である人の住む村も、やはり、家がほとんど倒壊、死者も出た。そこで、イワンたちアーティストの若者たちが、手伝いに行った。半年をすぎたころ、ほぼ、復旧。死んだ人は帰って来ないけど、また、赤ちゃんも生まれ始めた。そして「ありがとう。では、今度は村が君たちのアートイベントを手伝ってあげるよ」ということになった。それで、イワンは、外国のアーティストたちにメールを送った。飛行機代もギャラも出せない。でも、村に泊まれるし、村で食事をすべて出す。いっしょに、復興を祝ってくれないか、と。そして、作品の材料は、すべて村の中にあるものだけで、やって欲しいと。この最後の提案を、わたしは、とても気に入りました。
 2007年4月。私は出かけて行きました。ところで、イワンは、かなり政治的なタイプのアーティストで、アグレッシブなスローガンを掲げるような作品ばかりやっていました。でも、「もう拳をあげるのはやめようよ。だって、イワンは実は、楽しいことが大好きな陽気な男の子ではないか」という思いがわたしの中にありました。また、私はアジアに多い20世紀的反体制系パフォーマンスのスタイルに少し飽き飽きしていました。それで、その「わたしたちは、戦わなくてはならない!」という20世紀的スローガンはもう終わりにして、21世紀型の新しいポーズを提案してはどうかと考えていました。
 そして考えたのが、「私たちはエレガントなのである」というスローガン。村人と作ろうと思いました。小さな村なので、あっという間に、みんな顔見知りになってしまいます。そして、皆、あまり家の中にいないで、ベランダみたいなところにいるので、歩けば、会ってしまうのね。それで、学生の女の子に通訳を頼んで、村を歩き、「エレガントなポーズってどういうポーズだと思いますか?」という質問をして、回りました。みんな照れくさそうだったけど、なんとか、いろいろやってくれて、いくつかスケッチさせてもらいました。ビデオにもおさめました。それを、翌日、パフォーマンスのプログラムとして、墓地に集まった人たちと行い、写真とビデオを撮りました。墓地で行ったのは、過去から、未来へつづく途上に立っている感じを出したかったからです。今度の地震で亡くなった人もそこにいます。子供たちが、お母さんたちに連れられてやってきました。いくつか行ったうち、わたしから見たベストのポーズは、右手を額にあてて、空をまばゆそうに見上げるポーズです。写真を見ると、カラフルで、大きさの違うみんなの、右の尺骨(腕の骨)がリズミカルの並んでいて、面白いのです。その足の下にいるご先祖様の尺骨もみえるような気がしました。

 そして、2009年6月。クロアチアのスタグリネツという村でのフェスティバルに招待されたので、是非、同じようなことをしたいと思いました。ところが、その元旧共産圏の村は、インドネシアの村とは違うのです。非常に管理されている。道に出て、おしゃべりしている人もいないし、農業は機械化されているので、遠くに、トラクターが一台見えたら、もう反対側には、目がかすむくらい遠くにしか、人影がない。そういう村でした。たぶん、オーガナイザーもわたしがイメージしている村のことがわからない。なぜ、村人と話したいなんてばかなことを言うのだろう、という反応でした。それで、結局、私は別のパフォーマンスをしました。
 でも、どうしても私はあきらめきれなかった。4時間にも及ぶ屋外でのフェスティバルが終了すると同時に、私は「みなさん! 協力を求めます!」と大声を上げました。実は、インドネシアの時の写真が、前日の新聞に載っていたので、知っている人はいたみたいでした。人々は興味津々でぞろぞろ集まって来ました。テレビ局のカメラが、小屋の2階に上がったので、観客は、「今度は、自分たちが映るんだ」ということで、楽しくなったのかもしれません。
 わたしは大声で「わたしたちは、21世紀に住んでいる。もう攻撃的なことはやめて、エレガントに生きよう。空を見て、未来を見よう」とかなんとか、我ながら、どうしたんだろうと思うようなことを叫んで、みんなとともに空を見るポーズをとりました。すると、なぜだか、皆が声を出し始めました。お〜〜、あ〜〜〜とかなんとか。午後8時の薄暗い中、不思議な気配です。そして、大喝采で終わりましたが、あれは、フェステイバルの終了でもあったからなのです。
 「このビデオは、インドネシアの友達に送ります。また、会いましょう!」と私はしめくくりました。 まあ、そういうわけで、あのビデオが出来ました。インドネシアのイワンにも送りました。とても喜んでいましたよ。

 でも、いまだに、あれはアートなのか?とわたしは疑問であります。わたしの頭は、たぶん、わたしの身体より、遅れているのです。なかなか、ついていけない。たぶん、間違った方向に行っても、止められない。でも、考えてからやって面白くなったことはあまりないので、何か、イメージが浮かび、それを実現する方へ、私が動いていくのを、犬がどんどん歩いていってしまうのを追いかける飼い主みたいに、なんとか、リースをたぐって、追いながら、作品を作っています。とんでもないところへ行ってしまうこともあります。それが、わたしのやり方のようです。これで大丈夫でしょうか(笑)。だから、いつも心配なのだ。自分のしていることに、誰よりも先に「なんだこりゃ」と批判の目をあびせているのが、わたし自身なのです。それもこれも、谷中の墓地で、「この知らない女を放ってみよう」と思った時から、はじまっています。

Black Market International 05 Berlin

面白いけど、芝居だなあと思う。芝居の訓練を受けた人たちの芝居とは、違うんだけど、パフォーマンスアートの身体による芝居。しかし、芝居は文学だから、芝居ではない。どちらにせよ、パフォーマンスアートの文脈を思うと、保守化かな、と思う。
では、今度の日曜にわたしがしようとしていることは、なんだろう。

実は、BLack Marketとは、10年以上の付き合いになるから、ずっと、考えていたんだ。
各自のキャラクターを楽しむのは、はじめの数年で、そんなことが当たり前になった後、あの、のったりとした時間をどう思ったらいいのか。と思っていたのです。好きなら好き、苦手なら苦手ということなんだろう。

5.9.09

抽象性はわたしをリラックスさせる

オペラシティのアートギャラリーとICCセンターに行った。

コウノイケトモコさんは、友達の友達です。でも、ずっとあんまり作品を好きになれなかった。でも、今回は、初期の作品で、えんぴつをひたすら動かして、アニメーションを作っているのを、見て、やっと何か、わかった。すべてえんぴつ一本から生まれているのだと思ったら、急に、面白くなった。絵を壁にかけずに、低い台に置く方法も面白かった。展示会場全体の順路が、絵本のように話が展開する。

う〜ん、でも最後にあった、でっかい赤ちゃんは、惑星ソラリス博物館のジオラマみたいで、う〜んとうなった。どうでしょう? 展覧会そのものには、遊びがたくさん、あって、作るのがとても楽しかったんだろうなと思った。楽しませようとしてくれている、情熱的でやさしいサービス精神みたいなものを感じた。廊下に出ても、影響をうけた絵本、紹介されていて、ファンはたまらないだろうなと思った。あの規模になるともはやアーティストは、ひとりではなくて、関わったすべての人々の共同制作になるんだな。それが、社会化されるってことなんだろうな。

とにかくわたしの発見は、「エンピツ一本ではじめて、それが膨大なイメージになっていった、ということに、心を動かされた自分」でした。それはよくわかるんだ。経験があるし。
何かを見るってことは、自分を見るってことだから、こういう感想でもいいよね。
それから、具体的すぎるものが、たぶん、私は苦手なんだろう。大事なことは、目に見えない、というのが、わたしの中にある。形にしてしまったら、その聖性がなくなってしまうと思う。という自分をあらためて発見したのであった。

もうひとついえば、..............「絵本」を作ることはわたしにもできるかもしれない。アニメーションもがんばればできるかもしれない。でも、あの展示をするパワーはないなあと思う。もしや、若いときから、回りに誉めてもらって、自分を大きくするためのステップを踏んでいれば、成長因子のある人はあそこまで、行くのかな。人ってひとりでは成長はできないんだ。回りの人の心や利益に、ギブバックできていて、進むものなんだろう。吸収しまくったのであろう。人々は、成長因子を見ぬくんだね。

その後、ICCに行った。今は企画展がないのだけど、常設展を見るのも結構好きです。前に見ていない展示もあってうれしい。
最近は、なんだかメディアアート(もちろん、マンガや雑誌の意味ではなくて、サイバー系のこと)が、わたしのお気に入りで、まずは、お客として楽しませてもらっている。抽象性が高い感じがたまらん。バーチャルな構造をイメージすることが、わたしの現世的ストレスから、解放してくれるのだ。本を少し買った。カードで買えないので、何冊かあきらめた。サイバー系の本の書き手の文体も好き。
私は、ノマドとして、生きるつもりでいるので、サイバー系は大事なツールなのではないかと思っている。アートであってもなくても。

その後、「Cannons and Muses Tokyo」のミーティング。

おとといは、ジェロントロジー(老齢学)を、東大のPodCastで、夜中に勉強。
老後は施設に入ろうと思っていたけど、未来は、地域社会に世話になるという方向が有力らしい。団塊の世代が、リタイヤーして地域社会に参加して、高齢者のための社会づくりをすることになるだろう、という話。
未来学でもある、この分野は。
どの町に住み着くかが、生活に大きく影響のある時代が来るのだろうか? 

3.9.09

アディーナの配置

アディーナ・バロンのDisposition(配置)のひとつの、一部をアップしました。ちょっとまねできない。このバージョンでは、彼女は、「声」を封印している。よく「エンゲキだ」と批判されるが、彼女はロールプレイをしているわけではない。まあ、ある意味、いつでもこういう人なのだ。



再配置

今日は、きのう見た夢が頭から離れないで変な気分。川を渡る舟などに乗ったりして人と話しながら、移動すると言うだけの夢なんだが........


以下は、メールで配信した内容ですが、よろしくお願いします。
最近知り合った若い方が「ヨヤクが殺到しているでしょう?」メールをくれましたが、殺到はしません。ごく少数の方でも、今、私が気にかかっていることを見ていただければ満足です。

因に、きのうのWe are ElegantのYouTubeはたった1日で120を越える再生がありました。どこの地域の人が見たのか、わかるInsightという機能があるのですが、見たはずのインドネシアが表示されていないので(メールが何本か来た)、あまり、あてにならないのかもと今は、思っている。

単にポーズをとるだけのものに「ユーラシアを越えて」というのは、オーバーなタイトルである。それを、どう皆さんが感じるのか、想像している。クロアチアの人たちの盛り上がりをどう思うか。
平和は案外簡単なものなのか、どうなのか。
拳をあげるのをやめて、みんなで空を眺めるポーズに変えるだけで、平和は来ないけど、一時的に、楽になれるかなと、浅知恵で考えています。


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久しぶりに国内で、割とまともに(?)室内向けパフォーマンスをします。(参加型ではありません。)

山岡佐紀子アクションパフォーマンス
『Wind from Sky vol.4 / Re-disposition (再配置)』
2009年9月13日(日)15:00

 「Disposition」は、尊敬するテルアビブのパフォーマンスアーティスト、アディーナ・バロンの作品タイトルでありますが、今回、本人の許可を得て、彼女の方法を、わたしの作「Wind form Sky vol.2 / Toronto version」の中に、一部引用(誤用?)してみることにしました。 昨年、6月にワルシャワで見た彼女の新しいバージョンが興味深かったからです。配置dispositionされるものは「emotion」。この時の彼女は、いつになく抑制した態度でした。ホテルで同室だったので、彼女にいろいろと話を聞きました。私は、これまで作品に感情(emotion)とはほとんど扱ってきていないつもりでしたが、思い出すと私もやはり、扱っていました。しかし、たいていは、ひとつの感情であり、強弱はあっても、それを空間に「配置」しようとしたことはありません。
そもそも、感情(emotion)を配置することなど、できるのでしょうか。

たとえば、コミュニケーションが困難な場所や状況で、感情を、押さえるのでも、コントロールするのでもなく、感情を、「創造的に配置がえ」できるのでしたら、それはすてきだと思います。しかも、決して「演技」ではなく、「アクション」として。

できればいいな。

そこで、どちらかと言うと否定的感覚を扱った、最近の私の作品「Wind form Sky vol.2 / Toronto version 2008」に編み込ませるようにして、「それ」を行ってみようと思います。


どうなるか。

(テルアビブ〜東京交流プロジェクト「大砲と美神 Cannons and Muses-Role of Art in Real-time Crisis」関連する作品として、行います。)

場所 銀座プラットフオームスタジオ
〒104-0061 東京都中央区銀座1-9-8奥野ビル515
 オーナー電話 070-5545-7067 (当日のみ)
入場料:1000円(免除申請受け付けます。)
上演後、ミニパーティあります。差し入れ歓迎。
会場が大変狭く20名くらいで一杯になってしまいます。御予約いただけるとありがたいです。
また、アクションの都合で、足下が少し危なくなります。サンダルではなく、靴を履いて来てください。

2.9.09

ユーラシアを越えて














We Are Elegantの、2007年にインドネシアの村での7つのアクションから、ひとつだけを、今年6月にクロアチアの村で行った。ポストカードになっている、一番、エレガントなやつ。
この2カ所でのひとつのアクションを、1つのビデオに編集してみた。
題して、「ユーラシアを越えて」
たったひとつのアクションなのだけど、できたら、今世紀中に(あたりまえか)できるだけいろんな村で行いたい。今年と来年はあまり動けないんだけどね。国内でいかがでしょう?




以下は、2007の時のことを、文化庁の月刊誌に掲載したもの。拡大してみてください。(文化庁から旅費などのサポートはもらってはおりませんでしたが)