20.12.08

誕生日だったので

以下、普通の日記。

   父が入院中なので、母とふたりでわたしの誕生日を祝う。祝うというより、わたしにかこつけて、おいしいものを食べようとしている母なので「お寿司でも取ろうか」と言うが、わたしの関心は、酔っぱらうほど、ワインを飲むことだけなのだ。
   で、夕食は適当にして、近所の手作りケーキ屋のケーキを食べ、シチリアワインに、ガーリックチーズとクラッカー(聖体拝受のようだ)。母は、食べた事のないチーズにすっかりはまり、確実にわたしより、食べた。
それから、見よう見ようと思っていた、グレゴリー・ペックの「オーメン」を見る(母が大ファンなのだ)。ビデオ屋で借りて来る。そして、続けて「オーメン2」。誕生日がテーマになっているので、はまる。まあ、ホラーの古典ということで、シンプルで良い。最近、テレビでやっていた2006年版の「オーメン」は、無駄なことに(風景や室内を美しく見せるとか)色気を使いすぎて、集中力をそぐと思った。見せたいことに集中して、それを誰よりも深めていくことしか、本当の勝ち(?)はないのでは? とてつもなくからっぽに美しい、というのをねらったのかな。でも、ちょっと「広告美術」みたいな美なんだよね。ならば、旧作の方の母親の方が、無駄に美人だし(大スターだし)、父親も無駄に立派(大大スターだ)なので、こっちの方があやしい美は充分。殺されシーンも、旧作の方が残酷。さらに子供はもしや無垢なのかもと思わせる感じがある不安さがストーリーを深く感じさせる。
 朝起きて、母と話すと、チーズの食べ過ぎた夢を見たそうだ。わたしは、鳥かごに、3種類の違った鳥を飼っていて、それを分けてやらなくてはならないと、あせっている夢だった。スキマから、賢く、身体を動かして逃げ出して行く一羽の鳥の様子が、ホラーのように頭に焼き付いている。

18.12.08

植物になる

















































ようやくトロントの時の写真が届いた。ビデオも届いた。なかなか記録の撮り方がうまい。
とりあえず、写真をひとつ載せておきます。


14.12.08

変わった

横浜のさなぎ達から、いつもの「さなぎ通信」が郵便で来た。
理事長が書くには、「これまでのさなぎは、虚業だった。これからは実業となる」。
今年の4月頃に、ふらりと行ったところ、ちょうど、ホステルビレッジのところでパーティがあり、理事長に会った。事務所に泥棒が入り、たしか70万円ほどの売り上げを盗まれた話をしていた。それで、寄付をよろしくというわけである。わたしは2000円くらい出したような記憶。その後のすぐに「さなぎ通信」から全国的な寄付の呼びかけがあった。今月の「実業」宣言の文面にも、泥棒騒ぎのことがまず書かれていた。
まるで、それが転機のように。
「通信」には、書いてなかったけど、そのパーティの時、理事長は、「実はこの土地は一等地なんですよ。これを生かさない手はない。これから、老人介護の町として、たとえば、一人暮らしのご老人が、他の町からも来て、気持ちよく暮らしていける町にしたい。港湾労働者として、職をなくて、路上生活者となった人たちはもうかなり高齢で、あと10年くらいすれば、ここからいなくなる。もう彼らのためだけに、やっていける町ではなくなるので、その準備をしなくては」と言っておられたと思う。
11月29日にNHKで特集があったようで、それについて理事長は「通信」で、「上品」と言う言葉を2回も使っていた。どういう意味かな。

とにかく、変わる。

さなぎの将来と、わたしはあまり関係ないけど、手応えの持ち方が、変わってきているというのは、同じ。
でも、さなぎの過去を虚業と言ってしまうのは、ある意味、ファンだったわたしとしては、ちょい寂しい。寂しがっている場合ではないってことだね。

6.12.08

翻弄
























 今年は、いろんな人や出来事に翻弄されたなあと振り返って、思う。まあ、自分のせいなんだけど。話が食い違うことが多いのだ。うそつき!と、わたしは思っているけど、案外そういうことではないのかも。ある思想本を読んでいたら、現代は、「話が通じない」と感じている人が多いそうです。
 写真の本は、ボストンで勧められて買った本。日本語訳も出ているので、そちらも手にいれようかな。1900年前後のボストンと日本の関係、特に美術品をめぐる様々な人々の話。天心のことやら、フェノロサのことやら。

25.11.08

小説「ボディアーティスト」

 友達のすすめで「ボディアーティスト」(ドン・デリーロ著)という小説を読んだ。この場合のボディアーティストというのは、人物のキャラクターを声や身体を改造することで、様々演じるというタイプのボディアーティストのなので、わたしなどが関わる、アート系のボディアートではない。























 が、それより、ここでの興味は、感情をどう表現したかということ。小説の筋が、明確につながっていないので、正直、非常に読みにくかった。前のページのシーンと、次のページのシーンに、論理的なつながりがないのである。なので、前のページとの関係がつかめなくて、また戻らなくてはならない。それを何回もくりかえしたので、数ヶ月手元においておくはめになった。結局、つながった筋として覚えるのは、やめた。身体をどうしたこうしたということが、延々続き、架空なのか、実際なのかよくわからない若者が彼女の家に出没したりする。声や、話し方や、皮膚の表面や、見かけなどから、自分や他人を認識する事の曖昧さがえんえん描かれている。感情の事はほとんど書かれていない。
 それは、彼女の愛人の死から始まる。つまり、彼女はその愛人によって、彼女自身と言う者を認識していた人なのかもしれない。つまり、年長の、フィルムレディレクターである愛人によって、自身をキャラクターライズされていたというわけか(フィルムディレクターというところがミソ)。その「眼」が消えて、彼女はアイデンティをの意識を失うって話なのかな。それをとりもどそうとするのではなくて、失った状態のもやもやを描いているのだろう。なので、読む側は、ひとつのつながったストーリー(つまりアイデンティティと人は呼ぶ)が読み込めない。そして、彼女は、なにか、架空の人物になるために、身体改造を始める。自発的というより、なにかの段取りみたいに。やはり、彼女の心のことは、描かれない。
 小説の最後に、彼女は、実際のステージにのぼる。親友でありライターである女性が、そのパフォーマンスの様子を言葉で再現する。そこには、いわゆるいくつかのキャラクターを演じているアーティストというものが、浮かび上がる。やはり、それは「眼」と「言葉」によって、はじめて認識されるものになるのだ。いくらか、図式的な解釈であるが。
 という話なのかもしれない。
誰かの「眼」によって、自分が決まるということは、わたしがそう読んだだけの話。それはキリスト教における神かもしれないし、フェミ的視点でいえば、男性によって、存在理由を見いだされる女性ということかもしれないし、もっと一般的に誰においても、そういうことは言える。文学的に言えば、愛人をうしなったことを、悲しみとしてではなく、遺物から何かを描くのではなく、ある種の喪失感を、キャラクターの喪失の感覚として表す。手がかりのなさとして?彼氏を失った喪失感を、キャラクターの喪失として、描くのは、面白いことかも。

ちょっと退屈な小説でもあったが、わかったよ。意欲作であることもよくわかる。


この冬は、いろいろとインプットしたい。買ったけど、読んでなかったものを、あれこれ、ずんずんと読むぞ。次は、さっと行けそうな本。ノーム・チョムスキーの「おせっかいなアメリカ」2002〜2007年に書かれたコラム式の政治批評。一応、一度くらいは、チョムさんを読んどこうと思って、半年くらい前に買った。ちらと読んだところでは、わたしには当たり前な見方ばかりだけど、まあ、眼をとおそう。因みに、元題は「Interventions(介入)」。「おせっかい」とは、とてもうまい邦訳です。

23.11.08

感情の構成

わたしは、文学が、パフォーマンスに入るのが、きらいである。身体から、文学を追い出せ。

感情は、文学的に表現されることが多い。感情のことをはなす人は、なんとなく、詩人(できそこないの)気分だ。
でも、感情は、言葉だけではない。

仲の良いアーティストであるアディーナは、自分の作品を「感情の構成」と言った。わたしは、はっとした。感情というのは、垂れ流しか、あるいは、制圧するもののどちらかだと思っていたから。だから、わたしは作品で、感情も制圧するばかりだった。
だが、今は少し、感情を、構成してみたいと思っている。文学ではなく。制御できないものとしてではなく、構成することのできる素材として。コレオグラフではなくて、美術的な構成。
演技ではなく(演技は文学だから)、視覚芸術として。
甘いナルシスに陥らず。つまり、「わたしの」感情としてではなく。

時々、気になって、心理学、精神医学方面の本を読むことがあるが、たいていは、不満に陥る。甘いと思う。何かにかけている。経験則からだけで、そのコントロールをはかろうとするのは、何か弱い。

感情をどうするか。

20.11.08

人に会うイベント

今年は、天中殺(なつかしっ)だったかもしれない。よかった事もあるのに、いやなことだけが、繰り返し繰り返し、思い返されてしまうのは、鬱の症状だそうだ。今は職人仕事で毎日、でかけているのだけれど、ほとんどひとりでやる仕事なので、助かる。しかし、人にも会っていきたい。

銀座のプラットフォームスタジオという画廊。オーナーが病気をしたため、活動が弱くなってしまいました。
一日イベント、土日だけの2日イベント、あるいは展覧会、募集しています。わたしはアシスタントです。
1日は25000円から、6日間は125000円。
わたしのお世話になっている友人には、割引させていただきますから、要相談ですよ。
学生さんも、割り引きます。

皆さんの作品を楽しみにしています。


パフォーマンスの方、大歓迎です。パフォーマンスの方たちは、あちこちで、いやなめに合いがちですが、プラットフォームは大丈夫です。

16.11.08

リゴリットパラフレーズ YouTubeリスト

中学生までに楽しんだことが、もっともその人の嗜好であるというならば、わたしはまさに、ピアノの音。

Thomas Yu
Yundi Li
他 リスト作曲のリゴリットパラフレーズのリスト

パラフレーズというアイデアもいいいな。


あっ、パッハマンのも、あった!
Pachmann

14.11.08

化けの皮

というのは、ほんの一部か、半分くらい、はげるくらいがちょうどいいと思う。あるいは、やはり、すべて? しかし、はげてもはげても、また違う形で、化けの皮が化けて出て来る、というのが、世界なのだとわかってしまうと? 愛くらいしか残らない。しかし、愛を残すには、体力がいる。だから、困った時は、体操をするのが良い。体操する気力もなくなったら、どうするのか、わからない。拒食症、過食症になるのには、体力が必要なんだと、ふと気づいた。ちょっとストレスぎみだったら、おいしいものをたらふく食べようと思って、おいしそうなお菓子や果物、ワインやら買ってみた。でも、なぜだか、クッキー2枚食べたら、もう胃袋がシャットダウン。ワインも、もう4日も冷蔵庫に入っている。以前なら、一晩くらいで飲んでしまっていたのに。食べるのには体力がいる。























世間が、もっと明るければいいけれど、ニュースを見たりするだけで疲れる。我が国の首相を見るくらいなら、プーチンの方が確かだ。最近は、あの首相がTVに出てくると目を閉じてしまう。良いとか、悪いとかでなくて、実力の問題。オバマは、パペット人形のように見える。右45度、左45度の角度に首を交互に向けて、話すくせ。見ていると、こちらの首が凝ってくる。表情が金太郎あめみたいにいつも同じだ。Change!  Yes! we can?  こいずみっちーの時も、「改革」の言葉の連呼で自民党が圧勝したんだったよね。選択肢が2つしかないなら、わたしでも、オバマだとは思うけど、オバマ氏が、人間に見えないのは、なぜかな。サンダーバードにでてくるキャラクターに見える。だれかのあやつり人形? いやな予感。
ウ〜ん、食べるより、書いた方がストレス発散するみたい。そして、政治の悪口が一番、無難なんだな、ごめんなさいよ。これもわたしの化けの皮。

今日は画像を何にしようか。よし、Bank of America。2枚のガラス越しである。 手前に、安っちいレジ袋がうつっているのが、また切ない。トリミングのしようがないので、このまんま。よく、写真は自分で撮ってだれかに寝てもらえばいいのでは?というアドバイスを受ける。それではつまらない。誰かが、わたしを目撃しているという感じが欲しいのだ。なので、この覗き見の感じがいいと思っている。わたしが撮ると絵になってしまうでしょ。

13.11.08

Rigoletto Paraphrase

さしずめ、コンビニのATM。場所は、またもや、ボストン。トロントでの記録はカメラが壊れてしまったので、撮ってくれた人が、CDを作って送ってくれるのを、待っている。
























きのうはListのRigoletto Paraphraseを聞き比べた。演奏家によってこれほど違うとは、知らなかった。こういうものが、この世に存在するというだけで、生まれて来て良かったと思う。

11.11.08

ボストンでの「横浜で失踪中」
























写真は、ボストン美術館の日本美術展示室の、快慶作弥勒立像のうしろのキャプション。天心の写真と説明。クリックすると読めるサイズになります。

ところで。

今日はちょっとした大決断をした。それについては、今はまだ書けない。その報告を書いている時間は、およそ1時間だったと思うけど、あまりのことに、その時の時刻が夕方なのか、夜中なのか、しばらくわからなくなった。まだ、昼前だった。

今は、何もかもが、変わりつつある時期だと思う。2005年くらいから、迷い込んでいたところから、出て来れたのかもしれない。まさに、Missing in Yokohamaだったと思う。このプロジェクトもきちんと、整理したテキストを書かなくては。ボストンのアートスクールでのトークで、Missing in Yokohamaの話をした。ヒロイン(私)の背景を語り、その後で、「これのほとんどは、嘘です」というと、一番前に座っていたジュリーが、のけぞって、やがて出て行ってしまった。これは、「真実感」を追求しすぎるパフォーマンスアートへの挑戦なのだ。若い学生は、特に違和感はないようだった。ボストン美術館の学芸員と話したとき、ボストン美術館にある、多くの仏像は、横浜から船で出て行ったものに違いないからと「Missing in Yokohakma」のことを話したら、なるほどと深くうなづいていた。ヨコハマは、何もかも、通過する場所。とどまることができない。
あまりにも、増殖する話が多いのが、このプロジェクトである。フラクタルなプロジェクト。エピソード集を買った人が「これをじっくり読むと、一つの筋の通った話が見えてくるんですね」と聞いた。まだ、そういうことを考えている人もいるんだな。記憶と歴史の整合性を、壊すのがこの目的である。

話は変わって。ボストンのマリリンに、「宗教はある?」と聞いたら、しばらく考えて「ヒューマニズム」と彼女は答えた。うそばっかり!! 信じない。もしかしてアーティストの多くはそうなのかしら?
わたしの作品、Wind from Skyは、フェミ系の人にちょっと人気があった。「まさに女性の作品だわ。あなたを招待したのは、大成功。ありがとう」と言われて、始めはあまりぴんと来なかったけど、その後に、エゴイズムの話になって、いい線言っていると思った。わたしの行ったのは、エゴイズムである。それから、ギャラリーの近くにあるパブで知り合った男性が「あんた、皆殺しってこと考えながらしていたでしょう?」と聞いた。えらい!! 「そうよ、ゆっくりゆっくりじらしながら、殺すのよ」と返事する私。一般客の柔軟な頭に乾杯。暗い情熱で、何が悪いって感じ。しばらくは、そんな感じで行こうかと思っている。

8.11.08

快慶作弥勒

岡倉天心の所有だった、興福寺の弥勒像。1920年にボストン美術館が購入。彼の死後だね。とてつもなく美しい。

ボストン美術館で寝る

以下すべてボストン美術館。
ひとつ目は、日本庭園である天心園の入り口。工事のため、閉鎖中だったので、外で。一緒に寝ているのは、ボストン美術館のアートスクールの学生たち。アーティストトークの時間内でのパフォーマンス。二つめのは、日本セクション、密教美術の部屋。
その次は、ボストン美術館の設立者、寄付者のリストの前で。その次は、カフェにて。



コサンジさん

   NHKの番組で、ヤナギヤコサンジさんの(なぜカタカナにするかと言うと検索を避けたいから)特集をやっていたので、ビデオにとっておいて、きのう見た。
   僭越ながら、同じく上演芸術を行う者として、非常に興味深く見た。他人に振りつけられるダンスや演劇と違って、自分ですべての選択をしなくてはならない、という点において、学び、共感することができた。(もちろん、伝統であるということ、テキストはおおよそできているという違いは、大きいけれど)
   司会者のふたりのちんぷんかんぷんな質問に対して、適当に合わすことなく、違和感を、やんわり表す、コサンジさん。受けてなんぼの芸人というより、わたしには、芸術家に近いと思った。たぶん、テレビの芸人さんと、高座の芸人さんの違いかも。つまり、目の高い観客を相手にやってきた人であるということ。たぶんね。個人のパーソナリティの問題かもしれないけど。
 師匠のコサンに、「面白くない」と言われたこと。自分のまじめな性格、明るくない性格、病気がちの身体に、コンプレックスがあること。その自分の身体が持つ特徴は、いくらハナシを稽古しても、隠しようがなく、どうやって、使いこなすか。声がかれて、出ないとき。高座に上がっても、ハナシが浮かばないとき.......。
 以前、わたしが料亭でバイトしていた時、落語家さんたちの大宴会があって、その時の、コサンジさんの様子を思い出す。ほとんどしゃべらず、針金みたいに、固く、座って、ニコニコもせず、淡々としていた。かなり、他の人たちと違っていた。
 そういう彼に、親しみを覚える、わたしなのだった。わたしも、まじめすぎるのが、コンプレクスだから。
  

6.11.08

2008年作品写真更新

web更新しました。2008年ページ。(トップページも変わっています)。

一番、最近のWind From Skyは、かつてのHandmillに、近づいている作品。かなり、わりと、「パフォーマンスを見せる」という原点に戻れたと思います。何が私の邪魔をして、あれほど、ショーケースパフォーマンスぎらいになっていたか、思い出せない。

状況に、対抗していくのにも、そろそろ時間がなさすぎる。見せたい事だけを、コアに見せる事のできる場所へ。

といいながら..........今年は、「透視的情動」への出演が、残っています。12月30日と31日だったかな。ぎょ、横浜ではないか............。最も、避けていたザイムだし.........。ダンス、舞踏系がどわっと出ているこの、大混乱即興ライブは、わたしにとってそれだけで充分、危険であるが(笑)、石川雷太さんの、丁寧なお誘いを受けたので、悩んだけど、出ます。サエグサさんもいるし。なんというか、忘年会だね。谷川まりさんが、またケーキを作ってきてくれるといいなあ。

写真は、今月1日に、トロントのXpaceというギャラリーで行ったパフォーマンス「Wind From Sky」。屋外での「I am a plant」というパフォーマンス(草むらに座っているだけなんだが)と連動している。植物と風から、学んだ動きのペースを、採用している。かなり、東洋的なのりだと思う。それを、プラスティックのコップや、ガラス、陶器などのコップをきしきし鳴らしたり、あるいは、落して割ったりした音で表現する。コップの水、グラスの赤ワイン、コーカップのコーヒーが静かに流れる。全部、ガラスや陶器で行えば、ある種の質が出るんだろうが、わたしはプラスティックも愛している。だって、これほど使っていて、無視できるか? 

4.11.08

帰国しました。





































帰国しました。皆さん、お元気ですか?
ボストン、トロント、寒かったですが、パフォーマンスアートは熱かったです。って、ちょっと月並みな言い方ですかね。
写真は、10月24日、ボストンのマサチューセッツ州議会での、Best Place to Sleepです。(ボストンはマサチューセッツ州の州都です。)
マサチューセッツは、アメリカでもかなりリッチな方の州なんだけど、議会ビルは、なぜか異国風。結構、かわいかった(1785年設立)。1909年頃建った現在のボストン美術館の、ド風格とは、かなりの差がありました。

ボストンでは、美術館内、天心園(中は工事中で入れない)で、Come with meしてきました。学生が10人くらい参加してくれて、日本セクションの床に10人くらいで、ごろりと寝ました。皆、楽しく興奮してました。最後は予定どおりというか、警備の人に、いい加減にしないさい!と言われて終了。ボストン美術館についてのご報告は、また、後日。

トロントでは、メイン銀行の並ぶキングストリートで、はしごしました。セキュリティがとても厳しくて、あぶなく、捕まえれるところでした。警備員は、地域全体にセキュリティのネットワークを張っているらしい。屈強な体つきで、ウムを言わせないといったほとんど、軍隊モードの方たちでした。日本の警備員とは意味が違うんだろうな。外に出ても、ずっとついてくる。このご報告もまた。

トロントのフェスティバルは、あまりにいい作品が多いので、思わず、久しぶりに「パフォーマンスラバーたちよ!!」という言葉が浮かびました。ショーケースパフォにこのところちょっと疑問を感じていた、わたしでしたが、やる気が出て、新作作って、最終日に、決めてきましたよ。45分、ばっちりやりましたが、ちゃんとお客はついてくるんだな、これが。えらいよ。
結構なシリアス系だったにもかかわらず。というか、それに耐えられそうな客層だったので、思い切ってやりました。体力、気力があるんだと思う。
是非、そのうち、国内で行いたいと思っています。体力作っていておいてくださいね。


日本の皆さん、元気出してくださいよ。なんか、お互いにストレスをぶつけ合っているように見えます。足引っ張り合ってどうするの? 国内で、もそもそと民族自爆は、いやですよ。


20.10.08

日本庭園で寝る

ボストン美術館のアートスクールへ行き、Missing in Yokohamaと、Best Place to sleepと、come with meを話す。
そして、come with meをボストン美術館内で、行う予定。ゲリラなので怒られるかも。一緒に行うのは、美術館のアートスクールの生徒たちなので、いやがるかな。天心記念日本庭園や、日本美術のたくさんある部屋でやりたい。























トロントでは、太陽からの風というのをやる。植物園か、または花屋での長時間パフォーマンスと、室内でのイベントのセット。どれも、荷物がほとんどないので、
今スーツケースを詰めているのに、がらがらだ。

ということで、明日から11月3日まで留守にします。ブログもたぶん書きません。たぶんね。

19.10.08

ボストンへ出航です

ボストンへ出航です。
もう戻らないかもしれませんね、ヨコハマには。失踪します。

今日参加してくれた人たちには、感謝です。搬出まで手伝ってくれました。
パフォーマンスは、見たい人だけ見ればいいと思っています。それは何でも同じで、うどんぎらいは、そばを食べればいいだけのこと。
そばぎらいは、スパゲティを食べれば良い。わざわざ、スパゲティ屋に来て、麺類だったら、うどんでしょやはり、と言わなくても良いのです。

結構、今回は決心がつきました。いい友達もできました。
迷っていると、いい友達もできない。これが、この数年でした。
今回は、ひとりならず、ふたり、さんにん、よにん、ときちんと話せる友達ができた。それが、良かったです。

16.10.08

出航とボストン

12日のオープニングから翌日のトークまでの間、プロジェクターの準備で、血相を変えていたので、きちんと報告できなかったが、
展示会場、庭の東屋にての「ひつじ」によるパフォーマンス、多くの、ひつじの仲間達に見守られて、出航式が、劇的に行われました。どこへ行くのでしょう。様々な危険要素を抱えて。
でも、出航せざるを得ないよね。

わたしは、来週、火曜に渡米。ボストンへ行きます。ボストン美術館のアートスクールで、アーティストトークというのを、行う。
13日のトークでも、まず話題になった、岡倉天心が長い事努めていた、美術館で、天心を記念した日本庭園もある。
わたしは、作品Missing in Yokohamaを語る予定だけど、ここには、深い因縁の、ボストンの要素が、加わってくる。
モダン日本美術を、ある種の危機感から、「作り上げて」海外に紹介し、その目的は、「日本は野蛮な国ではない」と知らせる目的が、彼にはあった。そして、我が国は、日露戦争を応援してもらったのである。もちろん、アメリカは、アジアで覇権を持ちたかったからなのだけど。
その辺を取材する目的もあり、ボストンからの招聘は、時を得たりで、でかける、私。ただ、滞在日程が短すぎるのが、残念。
そのあと、トロント。ここも、港町だ。

羊の出航式が、わたしの出航式なのだ、と勝手に思っている。

で、..................ヨコハマには、もう戻らぬとかね。

14.10.08

きのうのトーク

きのうは、トークイベント。出だしの人数が少なかったので、ちょっとやばいと思ったが、少しずつ増えて、場所はいっぱいになってきた。
トークの内容も濃く、一見、距離のありそうなふたりのゲストだったのだけど、クレオールという言葉で、リンクできてよかった。わたしのプランのアイデアは、どうしてもよくわからないという人たちがいるのだけれど、さすがのおふたりでした。お客さんを含めたディスカッションでは、さらに発展。日本の美術の近代というあり方には、純粋化と美がむすびついている。それが武士道といったようなやせ我慢(つまりは国民皆兵隊)を国民全員の思想つまりは美意識にさせられた、なってしまったかもという展開。寄せ集めの文化のくせに、純粋化を志向するのは、余裕がないのでしょう。ばらばらの人々とまとめる必要に迫られて来た。西洋的視線を取り入れて、創られた伝統絵画をよそおった「日本画」という、あいまいなジャンル。フランス画やアメリカ画、ベトナム画やシンガポール画がないことを思えば、確かに、不自然。そういえば、ラフカディオハーンの書いたものは、日本文学?
違和感のあるものを、面白いと思うセンスを大事にしたい。それができないのは、余裕のない文化、感性。

観客参加のディスカッションの間、最も気をつけたのは、文化混交やぶつかりの愚痴のようなものを、出し合うだけにならないように、ということ。そうなりかけた場合、どう調整するのか。苦肉の作で切り抜けた。
ゲストのおふたりが、創造するということに前向きな方たちで良かった。司会のアライさんが、きちんと用語解説や、段取りをしてくれました。
内容が硬めという意見もあったけど、わたしの、持ち味なので、それは今後も、変えるつもりはありません。発散型のアートではないんだろうな。

また、思ったことは、文化は政治の影響下にあるし、様々な不幸ともかかわっているけれど、生まれてきたことの中の面白さに、目をむけたい。政治に利用されてはならないということでしょう。
許容力と言う言葉も、佐川さんから聞いて興味深く思いました。


もうひとつ、あとで友達からの電話で言ってもらって面白かったのは、人生も文化もアートも、重くて、軽くて、重くて、軽いのです。重いものを、重く描くのは、わたしのやり方ではないし、わたしの興味のある方法ではない。たとえば、フルクサスの多くのアーティストはは、思想家だったり、重い背景を持っていた。だからこそ、ナンセンスを愛したということは、忘れてはならんと思うのでありました。

ナンセンスを楽しむのは、ただの、怠け者には、権利がない、と言っておきたいです。

13.10.08

まだ続きます

レセプションパーティ、来てくださった方、ありがとうございました。
いい時間でした。
まだ、イベントは続きます。

よろしくお願いします。

12.10.08

ミウラ

うちのおかーさんは、ずっと前から、ロスギワク事件が好きである。彼にけっこう惚れている。
まじめで、陽気で、人の良い父と結婚しておきながら、悪人が好きとは、まったく、不真面目なことである。まじめなわたしには、わからない話。でも、今回の自殺で、彼女はとても感動しているのを感じ、わたしも感動する。涙が出る。

人の愛を裏切る人なんて、わたしは、許せない。けど、わたしの母がこういう人にあこがれる、ということを、感じる。
人生は、かくのごとくありたいという、思いが、世界には、確実にある。
他人の不幸の上に、自分の欲望を、まんまと手に入れるというずばぬけた能力に、尊敬をいだく?

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人のこころの、しあわせ感覚は、どこにあるのか、わからんね。
バッハの曲に「人の望みの幸せよ」というのがある。大学の卒業式の時に、かかっていて驚いた。好きな曲だけど、大学の卒業式には、どうかと思った。宗教ががってる。

今日は、おかーさんが、同窓会にでかけたので、父と私はふたりで昼はうどんを食べた。まじめで陽気なことが取り柄な父が、母の人生を守っている。でも、母は、不良にあこがれる。

この理不尽さが世界。

10.10.08

ジョジマ状態

ジョジマ状態とは、ジョージ・マチューナス状態ということ。

企画して、隅から隅まで、心配して、印刷物の手配をしたり、自分で作って、カッターでこまめに切ったり。お金を入れる箱、テープ、ホッチキス、セロテープ、ひも、なんだってやるぞ。
頑固でゆずらないから、「まったくジョージは」なんて言われる。でも、そうでなくては。
早死にすれば、うかばれるかな。
ジョージのように、ユニークでなくては。世界を敵に回すくらいでなくては。

彼が、長生きしたらどうなっていたんだろうかと、意味もない妄想。
サイトウタカコさんは、ジョージの信念を通したけど、多くの人は、時代とともに、ビッグだったり、ブルジョアな活動をするようになった。ジョージがエスタブリッシュされるなんて、想像できない。
むしろ、デュシャンみたいになるのかな。
こんな時代を生きる、ジョージを考えたくない。

でも、わたしはこの時代を生きる。

なんで、だろう、ってことばかり。

9.10.08

プレ展「響き合う始まり」響き合ってます。

港町往来ワンダララ計画プレ

[会期] 2008年10月7日|火| → 10月19日|日| 13:00-20:00
[会場] ザイムカフェアネックス
神奈川県横浜市中区石川町1丁目51 045-308-8481
アクセス : 根岸線JR「石川町」下車5分 (JR横浜駅より乗り換えて3駅目)
[企画] 港町往来プロジェクト実行委員会(山岡佐紀子、アライ=ヒロユキ、丹羽良徳、後藤天)
[主催] ザイムカフェアネックス

お近くの方は、12日18:00パーティに遊びにきてくださいね。
その日、14:00からのぎすみこさんのパフォです。インスタレーションの中で行います。

イベントは、13日にトーク
18.19日にワークショップ
1回1500円、2回2500円、3回も2500円


<展示作品>
アーティストの国際ネットワーク組(今回はビジュアルポエトリーを紹介。足立智美さんがキュレーター)
パフォーマティブ組(場所の政治性、空間の歴史と推移を意識したパフォーマンス系。山岡キュレーター)
ハイブリット組(今回は在日韓国/朝鮮アーティストを招待。アライ=ヒロユキさんがキュレーター)

ギャラリーカフェの雰囲気もいい感じ。くつろぎ空間(気持ちのいいソファがたくさん)なので、ゆっくりどうぞ。と言っても、御茶が出ないカフェですみません。

海外アーティストは、みな、写真のドキュメンテーションですが、それぞれ、場所の政治性、経済問題をテーマにしたプロジェクト型やデュレーション型の作品の記録。ロディ・ハンターは「港の貿易の歴史」をテーマにした作品のプランともいえるプレゼンテーション。

トイレは、楽しい「レスト」ルームになっています。「寝ている」人ばかり。魔女パフォーマー、アディーナ・バロンが、イスラエルの国旗模様のふとんにかぶって、ショッピングセンターの柱の上に寝ている写真。背景にはマクドナルド。そこで、彼女は目をつぶって寝たまま、彼女の独特の声で、歌と叫びを、行ったと聞いております。あまり、休まらない「レスト」ルームです。わたしもちょと寝ています。
トイレの入り口にも注意。足もとに、丹羽君のビデオが。ちょっと隠れたすみっこが、好きな人が多いのですよ。

わたしの新作、御高覧いただければと思います。「Missing in Yokohama」 インスタレーションバージョンです。矛盾した記憶の断片を、インターテキスト的(?)に配置した苦心作。1980年代に、横浜からワルシャワに逃亡した、ある親子の話の、背景が、だんだん、明らかになってきます。

庭の東屋の、のぎすみこさんの作品も新作。港を意識して、作ってくれました。テントの刺繍がとてもかわいいです。風ではためくテントは、出航する船のマストのよう。

在日のふたりのアーティストは、わたしはこれまで知らないふたりでしたが、若いのに、なかなかすばらしいです。ペスノッさんと、オムチュスさん。見せ方がうまい。場の空気を作っています。在日のアーティストたちによるアルンアートネットワークというのが、あるそうです。

足立智美さんのキュレーションしたビジュアルポエトリーの部屋は、ソファに座ってゆっくり、ジュリアン・ブレインや松井茂さんのビジュアル本を楽しんでいただきたい。

場所性にフォーカスしたイベントコンセプトが、アイデアに賛同してくださっているアーティストの皆さんのおかげで、だんだん、醸成されていくのを感じています。

8.10.08

展覧会今日初日

この一週間は、寝る間も惜しみ、この2週間は常に、こればかり、この3週間も、こればかり、でした。
きのう、展示を終えてほっとする。この一週間は、身体トレーニングも休まないと間に合わない感じだったので、それを休み、案の定、大変な肩こり、あくびをするのも、至難の技。寝ている時間以外は時計との格闘だった。もう少し、他人に仕事を分配することを考えないと、来年まで、もたない。だけど、儲からない仕事なんてする人は、アーティストしか、世の中にはいないのである。

あした、会場に行きます。参加してくださった皆さんの作品については、あしたレポートしますね。なにせ、きのうは夜遅く終わったので、冷静に見ていない。昼間に見たい。

今日は、日曜にしょうとずっと楽しみにしていたのに、あっと言う間だった。


目でみる力には、言葉では言えない、感性がある。それは、きれいとか、すてきとか、それだけでない。物事の配置ということ、意味の関係性の距離ということがある。
そこに、私は、テキストという、目でみて、さらに読むというものを加えた。記憶の断片、歴史の断片。関係性があいまいで、かつ、矛盾しているテキストの群れ。しかし、関連性もある。イメージの断片。そうしたものを、目にして、言葉を集めて物語の部分部分をつなぎつつ、どういうことを、見る側が感じるか。違って来る。計算づくでない、イメージの出会い、テキストの出会い。たまたま隣り合わせたために起こってくる関係とか。

そういうことを、工夫して遊ぶのは、楽しい。

今日も母とテレビ番組を見ていて、いかに違う所を見ているのだかと不思議に思った。彼女は、与えられたキャラクターで、犯人は誰かと読もうとする。わたしは、論理的にどうなるかで、読もうとする。ドラマの制作者が、視聴者の気分にめくらましをかけようとしている魂胆は、わたしはすぐわかった。だいたい、つくりはどれも似ているし。ということで、TVドラマではわたしの当たりであったけれど、実世界では、どうかな。わたしは、論理優先で、人間性を時々、無視するので、誤解することが多い。こういう自分を克服するためには、論理でも、人情でもない、他の、物事の脈絡を読み取る力が必要だ。

5.10.08

あした搬入

あした搬入。
えっ、とか、何だってっ、ということがあっても、いちいち、あわてることはなくなったが、それは見た目だけで、ハートの中では、ど〜〜んという感じになる。だが、助けてくれる人も少なくなる年頃なので、せめて、「それは困ったね。」と同情のレアクションをしてくれる人が、いてくれるだけで助かる。ありがとうね。

万全の用意かどうか、まだわからない。企画上なくてはならないものをチェックしたら、自分の作品をよくしらべて、スーツケースに入れることにしよう。

友達が、車で運んであげようと言ってくれた。本当にありがたい。実は、ひとりでは、どうなったかわからないくらいの荷物がある。

展覧会、イベント来てください。


ヨコハマの山はけわしいぞ。荷物を持って、坂をどうあがるか。

1.10.08

豊田

きのう、豊田市まで行って、「不協和音 6人」を見たし、パフォの手伝いをしてきた。

豊田市美術館の、お金持ちぶりにも、展覧会の内容の濃さにも、驚いた。聞く所によると、美術館の予算の半分は、TOYOTAが出しているんだそうだ。でも、お金だけでなくて、丁寧さにも、感心しました。
高級そうなレストランには、おそれをなしたが。でも、ランチ1000円はお得です。

6人のうち、4人はフルクサスのアーティストで、「生活の中のアート」を目指しているけれど、これほど、現代において、フルクサスの価値が上がってしまうと(国内ではぴんと来ない人が多いと思うが)、やっぱり、イクスペンシブアーティストだ。小野洋子さんは、ともかく、たぶん、最も、庶民視線の斉藤陽子さんの展示こそが、もしや、一番、お金も手間ヒマもかかったかも。少なくとも、手間ヒマはかかっている。税関で、検疫も大変だったそうだ。テマヒマが、かかるというのは、わたしたちのイベントと違って、職員の給料やアーティストのギャラや滞在費や旅費として反映される。

それから、気がついたのは、何と言っても、サイトウさんとオノさんの、キャラクターの大違い。サイトウタカコさんのあふれんばかりの、「楽しむこと」に重点をおいた自由さ、むしろ、童心に帰ってと言う感じの作品の、真反対の場所に、オノヨーコさんの作品、血の付いた丸眼鏡がぽつんとあり、そのミニマルな強さに、はっとするとともに、他人への厳しさも感じた。世界を甘く見るなよ、というメッセージが濃厚である。何もかも、もう間にあわないという絶望もある。死という......。

一方、オノさんには、モダンアートの世界の技法への信頼もある。だって、そんなもの(血のついた丸めがね)がアートと言えるためには、ものが、何かを表象するというシステムを運用しなくてはならいでしょう。タイトルは「家族のアルバム」。人は、それに彼女の家族であるジョンを連想する。サイトウさんは、モダンアートのシステムには、まったく頼らない。自分の手仕事しか信用しない。自分の手以上のことは信じない。だから、展示も自分でする。サイトウさんが、父権的な家族という関係(世界のシステムのもっとも象徴的なものでもある)を徹底的に切って、ひとりで生きているという現実の、厳しさをそこに見る。そうやって、彼女は鍛えて来た。よりラディカルなフェミニストは、彼女かもよ。

企画者は、イタリアのムディマファンデーションというところ。フルクサスと具体の研究がテーマのひとつらしい。いわゆる助成をするファンデーションではなくて、企画研究する機関。コレクションだけでなく、普及活動がなのだそうです。特に、フルクサス、ジョージ・マチューナスを一番に見いだしたのが、ここのファンデーションのボス。アメリカ人ではなくて、イタリア人が一番に見いだしたんだったのね。具体も、認められたのは、あっちの方だったね。

自分の立場も顧みずに、こういうところへ行くのが、好きな、さきこであった。アートは権威主義だと思う、本来。だからこそ、反権力という、もうひとつの権力も、アートにあるのだと思う。権威づけとガス抜き装置として、自由民主主義国家のブンカ政策には、両方ともが必要なのです。きっと。

29.9.08

やはりプロジェクトかな

港町往来ワンダララ計画は、メインのメンバーの名刺を作ることになった。
それって、やはり、プロジェクトだよね。
端から見ると、「ごっこ」かもしれないし、それぞ本当に、グループ活動かもしれない。「多くの人」が、使うような言い方を、意識することの無意味さを感じる。
つまり、同じ日本語を使っていても、全然、違うイメージを人々が持つってことだ。そこをどう話すか。

ところで、わたしは、TVドラマの、次の台詞を当てるのが、得意です。
でも、現世界ではそうはいかない。
なぜだと思いますか? 世間は主人公が1人ではないから。現世界は、ひとり一人が、その主人公なので、その人のドラマを回りが、つきあってはくれない。ドラマとドラマがぶつかる。
いかに、いわゆる一本の流れのあるストーリーが、不自然で、現実的でない、ということがわかる。ふふふ。なぜ、ふふふかは、わたしの展示作品「Missing in Yokoahama"を見るとわかるよ。

ところで、DVDプレーヤーは、買った店のさくらやが、引き取ってくれました。買った値段で。中身もチェックしないで。2日もたっているのに。方針なんだろうけど、すごいと思う。

28.9.08

プロジェクトという呼び方

展覧会を、「プロジェクト」とよんだりすることは、一般的ではないのかもしれない。その後に「展示」とか書いてあれば、何かの展覧会かも、とか、パフォーマンスとあれば、なにか、イベントがあるのね、とか、そういうことが、わかる人というのは、実は世間の一部だと思う。

浮かれているだけなのかも、と考えてみるのも、いいのかも。

だれかが、「グループ展」と説明しているのを見て、そうなのかと思った。「グループ展」というのは、ひとりでは場所を使いきれない人たちが集まって、作品を見せ合うものだと思っていた。どんなテーマを掲げてあっても、大抵は、それはお題目で、「発表したい」人たちが、好きなことをしているものだったりする。
そういえば、いつかの「ターナー賞展の歩み展」だって、見方によっては、グループ展なのかもしれない。「ターナー賞展の歩み」展なんて、わけわからないよね、普通は。
ベネチアビエンナーレなんかもっとわからない。国際グループ展だとはなぜ言わないんだろう。いつかの美学校のイベントも、グループ展だったんだ。ならば、きっとたくさんの人がわかってくれたのだろうに、長い事、「わからないよ」と言われ続けてきた理由が、ふっとほどかれる。

でも、わたしは、普通の言葉がどうしても、使えない馬鹿ものである。滅びるしかないのかも。

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ところで、展示のために、ポータブルDVDプレイヤーを買ったところ、PALシステムのものは、見られないということがわかった。わたしの手持ちは、PALが多い。完全に新品なのですが、だれか、買ってくれませんか?

27.9.08

おそるべき6人

以下、あるMLに書いたもの。

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9月30日から以下の展覧会があるそうです。
不協和音 日本のアーティスト6人
「戦後日本を代表する6人のアーティスト、オノ・ヨーコ、草間彌生、久保田成子、斉藤陽子、塩見允枝子、田中敦子らのインスタレーション作品展。」

わたしは、このうち、斉藤陽子(たかこ)さんを、在住のデュセルドルフに訪問したことがあり、今回はパフォーマンスのお手伝いをします。

といっても、パフォーマンスのプログラムはオフィシャルにはなくて、彼女は、勝手に(?)30日の夕方頃、行うようです。彼女は、18:00からすると、電話ではおっしゃっていましたが、閉館時刻を過ぎているので、どうするのかな、と思っております。とにかく、当日は昼位から、出かけて行くことにしました。

彼女の作品自体も、来館者参加型です。楽しくて、わくわくする作品です。

彼女の知名度は、他の人より、高くないようですが、フルクサスの最も重要なアーティストのひとりです。彼女のスタジオで、5時間にわたるインタビュウを行い、レポートを書いたことがあります。帰国されることは、めったにないので、関心のある方は、お出かけになってはいかがでしょうか。

因に、美術館の学芸員さんによると、来館するのは、斉藤さんだけだそうです(一番遠いのではないでしょうか)。自分で、展示しないと納得できないため、来日することになったようです。
この6人が一同に集まると、大変なことになりそうですが、見てみたい気がしていました。
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全員女性なのを、「女性の」との言葉を入れないのは、こだわりなのか。見ればわかるってことでもあるね。
オノヨーコに怒られそうだからかな。だけど、結局、女性ばかりにしているのだから、同じことだと思います。


26.9.08

港町往来ワンダララ計画 プレイベント

自分のホームページの編集。ワンダララ計画のサイトとリンクしたかったが、できず。
古いソフトなので、最近は調子悪くて、外部リンクができない。
残念。

ばたばたばたっといろんなことが動いている。
10月にイベントをやるカフェから電話で、オープニングの人数を聞いてくる。
飲み物、料理を用意てくれる。すごくありがたい。
12日、午後6時、みなさん遊びに来てください。

石川町から5分、ザイムカフェアネックス。山の手に上る坂の途中で、わかりにくいですが、
近いですから、地図を握りしめておいでください。

今回のインスタレーションを作るにあたって、榎本武揚に出会う。横浜に何度も来たわけではなさそうだが、スケールの大きな、国際的な政治活動がすばらしい。大政奉還後、「共和国」という理想を掲げたが、失敗したので滅びるつもりだったが、説得されて、明治政府の時代にも外交を中心に働く。今年は、没後100周年。

わたしのホームページに、榎本がオランダから乗ってきた船、開陽丸の写真を入れました。

24.9.08

鼻を使え



















去年、インドネシアのボロブドールに行った時、ガイドの男性が、手相占いをしてくれた。結婚するとか、子供ができるとかそういう、普通の話もしてくれたかもしれないけど、それは全部忘れた。それより、ちょっと、うわっと思ったのは「体制に抵抗するタイプ」あるいは「体制の中で出世するタイプ」という読み。いっしょにいた若いカナダ人の女性は、出世タイプだった。わたしは「protest type」とか言われて、反抗するタイプだと彼は言った。あの仏像群の中で、いわれてしまうと、なんとも言えない気分になる。

学校の成績も良くて、先生に大事にされていたわたしなのだけど、いったい、いつからこうなったんだろうかと、悩んでしまった。端から見ていると、一目瞭然なんだろうが、自分としては、正道を歩んできたつもりだったのよ。そういえば、高校の時、担任が、軽い暴力までふるって、わたしのアートへの道を阻止しようとしたのは、そういうわけだったのか...。
パフォーマンスアート仲間は、学校から食み出ていた人ばかり。う~ん。腹をくくらなくてはならないか。

だが、安易な二項対立は、危険。
反体制を掲げる人って単細胞の「馬鹿」みたいに見えるし、いつだってメインストリームの周辺を歩こうと躍起になっている人は「風見鶏」みたいで格好わるい。
わたしの立場は、............離れて見る、というところかな。一番、「卑怯」なタイプであるが。
でも、会社勤めの頃から、職人さんが好きで「おまえは、どっちの社員なんだ!」と上司に叱られていた。別に、弱者寄りというのではなくて、面白い方に寄って行ってしまうだけ。

理念でなくて、嗅覚を信じるのだ。「鼻を使え」。つまり「象使い」である。それで滅びたとて、それで良いと思っている。もちろん、生き延びる事が何より大事である。それが、どんな形であろうと。怖いけど。

自分の話ですんません。


20.9.08

ゴッホだとか、今更ですが。

MoMAのメールに添付されていたゴッホの絵。きれいだな〜と思う。ただひたすら、思います。

18.9.08

制作中

今、制作中。Missing in Yokohamaのインスタレーションバージョンを作っている。なぜ、髪を金髪に染めて、町を歩きたくなったか、思い出せない。友達に聞くと「完全にはまっていたよ」と言うばかり。切実な理由があったことも確か。

パフォーマンスをストリートで行うということの、理由と意味を考えていたのだと思う。
室内でするような内容のことを、ただ、外へ持ってきても、つまらない。
外には外のコンテキストがあり、それの中に作っていかなくては意味がない、と思ったと思い出す。


失踪することは、都市の最も、レギュラーなあり方だと、わたしは思っている。迷うこと、誰かを探すこと。
なぜだかわからないけど、自分の居場所を見つけて、作っていく、というようなリアリティには、ならない。
それは、たぶん、わたしの内側に起こっていることを、外界に投影するとそうなる、のだと思う。
だが、そういう自分の気分にすぎないことを、作品にするのは、別のエネルギーがいる。そこが、創造のところ。

作る事がすきな人と妄想することが、好きな人が同居すると、身体の中が、喧嘩になる。


もともと芸術的な素材を使って、自分自身の工夫を作品にする、という人もいるし、そういう作品を見るのは好きだ。

なぜだか、わたしは、絵画を描いてい時代ですら、身体感覚、脳の感覚を、テーマにしてしまう。
とは言っても、自分の物語ではない。それだけは、確か。自分を特化するのは、作品だとは、思わない。

制作していると、面白そうなイベントにどれも行けなくなる。くそ。

16.9.08

バブル























BT別冊に載った、私たちのイベント「港町往来ワンダララ計画プレイベント」をの告知を見て愕然とした。バブルだ。恥ずかしい。
イベントは、ささやかなものなのに、別冊といえども、全国版の雑誌の1ページを使って、カラーで載せるようなものではない。

なんというのか、「分」というものがあるだろう?

もちろん、載せていただいたのは、ありがたい。もっと、きちんと状況を話さなくてはならなかった。

たぶん、トリエンナーレバブルへの期待というものがあるようだ。

でも、たぶん、実際は、バブルはないよ。

実際のトリエンナーレは、とてもとても、地味です。行ってみて驚いた。これに何億も使われているとしたら、どこに消えたのかしら? と思うほど。
良い作品もあったけど、作品てあんな風に、見本市みたいに、ばたばた見るものではないと思う。じっくりした作品のところを、観客はどんどん通り過ぎて行く。大金持ちのオノヨーコやマシュー・バーニーの作品は、たぶん、テレビモニター代だけだったのではないかしら。テレビモニターも誰かに借りれば、ほぼたタダ。でも、なんで、日本で毛嫌いされているパフォーマンスをそのテーマにしたのか、謎。ヨナタンのパフォーマンスを見て思ったのは、そういうことでもいいなら「おれにもやらせろ」という言葉。やるよ?
1970年代に、ハラルド・ゼーマンが、ドキュメンタ展に、ハプニング系の(今でいうパフォーマンス)アーティストをたくさんコーディネートして不人気につき入場者激減、イベント主催しているカッセル市に訴えられて、賠償金を払い、破産して、美術館の館長の職も辞して、しばらく、隠遁した、という話をどこかで読んだけど、大丈夫かな。つまり、それを予見して、低予算にした? 

でも、ジミならジミでいいです。権威がないならないでいい。そういう展覧会だと思うから。権威がないなら、ツッコミを入れる必要もない。

それより、まわり。たとえば、ゲリラというのは、アンチであって、つまりは、攻撃相手の権威を認めていることになる。わたしも近くにいたら、そんなことをしたかも。なんか、うんざりする。
中心が、空っぽで、まわりが騒がしいというのは、実に日本的。今度は、皇居を使って、国際展をしたらどうでしょう。


今は、じっくりと自分たちの展示のために、充実した時間を作る準備。せっかくできたいい人間関係は大事にして、そして、今は、内面的になる時間。

どうも、わたしは祭りに向かないようである。
「分」という日本的美学、久しぶりに思い出したけど、たぶん、非常にいいタイミングだったと思う。
ただ、港町というのは、たぶん、もともと、バブリーな場所なのだろう。ただし、それへの問いの声も色々耳にした。思想とスタンスが、明確になっていく、ワンダララな日々、道のりの始まりである。



15.9.08

プーチン独占インタビュウ

プーチン、CNNの独占インタビュウの翻訳みつけました。
CNNが都合が悪くて、カットした部分は、ないんだな。これが。ノーカットだと思ったが。
こちらはたぶん、ノーカットのビデオ。英語の翻訳出ている。

わたしにしてみれば、そうだろうな、と思うような話でしたが。

米産鶏肉輸入の経済制裁をカードにちらつかせたあたりの、すっぽんのような、やくざのようなしつこさは、すげーと思った。さすがワロージャ!!(ウラジミールの愛称)と言いたくなった。特にロシアびいきなわけではないですけど、私は...。

アメリカだけでなく、日本の私たちも、情報操作の中にあります。
誰かが、「ない」と言った場合は、その本当に意味は「ある」であると推測していいくらいです。それに「ある」が暴露された際にも、それは必ず、わけあり、ということが多い。

山があり、海がある。木があって、鳥が泣いている。鳥は虫をとり、猛禽類は鳥をとる。それを私が目撃する。事実は、それぐらいである、というわけです。

でも、わたしたちは、妄想も、操作も大好きな生き物であります。

12.9.08

失踪

   わたしは、カフカの「失踪者」を読んでいる。ずっと前に「アメリカ」の名前で読んでいたものと同じ話。発掘者(?)の都合で長年「アメリカ」だったのだが、どうやらカフカは残したメモに「失踪者」というタイトルで書いていたらしいので、それを尊重しようということに最近なったらしい。それでなのか、また出版された。知らないわたしは、新しく発掘された作品かと思って、買ってしまった。白水社め。ねらったな。
 でも、前読んだ時より、面白い。現代社会のロウドウ問題が、かかわっている。賃金労働者だとか、役人だとか、横暴な小金持が出て来る。前読んだ時は、スノッブで優雅なギャラリーのおねえちゃんだったわたしなので、その切実なリアリティがわからんかったのだと思います(反省)。

   かように失踪者は、名前が変わるのは、常識と言っていい。カール・ロスマンは、その後、ひげ面になり、麦わら帽子をかぶり、日本のスナック菓子の代名詞になった。カールが少年だったのは、ずっと昔。

   4日前から、うちのおじさんの行方がわからなくなった。おじさんは、私の父の兄で、ユウジロウと言う。江東区の都営住宅で一人暮らしをしている80歳だ。父は、先祖のお墓のことで、重要な話をしなくてはならず、電話するけど、出ない。足の悪いおじさんが、旅行など行くはずがないと父は断言する。
   水曜は管理人が休みで、あちこちたらい回しにされたあげく、都の管理事務所の人に電話する。その人は、すぐにおじさんのアパートにでかけ(有名な古くてでかい、迷ってしまいそうなアパート)、様子をしらべてくれた。やっぱりルスだ。「換気扇の所の窓が開いていたので、におってみましたが、特に問題なにおいはしません」と、報告してくれた(なまなましい)。
 翌日(つまり、きのう)父は朝早くでかけ、管理人さんと警察官立ち会いの下、鍵屋さんを呼んで、鍵を壊し、中に入るに至る。
 ..........もぬけの空。きれいにかたずいていたそうだ。どこへ行ったか?
 警察官はさすがプロ(と父は言う)。室内の新聞を調べ、3日前のものまでしかなく、それ以降は、新聞受けにも入っていないことから、新聞販売店が何か知っているのでは推理。電話する。「ええ、入院するから止めてくれと言われましたよ」
 区の福祉課の人が、行ってそうな病院を調べてくれる。結局、ある場所に、ユウジロウ入院判明。父は病院に行き、ユウジロウはたまげる。腰を抜かし、あわやぎっくり腰併発か。ちょっとおなかが痛かったので、病院に行ったら、入院しろと言われたそうだ。鍵屋の代金は、ユウジロウが払った。とんだ出費でかわいそう。(自分はもしかしたら本当は死にそうな病気だから、親戚が呼ばれたと思ったのでは?)

 今日は、横浜トリエンナーレのオープニングだそうで、友達が出かけていった。今日発売の、別冊BTの「アートシティヨコハマ、トリエンナーレの街を歩く」に、わたしの「失踪中」の写真が載っていると、別の知り合いが、ちょっとバカにしたように、わたしに言った。くだらないものが載ったとでも言いたげ。もっと、良いアーティストの写真が載った方が良かったんでしょうが、わたしは、それを載せたかったのではない!!
わたしは「最終原稿」を見せられ、何度もBTの人に聞いた「もう、変更できないんですか?」
知らんよ。
「Missing in Yokohama(横浜で失踪中)」2007 エッセン、ドイツ
まあ、本のテーマにはまっているといえば、はまっている。
ブルーライトヨコハマに対するは、死の商人と言われた鉄鋼王クルップファミリーの町、エッセン。わたしは、この町で、大企業が、ひとつの町の影のコントローラーであるあり方を肌で知った。

来年、開港150年に、もっとヨコハマに迷う為のプロジェクトをわたしは計画している。「ワンダララ計画」そのプレイベントが10月。上り詰めるとそこには外人墓地がある丘の途中の隠れ家的ギャラリーで行われる。また、あらためて、書きます。

6.9.08

リアルについて

久しぶりに苦いチョコが食べたくなってコンビニに行った。苦いチョコが全然なかった。
お店に人に「苦いチョコ、流行らなくなったのね」と言った。「いいえ、流行らなくなったんではないんです。入らないだけです。」と店員は言う。わたしは、微笑みながら「入らないって、注文しないってことでしょ。それって、流行らなくなったからじゃないの?」すかさず店員「いいえ、入れても売れないからですよ」
わたしはだまる。
これは、わかりやすい例だけど、世間は、こういう会話に満ちている。
何か理由があって、その店員は、流行らないということは、不名誉なことだとでも思っているのかもしれない。「商品って、そんなミーハーなものではないんですよ」とか?

毎日毎日そういう会話や行動が気になってしまう。「違うだろう!!」「そう来るの?」それを、追求していたら、哲学者中島義道先生みたいになってしまう。今日もひとつしそうになったので、ちょっと間を置く。

カフカの「失踪者」を読んでいる。「アメリカ」とは同じ話なんだけど、どこか、ちょいと違うらしい。「アメリカ」読んだのは、ずっと前なので、ディテール覚えてないし、わたしも変わったから、この可笑しさがよくわかる。シュールではない、ものすごく、リアルな話なのだ。変な人たちばかりに囲まれた生活。日記を書いて、著者名をカフカにすれば、よいかもよ。あたしも、そういう行動や発言をしているのだろう。時々、わざとやってみたりする。
.............当然だ、世界にはリードプレイヤーはいないし、どの人も自分がリードプレイヤーだと思って行動する。


以下、二つのクレムリン。ふたつめは2006年12月、青山の歩道橋の「クレムリン」。単に、歩道橋の上をシベリアに見立てて、フィンランド人と日本人が、フィンランドのウオッカと日本酒で、ロシアを破ったことを記念して、乾杯、万歳、を唱えただけのことなんだけど、「あれは本当にいいパフォーマンスだった」となぜか言っている人がいる。本人は、ちょっとスカシが過ぎたかしらと思っているのだが、観客の方が進んでいるのかもしれない。つまみは、赤穂の甘塩とにしんの干物だった。橋の欄干の、雪みたいのが、赤穂の甘塩。この恨みはらそうぞよ、だったっけ。それは、金色夜叉かな。写真クレジットはAyano Shibata。



1.9.08

come with me





































場所にたまたまいた親子と、わたしたちの参加者たちとわたしが、いっしょにごろりとしています。ドックの底。

30.8.08

違う次元に住みましょう

ふたつほどパーティに行く。人疲れ。
人との関係が大事と人は言うけど。家には、もっと読みたい本がたくさん。
でも、本を読んでうれしくても、人と会うことの手触りは本では得られぬ。
それをしなくては、生きている価値がない。

あしたは、アクションパフォーマンス。桜木町駅前。

あした来る人に感謝。


騒がしい町の中で、違う次元に住みましょう。

26.8.08

仕事が速い/早い


















 10月後半にボストン〜トロントへ行くので、そろそろ日程を決めなくてはいけないのに、その前の、10月前半のヨコハマでのイベントが、ひっくりかえったりこわれかけたり音信不通とか、なんとかかんとかで、ややこしく1ヶ月近くも日程を決めるのにかかってしまった。それでやっといつ頃行けそうだと、きのう連絡すると、ボストンとトロントのオーガナイザーが連絡とりあって、1日でさっさと、私の滞在日程と移動日、誰がその費用を払うかの分担を決めてしまった。当たり前と言えば、当たり前の速さ。まあ、お金のあるところで、仕事としてやっている彼らだから、当然と言えば当然。うらやましい。

話は変わって...................
以下、次の日曜に参加させていただくイベント。オーガナイザーは広報していないので、お客より、通行人の方が多いかも。
オーガナイザーは、日本に住むイギリス人。
近所の人は、つっかけ履いて、遊びに来てください。

横浜にての山岡佐紀子によるアクションパフォーマンス。
関わりたい方、写真に記録して下さる方募集!!

2008年8月31日(日)14:00〜
JR桜木町駅前 みなとみらい21側の広場 集合(港の方に少しずつ移動します)
アクションタイトル「Come with me」
参加無料 

やってみたい人は、わたしに巻き込まれることになるでしょう。
場所は、旧三菱造船エリア。今は、観光地?? 

参加するイベントは、以下のDislocateという展覧会です。
企画メンバーの太田エマさんが、4月の信濃町でのアクションに参加し、気に入ってくれたのが縁で、誘ってくださいました。
展覧会の内容は、HPをご覧ください。
いろいろな人が関わっていて、面白そうです。
Dislocate 08
詳細はHPへ>>> http://www.dis-locate.net

24.8.08

人と関わる

きのうは、少し波瀾万丈な会見があった。無事、良い方向に向かっているが、油断は大敵。交渉事が、得意なわけでもないと言っているくせに、それをするはめになっていくのは、端から見ると矛盾してみえると思う。だけど、だれだって多かれ少なかれ、それをしなくてはならない。これから、山ほどそういうことをしていかなくてはならない。人というものを、よく知ることができるので、失望することも多いが、可能性というものを感じることも、また多い。そして、何より、自分が鍛えられる。勝つためではない。理解しあうことが一番大事。

 提供者と消費者のスタイルを超えるような関わりをしないと、人は見えて来ないと、つくづく思う。システムは、楽だ。でも、人は見えない。

...................あたりまえの話だなあ。こんなこと、書くようになった、わたしは、ちょっとやばい。
気分転換、気分転換!

写真は、あるところ。

21.8.08

人は変われない

 人は変われない。スキルがアップしたり、環境が変わったり、知り合いが変わったり、評価が変わったり、収入が変わったり、国籍や性別や宗教が変わったとて、本質ということは、変わらないんだということが、ここのところ本当にわかる。自分のことより、他人を見ていると余計わかる。つまりは同じ事だ。同じ間違いを犯していも、今度は、自分はもうそういうことをしてもいい立場だと思ってしまう。油断する。が、間違いはおなじ。自分は見えないと自分に言っておこう。
 また、自分にわかることもそうそう変わらないのだから、わからないことには、首を突っ込まないとわたしは決める。判断はむずかしいけれど。たとえば、自分の立場や利益を守ったりすることが、明らかに、劣っていても(わたしのこと)もはや恥じることはない。
 あるMLで、ちょっと知っているわたしと同世代の美術の専門家が「人間は成長している」と書いていた。「このグローバル化時代には、日本人はもっと個の確立が必要だ」とか。まだそんなこと言っているの? 人間は、成長していないですよ、変わらない。むしろ、能力的には、退化しているくらいです。と書き込もうかと思ったけどやめた。そういう論争自体が、むなしい。個の確立だなんて、笑っちゃう。どんどん、恥知らずになっているのに。でも、わたしは、それを受け止めて、観察して行こうと思っている。わたしも、その船の上に乗っている。努力しても無駄なことはある。

 時々、映画「天国と地獄」で見た、シャブ漬けの人たちが住んでいる町の様子を思い出す。見た目は、こぎれいになっていても、人々の住む世界は、一皮むけばあれと同じなんだと思う。絶望しているわけではない。

 そこで、そんなもんだと思ってその中で肘を張りあってあっぷあっぷするのか、そればかりではないと思って人を愛すことに望みを失わない馬鹿者でいるのか、そこは、その人の何を信じられるかの「本質」なんかなあ、と思う、説教臭い、今晩のサキコだった。
 わたしは、馬鹿者でいいのではないかと思うのである。そういう人もいないと世界は困るでしょう?

今日は、絵をたくさん描き、時々、覚三さんの本を読んでいる。ちょっと苦手な文体ではあるが。絵もどっか、うまくいかず。世事から少し離れたい。

20.8.08

書いてあることがわからん

グルジアの話。新聞を読んでもわからなかった。ネットの新聞もわからない。今日の、産経新聞は特に、ひどい。あきらかに反ロシアのプロパガンダだと思う。わたしは、サヨクでもないけど、西側社会のやりくちってものもあることにはさすがに気がついているから、だまされたくない。センチメンタルに訴えかけようとする新聞。プラハの春、事件と、混ぜるな、危険。
田中某のニュースサイト。これが、一番わかりやすかった。それなら、つじつまがあう。これも偏向している?

以下は、今年5月ポーランドでポリスに職質されているサキコ。あやしいことと、あやしくないことをきちんと説明できるかどうかも、芸術家の大切な仕事(!)。実は、わたし自身より、私を撮っていた背の高いカメラマンの行動の方が問題だった。あまり、目立つ人は、路上パフォーマンスのカメラマンに向かない。トラブルを起こすことが、わたしの目的ではない。

19.8.08

死んだ雀に衣装をつけて

 森美術館に、アネット・*サジュ展を見に行った。フライヤーの案内を読んで、期待半分、なんとか半分だったけど、実際は、案内を裏切ってくれて、とても満足した。案内だと、どことなく、なんとでも言えてしまう系の、最近よく見かける「わたしってちょっとやばいかもしれないけど、かわいいでしょ?」系かもしれないという不安がなくもなかった。フライヤーには、フェミニズムのアーティストとも書いたあったと思う。

 入場すると、すぐに、わたしはにやにやしてきた。たくさんの鳥の剥製が、みな、ぬいぐるみの頭を、被らされ、天井からぶらさがった台にのっている。入場してすぐの左の小さめのへやには、こちらは剥製程の美しさも保ててない、たぶん、単に死んで黒ずんでいる雀(だと思う)がガラスの中にたくさんいて、毛糸で作られた衣装をきせられていたり、折檻具がつけられている。この部屋は、薄暗くて、誰もいなかった。
六本木の午後6時だから、けっこう、若い男女のお客が多くて、ちょっとびびっている。

死体は、この入り口だけで、後は、ちぎれたぬいぐるみが、電動で動いていたり、身体の一部を撮った写真などとドゥローイングのコラージュ。というと、まったく説明不足で、気味が悪いみたいだけど、わたしは、非常に楽しかった。構成のアイデアがとても豊かで、わたしの琴線にふれる。
 美術館の説明みたいに「彼女は聖と俗、ユーモアと恐怖、愛と悲しみ、女性と男性、動物と人間、子供と大人、生と死、表と裏など、人間の相反する複雑さを日常の視点から浮き彫りにします。 収集癖や身体への関心、ぬいぐるみや玩具との戯れ、言葉遊びなどから生まれる作品には、子供のような無邪気さと残酷さが共存し、私たちは、メサジェの紡ぎだす物語の世界からさまざまなメッセージを読み取ることができます。 人間の負の感覚にも正面から向き合いつつ、そこに小さなユーモアを潜ませる独特のエスプリは、世代を超えて多くの人びとの心を捉え、魅了します。チャーミングで幻想的、そして時に奇妙で不可思議なかたちで私たちの前へ現れる作品群。それらは人の心の奥深い部分へ何かを投げかけてくる「使者」といえます。」と言えばいいのかもしれないけど、「ブツ」ってのは、もっと違ったド力でもって、なにかしらかを伝えてくれる。写真やカタログでは、色のきれいさに、だまされるので、買わなかった。ハートに刻み付けるのだ。
 そして、またわたしは、ちょっとしたある決心をした。

 ちなみに、1994年に世田谷美術館であった「アウトサイダーアート」展のカタログの表紙になっている作品は、彼女のものだった!

16.8.08

自己矛盾の秋到来

買い込みすぎた本を処分することを「贅肉をとる」と言った友人があったが、わたしはそうは思わない。家が、広かったら、とっておきたいものばかり。でも、涙をのんで、50冊くらいさよならだ。まあ、妄想という贅肉といえば、そうなのかもしれない。しかし、危なく捨てそうになった、以前ちょっと読んでつまらんと決め込んでいた本を、めくると、おおおおおおおおおおおおおおお。探していた、話が出ているではないか。えええええええええええええええええというほど、詳しく出ていました。

前回の日記を読み返すと、自分がリヒターでもないのに、そういう気分になって、他のおじさんのこと、厳しく言って、わたしって良くないな、と思う。リヒターの本を閉じた時は、やくざ映画を見終わって、気分はなんだか高倉健、みたいな感じだったんだろう。笑える。

こっちは、それどこではなく、本棚、資料の整理をしていると、明らかに2007年夏くらいから、いかに表面だけで生きてきたというのがわかる。表面だけ、というのは、物事の整理をせずに、その日その日で、やってきたということ。なすすべもなく、積み上げられていた資料を整理。写真データにしても、去年気がつかなかったことが、いろいろ、あるのを知る。
このごろ、確実に、体力が回復しつつあるので、どんどん、やるのこころ。(?この言葉遣いはどこから来たかしら)

何事かが、わかってくるのは、傷口が治ってくるスピードに似ている。時間が経たないとわからないことがある。だけど、これは困るよね。実際問題。「人を決めつけないでくださいねっ」とよく注意される私だけど、ある程度のところで、ジャッジしないと、人事部としては仕事にならないものね。それとも、柔軟な頭は、柔軟な身体に宿る、か?
でも、「なせ、国民は健康でならなければならないのだ?」という問をテーマにした作品をつくりつつ、まだ仕上がってない私としては、毎朝、トレーニングする、奴隷のような身体を持つ自分の姿との矛盾をどおするべ。もちろん、国のためではなくて、自分のためなんだけど。自己矛盾に苦しむ、秋、到来。

だらだらした時間。2007年、デュッセルドルフ。尺取り虫みたいなのが、ワタシ。首が切れているのが、アダチくん。誰もからだを「ピン」とのばしたりはしない。これでいいのダ。

14.8.08

のんきについて

3日前、夏休み気分で、佐倉の川村美術館に行った。モダンアートをあれこれ見るのって、本当に、世界から逃避した感じで、気が楽になれる。バーネット・ニューマンの特別室などは、ほんとに、あっという程、アメリカ美術が、希望に見えていた時代を感じた。

今のわたしたちは、そうはのんきでいられない。

ブックショップで、リヒターとタイマンスの評論を買う。リヒターは、webが充実しているから、すでにたくさん実物を見た人で、研究用という場合には、画集は買う必要がないと思います。
イデオロギーを拒否している。彼のその姿勢は、作品に現れる。それが思想そのものだと思った。ノンのノンだ。東でも西でもないし、イリュージョンでも、リアリティでもない。厳しく、「甘い」解釈を回避している。でも、絵画が、何かすばらしいことをしているわけでもなく、感情のニュアンスを表しているだけだとも言う。詳しく書かない。生意気に聞こえちゃうからね。ちなみに彼は、当時東ドイツだったドレスデンの出身で、60年代に、西ドイツに移住した。

きのうは、ビデオにとっておいた、スティーブ・ライヒの今年の東京でのコンサートを見る(聴く)。表現方法で、すでに充分、思想が現れているのに、わざわざ、アウシュビッツ話や、イラクで殺されたジャーナリストについての詩みたいなものを曲に混ぜているのは、あまり、しっくりしているとは、思えなかった。構成としても、クリアではない気がした。アメリカ人的ナイーブさを感じてしまう。ああ、これも生意気だよね。だけど、アメリカ系ユダヤ人という立場は、今では、中東ではある意味、加害者でもあるのだから。............リヒターの後に、接するとつい厳しくなってしまう。

ずっと前に、シンドラーのリストって、映画を、ビデオ屋で借りてみた。長いから、上下巻に分かれていた。上が、終わりかけのシーンは、ユダヤ人達が、trainでぎゅうぎゅう詰めで運ばれていくシーンだった。そのシーンが突如終わり、「引き続き、下巻もお楽しみ下さい」という字が出たとき、わたしは、ひどく、恥ずかしい気持ちになった。自分を責めさえした。でも、今は、言える。その恥ずかしさは、わたしのものというより、スピルバーグのものではない? 恥ずかしいという言葉は、ぴったりではないけど。



以下、写真。ドイツの死の商人(武器商人)と言われた男、アルフレッド・クルップの銅像の前で。

11.8.08

ソ*ジェニーツイン

人生には、まったく思いがけない人が、関わってくるものだと思う。自分でコントロールはできないものだ。
たとえば、両親がこどもの将来に夢見たような世界とは、まったく違う人たちに、子供が反応していくのを、どう思いながら見るのだろう。

わたしは、小学生6年だったかの時に、テレビで見た、ソルジェ*ーツインの亡命に、なぜかとっても感動してしまった。学校へ行って、尊敬する人として、その名を発表し、担任の先生を絶句させた。
中学になって、彼の著作を、一冊買ったけど、読めなかった。だから、どっぷり浸かっているわけではなく、むしろ、亡命ということ、そのものに、あこがれ続けた。そのうち、ミグ25戦闘機が、北海道に亡命した。

何に偉大さを感じたかは、人に話して、理解されたことがないから、もう説明はしない。形で表していくだけ。

やがて、ソルジェニー*ィンの亡命についての、もっと詳しいことを知るにつけ、あの華々しい悲劇の印象は、西側のメディアの演出が過剰だったこともわかって行く。そして、彼の帰国後に、書いた「廃墟の中のロシア」を読んで、わたしが思っていたイメージや、西側が作ろうとしたイメージと本人に、ギャップがあることにも、気がついた。同時に、本人自身にはじめて、接することがっできて、それは良い事だと思う。表現の機会が与えられた人は、いいなと思う。だれもが、そうできるわけではないので、そういう才能やチャンスに恵まれた人は、それに気がついて欲しいと思った。彼は、たぶん、そういう人だと思う。


今月3日の夜に彼は亡くなった。

どっちの世界にいようが、たいしていやなことが減るわけでも、ない、という世界感が、わたしを支配する。
もっといろいろなことを書きたいけど、今日はやめにしておく。


8.8.08

巻き込まれてワルシャワで主演女優になるの巻

昨年、ヨコハマで撮影した「Missing in Yokohama」(80年代に横浜で失踪したポーランド女性であると自分で思い込んでいる女が、久しぶりに横浜へ帰ってきて町をうろうろ歩く)のビデオバージョンは、撮影者のパベルが最後に言ってきたコピーライトの件で、わたしが希望するようには、編集ができないことになったので、後で、仕上がりを見ても、ぴんと来ないから、1年ほったらかしにしていた。また、彼はその撮影で、わたしのこの作品と、彼の方の作品とを2つ作ることになっていた(ご苦労なことである)。そちらは、そのあと、わたしがワルシャワに行ったので、そこで最終撮影があったが、これが驚くようなメロドラマのシナリオができていた。こちらも架空の哲学者レビンスキーがいて、彼を訪ねてきたsakiko。哲学に憧れていたはずが、フォーリンラブになってしまうというもの。こっちは、本名のわたし。わたしが使っているポーランド名モニカですらない。一日しかなかったから、一応演じてみたけど、こんなものが世間に出回ったら、わたしのアーティストとしての、イメージに傷がつくから、出演者の名前は、誰か架空のものにして欲しいと、ずっと申し入れていた。そのうち、どうせ、マイナーだろうから、まあいいかとあきらめた。しかし,映像や写真というものは、本当に怖い。コピーがいくらでもきくし。さらにノーギャラだし。
余談だけど、相手役のクリストフは、wikiにも載っている本物の俳優。演技というものを目の前で見て、自然に見えるって、こうもわざとらしいのかと、関心した。

ところが、久しぶりに、ほったらかしていた、わたしの作品の方(編集は彼)を、見てみたら、案外、面白いので使えそう。
そして、そのB級なメロドラマ映画の方の使い方にも、ひらめいて、いまは楽しい。その「巻き込まれてワルシャワで主演女優になるの巻」は、行き場を失ってうろうろ歩く女の、「まさかこんなことにも!」という事件のコメディとして、有効である。それが、メロドラマであればあるほど、ちょうどいい。撮影されたフィルムそのものも、わたしのトータルなパフォーマンス作品の一部と考えることができる。コピーライトなんて、もうどうだったいいわけだ。映画のタイトルが『真実の現象学(The phenomelogy of Truth)』というのも、また、笑える。
いつの間にか、クラクフで試写まですませているらしい。このやられぶったくりみたいな出来事は、架空のことと、事実のことなど境界がないというテーマにぴったりだ。
それにして、「国際哲学映画フェステイバル」なんてものがあるなんて、不思議な国だなあ。


6.8.08

変な人たち

昨日は、知り合いの、脳梗塞から生還したばかりの、あるギャラリーオーナーに誘われて、ある、大きな展覧会のオープニングに行った。
客観的に、アーティストという存在を眺めていて、思うのは、アーティストって、まじめな人たちだということ。一般に、アーティストって、変な人たちだと思われている節があるが、実際のところは、社会に迎合せず、人間らしさを維持した、ストレートな存在だと思う。ヤマっぽいことを言ったとしても、作品はこつこつ作るしかなく、そのリアクションは、ダイレクトに個人のハートに戻ってくるので、案外、現実的で、嘘が少ない。
変な人々というのは、そのアーティストのまわりにいて、本格的にヤマっぽいことを言っている人々の方。そう言ったら、その生還した知り合いは、「あ、それおれのことね」とうれしそうにしていました。アーティストで、その周辺をかねている人が少なからずいて、それの方が目立ったりするから、人は、「アーティストは変な人」と言うのかもしれない(ウォーホルなんかそうだ)。あるいは、社会のルールより自分のルールを優先しがちな、素朴でナイーブで、お子様チックなアーティストの行動を見て、「変な人」と言う場合もある。

どちらにせよ、変、というのは、実は、ある種の人間社会の真実をついている。バランスの悪い、真実というべきか。ヤマっていることが、ひとつの人間の真実っていうのかしら。欲望サイドについているというのかな。やっかいだが、無視するか批判するか愛するか、それはあなた次第なのよ。

要望としては、できるだけ、変な人は、自覚していて欲しいというのは、あります。変なことは、大事なことなのだから。くだらなくもあるし。

30.7.08

身体という牢獄、あるいは物物交換

ちょいと暗いタイトルになってしまったね。

でもこれは事実なのだ。
10年くらい前に、バイトでお世話になっていた女性が、白血病にかかって、入院。手紙を書いたりして、景色のこととか、鳥のこととか、花のこととか、そう言う事しか、書けなかったからそれを書いたんだが、彼女は電話してくれてひとこと「でも、さきちゃん。わたしは、元気に生きられる身体とこれを代えて欲しいだけ」と言った。

だからって、絶望ではない。
だけど、わたしも2年くらい前から、ひたすら、体力が落ちて、今日の元気が、明日の保証にはならないような感じ。病気があったから、手術したけど、かえって、体力が落ちた。いろいろな体操をしてみて、今は、ボクシング。ちょっとブームらしい。精神との関係があると思って、面白げなことがよかろうと思った。でも、2週間に1度しか、レッスンがないから、毎日は、自主トレ。なわとびとシャドー(って言うのかな)をしている。4週間目になったけど、何か、変わったかな。

物物交換は、欲しいものと代えてもらうための相手を探すのが大変だ。だから何でもと、交換のできる貨幣ができたという話。でも、お金を払っても、知りたい情報は、なかなか見つからないね。売りたいものと、欲しいものが、一致することすら、本当はめったにないのだ。

「身体という牢獄」というのは、実は、また別の話。
他人の立場など、本当は、想像することはできない、という意味だね。また、その逆。

身体のことは、宗教にもなりがちだから、いやなんだ。希望なんかと混ぜたくない。イメージの遊び、それがせいぜいというものだ。80歳になっても筋肉トレーニングをするというのは、変態だと思う。心が受け止められる早さの老化がいいな。ないものねだりだな、それも。第一、病気で死ぬ時、痛みが伴うのは、なぜなんだと思う。殺すつもりなら、痛めなくたっていいではないか。


フに落ちない。腑に落ちないという言葉も変だけど、つまり、そういう制限を、おもしろがりたいということなんだ。
まだ、暗く聞こえる?

一生懸命鍛えているアスリートを見るとご苦労さんって、言いたくなる。自分の身の限界に迫っている。

勝手に他人に思い入れる。愛、かよ。だらしない、考え。想像力。これもだらしない。そのだらしないのも、いいのでは、と思う。
楽に行こうぜ。


写真は最近見かけた、樹。彼/彼女はどこにも行けない。それを面白いって思ってしまうのって、失敬なんだけど、想像力ってそういうものだ。


26.7.08

品川でサキコされたの巻

サキコされた=先越された

おとといだったか、キャノンに用があって、品川駅東口のビル群へ行きました。すんごいところです。人は黙々と歩いています。わたしに関係がありそうなのは、スタバとタリーズコーヒーくらいかな。タリーズでコーヒーを飲んで、熊沢書店で本を買いました。いつの間にかああいうところがあったのね。まあ、幕末太陽伝の舞台が、品川であることを考えると、因縁というべきか。

キャノンへ行く途中に、三菱重工本社ビルがありました。すっかりうれしくなって(!?)、ひとりで町を歩く時は、三脚を背負って出なくちゃね、と思って残念に思いました。ところが、この看板。






















う〜ん、これほど、警戒しているとは。こういうものは、たとえば、キャノンのビルにはなかったです。三菱重工の本社ってまさに日本一の標的なのね。あたしは別に爆破しようと言うわけではないのだけどね。サキ読みされたと思ってしまいました。せめてものことを、と思って、ガラスの外から、結構長いこと中を覗いて立っていました。警備員が、じっとこっちを見るのは、退屈だからだと思います。あたしと、品川心中、してみる?

一方、キャノンでは、コンパニオンみたいなきれいなおねえさんに囲まれて、あれこれ、教えていただきましたが、なんかうすっぺらな情報でした。

見た目ばっかりの町だなあと思ってしまった。


以下は、あるところにあったある貼紙。なんかイカしたレイアウト。


22.7.08

「ニッポン無*任時代」と「幕*太陽伝」

この4〜5日、打ち合わせや人に会う用事で,毎日のようにでかけて、暑さも手伝って、ちょっとへとへと。

 今日は、地元のスカラ座で、映画「ニッポン無責任時代」(1962)と「幕末太陽伝」(1957)を見ました。これは、文化庁と東京国立近代美術館フィルムセンターの主催で、全国の様々な公民館などで行われている優秀映画鑑賞推進事業、なんだそうです。わが町には、スカラ座がある。
 どちらも楽しかった。特に幕末太陽伝の方は、かなりシュールで、気に入りました。「居残り左平次」「品川心中」などの落語がベースとなっているそうです。「ニッポン」の方は、無責任でありながらも、人情に厚かったりするけど、「幕末」の方は、なんのために彼がそれをしているのか、わからない。一応、チップをもらうためなんだけど...。全員、勝手な人ばかりで、笑いもブラックです。それから主演のフランキー堺の身のこなしの敏捷さにびっくり。ほとんど魅了されました。また、出演しているほとんどの俳優、女優が、もう引退している中、菅井きんだけが、この1957年の映画とまるで、かわらない感じで、今も活躍していることにも、驚きました。

夕方、あまりに体力がなくなっていたので、高い国産うなぎと安いゴーヤを買って帰り、夕食としました。お財布、空になる!!

あした、また打ち合わせにでかける。できれば、しばらく、自宅で、制作に励み、内向きのパワーを蓄えたいです。

写真は、5月にフランクフルトの駅前で撮った写真。ワインやビールを飲ませる屋台が並ぶ中、薫製のお魚を売るお店があり、こんな風に、お魚がぶら下がっていました。

ト*ース・エレメ*ツとア*ト・スコー*

おととい見た2つの展覧会。

 
ト*ース・エレメ*ツ。オペラシティアートギャラリー。写真や映像の、日本とオーストラリアの若手作家たち。
 個人的には、入り口すぐのところにあった志*理江子というアーティストの作品を気に入りました。はじめは、どうなっているのかわからなかったけど、いくつか見ているうちに、わかったし、その技法が表そうとしていることもわかったような気がします。ちょっとSF的だったりや霊の存在を示唆してみたり、本気なのかイメージだけなのかわからない微妙なあたりで作画しており、わたしは、想像力をかきたてられました。元の写真が古いものなのか、古そうにしているのか、わからないけど、わたしにはどちらでもいいのです。
 他のアーティストの作品も楽しめたけど、あまりに美学や技巧を、誇っているようなものは、わたしはあまり好きになれませんでした。最後のところにあった、アレックス・*ィビスの作品は、ややもすると、ディズニーランド的な理解や利用をされてしまいそうに思いましたが、そっけなく作ってあるし、映像や写真の、本質に触れるテーマが、面白いと思います。ここに、どういうものだったか、書いてもいいけど、長くなるし、書いてもわからないかもしれないので、省きます。

ア*ト・スコー*2007/2008。原美術館。ドイツの車メーカーで あるダイムラーのファンデーションの交換プログラム。日本から2人、ドイツから2人。去年はドイツで滞在、展覧会。今年は、日本に滞在、展覧会、というプログラム。1970年生まれ前後の人たちだが、日本の作家の方が、経験や、それぞれの国のアートシーンでの地位が高いのではないかと思いました。ドイツはたくさんの、活動しているアーティストがいるから、チャンスがぐるぐる回るのではないかな。日本は、一握りのアーティストが、活躍という事情。
 照*勇*さんの作品は、もう本当に、アイデアにも美しさにもユニーク性にも驚くばかり。繊細な作りで、これほど、スケールを感じることができるものかと感心するばかりです。見た目だけで終わらせないで、知的な操作とか、意外な取り合わせ(本物の蝶がガラスの中にいたり)をためしたりなど、どんどん発展させておられていいなあ。
 加藤*さんも、まとめて数点見たのは初めてだったので、面白かったです。もうベテランという感じ。家族像ではない作品も作ってほしいと思うけど、たぶん、自分にまつわわることに感心のある人なんでしょうね。どちらの方も、原美術館の空間を、とってもうまく使っていてました。たぶん、キュレーターも優れているんでしょうが。
 2階は2人のドイツのアーティスト。映像作品のエヴァは、面白かったけど、ビル・ヴィオ*の影響大なのが、気になりました。それでも面白くはありました。実は動いている、ということに気がつかないで、どんどん部屋からお客が出て行ってしまっていたのは、残念。もう一人の、アスカ*の作品は、ちょっと、わたしには、わからないです。ごめんなさいね。
 原美術館のあの、お高いレストランに、人がいっぱいいて、小金持たちの3連休の中日を、ガラス窓ごしに、祝福いたしました。わたしは、品川駅前の、券売機も壊れている、陰気な立ち食いそば屋で、一服しました。


 どちらもまだやっている展覧会なので、もし、これから行く人があれば、感想を聞かせてくださいね。


 以下は、まったく関係ないですが、クラクフの町外れで見た、社会主義リアリズムな大げさなビル群の中にあった彫刻。ビル群や彫刻には、「力」「秩序」「科学」という言葉が浮かぶ、迫力があります。観光地に飽きて、ぶらぶら歩いていたら、見つけた町。面白かったです。面白さって、好きかどうかというのとちょっと違うようですね。

21.7.08

ター*ー賞展

先週から、あちこちでかけて、いろいろなものを見てきた。

先週のことから。森美術館。「ターナ*賞展」最終日に滑り込み。前の日から、暗い話題のものに触れていて、世をはかなんでいた、わたしであったが、この展覧会で、救われた。楽しい。ウイットネスとユーモア。感情に対して距離を置く事。わたしが、なぜアートが好きか、思い出す事ができた。
タ*ナー賞については、おおよその知識しかなかったけど、説明パネルでよく知る事ができた。サッチャー政権下のイギリス。様々な公営事業が、つぎつぎと民営化され、また民間の起業が推進されていた1984年。これによって、富裕層が増えたが(だそうだ)、一方、芸術に対する国家の援助はカットされていたので、その富裕層を含むテートギャラリーのパトロンたちが芸術振興のために、「新しい美術のパトロン」という協会を設立したんだそうだ。それによって、生み出されたのが「ターナー賞」。不景気でできなかった1990年以外は、ずっと続いている。昨今は、イギリス人以外でも、賞をとれるようになった。..........そうです(知ったかぶりではなくて、メモって来た)。
有名な、デミア*・ハーストの作品「母と子、分断されて」は、ショッキングな面ばかり強調されているが、実際の生で見ると、非常に興味深い作品であった。生命の実体についての興味と、そういった物質が、決してそれではないと感じるはぐらかしが、逆に生命とは何かを伝えてくれる。博物館のオブジェとはやはりアプローチが全く違っていて、何より、大変、美しかった。
その横にあったデミアンの、カラフルなドットによる平面作品も、気に入った。完全に、偶然性によって、色配置されているらしい。劇的な人生なんて、ここでは関係ない。突き放した感じが、わたしには、たまらなく、心地いい。デミアンは、めちゃくちゃに頭とセンスがいいのだろう。

一番最近の受賞作品、マーク・ウオリ*ジャーは、本人が熊のぬいぐるみを着て、ベルリンのナショナルギャラリーの中をうろうろするところを、監視カメラのようにビデオで撮ったもの。どこか、すかすかした感じに作っておきながら、「監視」という最も現代的な問をテーマに、気づく人には、ぞっとする緊張感を与えているのは、やはり、秀逸な作品かな。ドイツの美術館って、ばかでかくて、いつも国威発揚って言葉を思い出してしまっていたので、ちょっとうなずける。最近の日本の美術館も、そうだ。なんじゃありゃ。

誰もが気がつく訳ではないということが、現代的だと思う。そこに、賭けることができるのが、やはり、アートなんだ。誰にでもわかることなんて、いやだという、スノッブがアートをやっている。(とわたしは思っている)

それにしても、理性が、ぴんと立っていることが、わたしに大事な救いであり、勇気をもらえると思う。
また、あらためて言うのもなんだけど、雑誌やネットの情報で見るのと、実際に目で見るの違いに、わたしは驚きました。
何にしても、自分の目で見て、自分で考えなくちゃと思う、iSaccoである。

今週も2つ展覧会を見たけど、また後で書きます。

写真は、六本木の帰りに、日比谷線の電車の中で見た、床模様(つぎはぎ)。女性のサンダルの模様などと、合っていて、楽しかった。

18.7.08

手紙を書こう!!

ある町を歩いていたら、15年くらい前に歩いた町を思い出した。三重県尾鷲市の坂道の町。坂を上ったところに布団屋さんのスズキのおじさんが住んでいた。思い出して、家に帰るとすぐに暑中見舞いを書いて投函した。それがおととい。そしたら、今日、電話がかかった。なぜ、この番号がわかったの?15年前は、わたしは、千葉に住んでいたのに。ミステリー。
でも、電話はつながった。うれしかった。15年前の気分になって、おしゃべりをした。タイムトンネルのひとときでした。
夏になると思い出す。みんなで行った尾鷲とその隣町の海山町。お魚がすごくおいしい。海山のプロジェクトと言ったっけ。
友達ってものが、普通に存在していて、ただ、「旅行いこう!」と言えば、「うん」と言える気軽な関係。今は、相手の都合やら、興味やらを考えないと動けない。
でも、こういう記憶を持っているのは、うれしい。
そして、今回程、暑中見舞いの意味をかみしめたことはありません。

手紙を書こう!!

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ところで、iSaccoは、webにも入れました。
iSacco広告(日本語)
英語版もあります。
15年前には、全くない世界だけれど。



17.7.08

iSacco

好評につき、広告作ってみました。クリックするともう少し大きく見ることができます。

14.7.08

i-sakikoになる


i-sakiko
になってみる。

ものの名前の前に、一文字、小文字のiをつけるだけで、誰が見ても、どこの商品かわかり、品質保証をしているみたいな、アイデアって、ちょっとすごい。なるべく、ブログには、ネガティブな言葉を書かないように、気をつけ始めているので、「すごい」としか、言えない。
「えらい」とも言える。実際、誉めていもいるし、ジェラシーなのかもしれない。
それで.........というのも、なんだけど、わたしの名前の前にもつけてみた。で、どうだっていうか、わからないけど、もし、この名前で、世間に流通したら、アップルコンピューターは、わたしを訴えるかしら。

写真は、額縁の中で、横たわり、光をあびる i-sakiko
ちょっとキリストの気分。アップルは、原罪のシンボルでもある。

11.7.08

太陽の下の風

「わたしは生きている、植物も生きている、ゆえに、わたしは植物である。」
これは、境界人格障害の人のことを書いた書物で見つけた、あまりに芸術的な認識の「間違い」の例です。確か、木村敏さんの書かれた本です。(あまりに芸術的な、と形容したのは、木村先生だったと記憶しています。)
わたしは、その間違いを体験してみようと、天気のいい日中、4時間、2日間、植物になりきって、太陽を向いて、風になびきながら、
過ごしました。写真のふたつの椅子は、「あなたもなってみませんか」と人間に誘いかけています。学生さんが、随分、トライしてくれました。植木鉢の観用植物は、人間界になれすぎたわたしの仲間、話し相手として、置きました。風が強いと、倒れちゃうのですが、通行人がいつの間にか直してくれます。鉢の水は、時々飲みます。
この間、気がついたことは、太陽は、とても速いということです。はじめの1時間くらいは、ゆっくりだと感じましたが、植物になりきってくると、追いかけるのが、やっとです。そして、人や車の音はほとんど記憶になく、風の音の変化のことだけが、思い出されます。

はじめてのデュレーションパフォーマンスは、思いのほか、すてきに過ごせました。
見た目はどってことないですけどね。この経験を元にした、作品を室内のギャラリーで行いました。それはまた別の日に。



10.7.08

まんまるに目をあけて

言葉は踊る。
言葉にしにくいことでも、人は努力して表現しなくては、と思うには思うが。
息苦しくなる時がある。たとえば、心に関する話題の中ではむずかしい。
特に、へたすると、言葉は身体を失って、呪詛みたいになってくる。その時、それを否定しても遅いかも。自分たちの息から生まれて来た怪物を、消そうとすると、自分も死んでしまう。
そんな時、目に入ってくるイメージ、とか、身体を動かした時の爽快感などが、助けてくれると信じたい。


サミット話は、新聞でいくら見てもよくわからない。映像で、ブッシュが福田首相の奥さんにウインクしているところとか、共同記者会見の時に、福田氏に対して笑顔で右手を差し出し、先に行くように示している図の方が、わかりやすい。新聞には、道を譲っていると書いてあるけど。

写真上は、ワルシャワにある旧文化科学宮殿。ソ連が作った、当時最も大きなビルだったらしい。今は、映画館やショッピングセンターが入っている総合エンターテイメント施設。その下は、古都クラクフの中央広場で行われていた、自動車会社Hundaiのデモンストレーション。