21.7.08

ター*ー賞展

先週から、あちこちでかけて、いろいろなものを見てきた。

先週のことから。森美術館。「ターナ*賞展」最終日に滑り込み。前の日から、暗い話題のものに触れていて、世をはかなんでいた、わたしであったが、この展覧会で、救われた。楽しい。ウイットネスとユーモア。感情に対して距離を置く事。わたしが、なぜアートが好きか、思い出す事ができた。
タ*ナー賞については、おおよその知識しかなかったけど、説明パネルでよく知る事ができた。サッチャー政権下のイギリス。様々な公営事業が、つぎつぎと民営化され、また民間の起業が推進されていた1984年。これによって、富裕層が増えたが(だそうだ)、一方、芸術に対する国家の援助はカットされていたので、その富裕層を含むテートギャラリーのパトロンたちが芸術振興のために、「新しい美術のパトロン」という協会を設立したんだそうだ。それによって、生み出されたのが「ターナー賞」。不景気でできなかった1990年以外は、ずっと続いている。昨今は、イギリス人以外でも、賞をとれるようになった。..........そうです(知ったかぶりではなくて、メモって来た)。
有名な、デミア*・ハーストの作品「母と子、分断されて」は、ショッキングな面ばかり強調されているが、実際の生で見ると、非常に興味深い作品であった。生命の実体についての興味と、そういった物質が、決してそれではないと感じるはぐらかしが、逆に生命とは何かを伝えてくれる。博物館のオブジェとはやはりアプローチが全く違っていて、何より、大変、美しかった。
その横にあったデミアンの、カラフルなドットによる平面作品も、気に入った。完全に、偶然性によって、色配置されているらしい。劇的な人生なんて、ここでは関係ない。突き放した感じが、わたしには、たまらなく、心地いい。デミアンは、めちゃくちゃに頭とセンスがいいのだろう。

一番最近の受賞作品、マーク・ウオリ*ジャーは、本人が熊のぬいぐるみを着て、ベルリンのナショナルギャラリーの中をうろうろするところを、監視カメラのようにビデオで撮ったもの。どこか、すかすかした感じに作っておきながら、「監視」という最も現代的な問をテーマに、気づく人には、ぞっとする緊張感を与えているのは、やはり、秀逸な作品かな。ドイツの美術館って、ばかでかくて、いつも国威発揚って言葉を思い出してしまっていたので、ちょっとうなずける。最近の日本の美術館も、そうだ。なんじゃありゃ。

誰もが気がつく訳ではないということが、現代的だと思う。そこに、賭けることができるのが、やはり、アートなんだ。誰にでもわかることなんて、いやだという、スノッブがアートをやっている。(とわたしは思っている)

それにしても、理性が、ぴんと立っていることが、わたしに大事な救いであり、勇気をもらえると思う。
また、あらためて言うのもなんだけど、雑誌やネットの情報で見るのと、実際に目で見るの違いに、わたしは驚きました。
何にしても、自分の目で見て、自分で考えなくちゃと思う、iSaccoである。

今週も2つ展覧会を見たけど、また後で書きます。

写真は、六本木の帰りに、日比谷線の電車の中で見た、床模様(つぎはぎ)。女性のサンダルの模様などと、合っていて、楽しかった。