14.7.13

身体に「ラベル」をつけるということ、場所のこと

「風の音が聞こえない」というイベント(三田の家、7月13日)で行った私のパフォーマンスを紹介します

誰もがよく知っているある文章の「前文」を27のフレーズに分け、その中の大事な単語をあえて記号の◎で伏せ字にしてラベルにし、参加してくださった方々(私を含めて5人)の身体のいろんな箇所に張りました。そして、それらを私たちは、声を出して読みました。と言っても、◎◎の部分は、「ムーフー」と読むしかありません。大切な言葉は、あまりくり返し口にすると、言葉はすり減ってしまいます。だから、字にしない、口に出さないということを考えました。耳タコ状態になることで、それを考えなくなるのが恐ろしいから、です。身体を折り曲げ、覗き込んだり、複数のメンバーで協力しながら、それらは読まれました。皆さんのご協力のおかげで楽しかったです。それから、観客と参加者の皆さんには、気に入ったそのラベルを1〜2枚、持って帰っていただき、路上や公共空間に、(こっそり)貼って/置いていただくようにお願いしました。


「国体」は英語では、Body Politicsと言います。国をどう考えるか、というのは、私たちの身体の問題なのです。憲法の前文くらいは、国民として、暗記しておいたほうがいいかもしれませんね。 
参議院選が近くて、憲法の改正もひとつの争点になっています。そのような状況もあり、このネタをとりましたが、単に、時事ネタ、というわけではありません。


身体に文字を書いた紙を貼るということは、どんな印象だったでしょうか?まずは、ビジュアル的にはポップな印象があると思います。吹き出しのある、漫画の、実写版見ているような感じ。一方、コンセプトとしては、「社会的身体がどのような思想の元に生かされているのか?」を表したいと思いました。そして、人の身体が、「ラベル」化されるということも。政治が決めた様々な条件を、国民は逃れようもなく、貼付けられた場所に生きているということ。

そのようなコンテキストを読み込むには、そのように読み込まれるに相応しい「印象」の作り方/読み方も、昨今のアートには大事なんだろうと私は思います。どのようなコンテキストでその表現がなされたか、も、その内容の理解に、影響します。コンテキストには、場所のことも大事です。私は、特に、場所を考えます。


この「風の音が聞こえない」というイベントが、三田の家という場所で行われたことを考えてみます。
パフォーマンスアートが好きで関わっている人々というグループ、それと、三田の家という慶応大学の社会学の研究に関わっている人々(先生と卒業生たち)という、グループ。そのかなり違ったタイプの人々が、混ざり込んだシチュエーションでした。どんな雰囲気だったでしょうか。ちょっと分断していて、ちょっと解け合っている感じかな? 普段、地域の方達も出入りしていると聞きます。それが場所を柔らかくしているのだと思います。

そして、人は誰でも、どのように自分を「見せかけるか」の努力を、しています。パフォーマンスは、見せかけつつ、現れるものだと言われています。
態度や表情に、その人たちの様々な部分が表れます。見えたものはどう解釈されるでしょう? 様々な「印象」や「想像」がうずまきます。それも表現の一部なんでしょう。
身体にその人の社会的位置が現れます。その特徴をむしろ強調して、作品に引用している人もいます。私は、アーティストという社会性を、使っているつもりです。アーティストとして、社会に対して、何をすることができるのか。今回は、かなり意識的に考えました。そして、アーティストの定義が、日本の社会の中で、どうなっているのかと思います。観客のおひとりが「きっと、普段は固いご職業なんでしょうね?」と、私に聞きました。気になりますよね。

教員をしながらアーティストである人、ビジネスをしながらアーティストである人、勤め人でありながらアーティストである人、アルバイトをしながらアーティストである人。収入を得る仕事が、その人の、社会的立場を表すのでしょうか?

このパフォーマンスは、憲法のことよりも、もっと、広い意味での社会における「ラベル」のことを表したいと思って行いました。私は、それに対し、じれったい感情を持っています。



立ったのは5人です。この写真は、私がまだ、入ってない状況。五角形を見るとどんなことを連想しますか? 私は、ペンタゴンを思います。もし、私と同じように、ペンタゴンを連想する人があれば、その人には、ここで使われた文章が、アメリカのGHQによってもたらされたものであることが、私の頭の隅にある、ということをお伝えします。

参加アーティストの花上さんと永井さんが協力してくださいました。反対側にいらっしゃるのは、渡邉さんという三田の家に関わっている慶応大学の卒業生です。もう1人の方も、その方面の方だったと思います。ご協力、感謝します。

互いに、あるいは、観客の方たちと協力して、27枚のラベルを身体の色々な箇所に貼りました。逆さや、斜めという具合に、身体をよじらないとよく読めないだろう、ように貼りました。


渡邉さんの背中。

花上さんの頭。

そして、声に出して、それが読める位置にある人々とともに、読みます。◎◎部分は、とりあえず、ンーフーと読みます。英語を話す時に、合いの手として、言う、あの言い方です。

私の脇腹。


どの手が誰の手で、どれが誰の足なのか?

永井さんの背中。


以下は、お持ち帰りいただいたラベル。パフォーマンスは、皆さんが帰る時間まで続きました。ラベルを取り分け、それぞれの方に、どこか、路上に残したり、こっそり貼ってくださるようにお願いしました。

岡原先生。後で、田町駅に貼ってくださったそうです。



帰宅途中の北山さん。

帰宅後にラベルをつけたまま、寝入ってしまったらしい永井さん。

永井さんは、朝起きて、家の郵便ポストに貼ったそうです。

1.7.13

Public Art Magazine vol.4 社会にエンゲイジしていくアートとは?

Art & Societyというパブリックアートの研究所が出している、Public Art Magazineに、記事を書きました。
「アーティストランプロジェクトの展望」というタイトルのインタビュー記事。堂々カラー4ページ。ストックホルムとロッテルダムで、3種類のアーティストのグループにインタビューしました。私の作品の写真もちょろっと載ってます。


取材は、昨年の5月なのですが、ようやく、日の目を見ました。実は、昨年夏に、私のブログや、横浜のTake Art Eazyというサイトにも、出させていただきています。


マガジンのテーマである「エンゲージ」。パブリックアートの基本ですよね。Part1ということは、次回に続くのねかしら。

マガジンをご希望の方は、以下へお問い合わせください。
http://www.art-society.com/report/20130621.html


視線の彫刻 Sculpture of Eye Contactという作品のプロジェクト

実のところ、パフォーマンスアートをはじめた、1991 年の時に、同時に、映像作品も作りたいと考えていました。いくつものことを同時にやれない性分なので、思い立って、20 年が経ってしまいました。

最大問題は、自分がパフォーマンスしているときは、撮れないということです。センスの合う(いい)人がビデオを撮ってくれた時は、編集して、ドキュメントにしていました。結構、You tubeにアップしてます。最近の作品「天使の監視」(2011)と「Targeting Zigzag」(2012)は、編集し作品化することを前提に、岩田稔夫さんという方に撮っていただきました。それから、昨年暮れには、インタビューの動画もいくつか、制作しています。
https://sites.google.com/site/publicdoubleinterview/

現在取りかかっている「視線の彫刻Sculpture of Eye Contact」というのは、そういったパフォーマンスアートとはかなり違った物で、かなりのチャレンジです。門外漢なことをしている気がします。どういったものになるのか、正直、どきどきです。
発表は、10月に、ブラジルはクリティバというところです。クリティバでも撮影するので、東京で作ったものをどのくらい、そこで見せるかどうか、まだ決まりません。
以下のイメージだとドラマっぽいですが、全然、そうではないです。







はじめは、家にあるぬいぐるみを使って、動画をつくりました。



この犬の目は、人間以上になにか、語ってる気がしてしまいます。