28.11.09

渋滞学とぴちぴち行動

今日は、「渋滞学」の話を、立教大学に聞きに行った
きちんと急ぎたいなら、ゆっくりゆけ、ということを数学で証明した西成さん。国のお金で研究している超エリートだけど、変人きどりで、妙に楽しそうなやつだった。まあ、それはいい。
自分だけ助かろうとすると、もしかして、自分だけは助かるかもしれないが、あるいは、自分も含めて多くの人が助からないかもしれない。ゆっくりすれば、より多くが助かる。自分は、自分ひとりではないのだ。ひとりで、無人島にたどり着いたってつまらないじゃん。とまでは言わなかったけど。数学が実学に応用されるとも言えるし、実学の真理に、数学がある、とも言える。
21世紀を生きる為の、知恵を、収集する為に、こういう授業も受けておきたいと思った。

明日は、C&M tokyoの最も若いメンバー、阪中君の企画している「ぴちぴち行動展」のオープニングに、パフォーマンスをしにゆく。明日からだってのに、ホームページに、スケジュールが出てない。明日は、その阪中君の誕生日で、20歳になるんだそうだ。そのパーティに、パフォーマンスを頼まれた。作品も、例の、グラスを、落して行くやつをやって欲しいというので、今日は、数千円分のグラスを買った。西武線東長崎駅から10分のターナーギャラリーで、19時からです。まあ、19歳にしては、すごくしっかり、アーティストである、阪中君をお祝いしてあげよう。テーブルの上に渋滞を作る。解消は、平和的ではない。

右腕が痛すぎるのが直らないので、来週は、整形外科に行きます。右足の親指の爪も割れているみたいなので、それももてもらおうっと。壊れているのは、わたしの方なのだ。

22.11.09

帰国しました。

おととい帰国しました。最後の晩に、風邪を引いたらしく、飛行機の中で、吐きながらかえってきました(笑)。検疫はめんどくさそうなので、無視して、家に帰り、熱いオフロに入り、おかゆを食べ、2日ひたすら寝、なんとか、直ったみたい。インフルエンザじゃな〜いと祈りつつ。大丈夫、高熱は出てない。

台湾。わたしが参加したイベントで、わたしがもっとも成功したもののうちのひとつとなりました。

昨年からやっているパーティのように優雅にセットされたグラスたちをターミネート(皆殺し)していゆくパフォーマンス『Wind from Sky』、台東大学の100人以上の学生に囲まれて、ほんものの風がびゅんびゅんふく屋外の石造りのステージで、日も暮れ始めた約一時間、ねっちりと、闘牛のようなしつこさで、ねじふせました。ちょっと中だるみしたものの(つまり、風が強いので、紙やプラスティックのものが置けず、全体の質感が似てきてしまったのでね)、屋外であることを良いことに、暴力性がましてきて、力士のようになってきた。すいかや、シャンパンボトルという大物も、がしゃぐしゃ。面白かったのが、ものが落ちるたびに、学生さんがキャーと声をあげ、しまいには、5人ぐらいの学生さんが出てきて、シャンパンやグラスを、救済してゆきました。
準備に少々お金がかかる作品ですが、やるたびに、状況が変わって、自分でも、ハラハラします。買い物にも、神経使ったよ、だって、100円ショップがないんだもん。でも、お店で、ねぎらせていただきました。

新しい作品『Ceiling Painting』は2時間のデュレーションパフォ。台北と台東の両方で行いました。これは、参加アーティストすべてが、同じ時間に別々の場所で、別々の作品を2時間行うというもの。観客は地図を持って、見てまわります。(ちょっとサファリパークみたいなもんだ)
台北では、公園の中の、子供がよくのぼるような木造3階建ての展望台の、てっぺんの狭いスペースで行いました。覗き込まなくてはならないので、あまり、よく見られなかったかもしれないけれど。ただ、アイデアはわりと、判りやすかったと思います。陰陽の印、太極の図を描きました。その上に、白い面にyesというシールを貼ったオセロのコマを、120個ほど置き、直接、見ずに、目を背けたまま、指の感覚だけで、コマを裏返します。はじめは、ばらばらに置いて、それから、それらをずべて、黒にする。yesの側は、シールが貼ってあるので、ざらざらします。時々、脚立に登って、その上から双眼鏡で、それらを確認する。双眼鏡は、近くを見るための道具ではないですから、大変見にくい。すべて黒にしたら、今度は、すべて白のyesにする。およそ、2時間かかります。双眼鏡で、脚立の上に立つときは回りの風景も見て回る。それは、公園内のいろんな人から見えたでしょう。面白かったのが、原住民であるワタンというアーティストが、展望台の私に、原住民の姿で、弓矢を射るアクションをしたこと。150年近く前の、台湾の状況を、表したみたいです。

台東市では、元砂糖工場跡地が、私たちのデュレーションパフォーマンスに与えられたスペースでした。わたしは、元事務所棟で今はカフェになっている建物の中庭で、行いました。ここには、黒犬2匹と猫がいつもたむろっています。白黒のオセロのコマを使うので、いい感じになると思いました。ここでも、学生さんの自由参加があって、終わるとともに、そのまま、ミニトークタイムになっていったのは、良かった。うれしかったのは、カフェのオーナーのナイスなおにいさんが、いたく喜んでくれたことかな。指で、ゆっくり、yesを探すというアクションは、理解しやすかったと思います。ヨコハマのカフェのオジサンもこうだったら、良かったのに..........。
残念なのは、このイベントの方法だと、他の人の作品がほとんど、見られないことですね。
なので、自分の話ばっかりになる。


トークイベントもしました。予定にはなかったので、ホームページからテキストをダウンロードして、持っていたDVDをネタに、1時間ほど。通訳が入るから、実質45分くらいだったかな。5月のザグレブ行きの時に作ったものが、ここでは、カットされずに、最後まで、見てもらうことができました。


今回学んだことは、イチローに同じく、パフォーマンスに立つまでのプロセスが大事ということ。集中力を高めてゆく流れの中に、無駄をはぶいて、まっすぐ、目的に向かうということ。わかっていても、いつもできるわけではないですね。
今回は、オーガナイザーのイエーツーチーの、イベントの目的がはっきり、わかり、それがぶれていないことを知って、リラックスできたこと。ウソや駆け引き、パワーゲームがないこと。これは、わたしのような生き物には、ありがたい。
この実績を、どう日本での活動に生かしたら、いいか、考えると頭が痛い。単に、台湾の空にギフトとして、撒いてきただけのことになるのか?
まずは、今後は、知り合った学生さんたちを、C&Mに巻き込むかどうか、考えている。


写真は後日。

11.11.09

イカした写真

では、
12日から19日まで台湾へ行ってきます。
2回のデュレーションパフォーマンスと、台東大学でのソロパフォーマンス。台東大学でのソロは、他の人はやらないので、責任重大です。
イベントは、もう一週間長く続きますが、わたしは、父の病状のこともあり、半分で帰ってきます。

デュレーションパフォーマンスの内容が、まだ、はっきり決まらないんだ。苦しんでおります。

みなさん、ごきげんよう。


以下は、今年4月の例のあたしのパフォ。この写真もいかしています。芝田文乃さん。現在個展中。 この写真はないと思うけど。


10.11.09

無事に生き延びられるか

実のところの最大の問題はこれ。
事故や病気で死ぬのは、案外怖くない。もうあしただっていいくらいだ。
だけど、生活できなくなり、餓死するとか、施設に送られて生きながら死んでいるというようなことになる可能性は、可能性の問題ではなくて、三分の一くらいの確率で私に、起きる。

20年くらい前に、「40歳寿命説」という本があって、たしか西丸震哉という農水省にいた食糧学者が書いた。1960年代前後以降の生まれの人は、長く生きられないというのだ。食事の内容から、書いていたと思う。わたしは、40歳を過ぎた頃、あれ、案外大丈夫じゃんと思った。
ところが、ここに来て、50歳前後の人が、突然死する話を聞くようになった。主に、過労死なんだけど。
そうすると、将来、老人人口が増えていくという問題は、妙なことで、緩和されるかもしれない。つまり、多くは長生きしなくなる、ということ。

なので、上手に病気で早死にしたいって書いているわけではないけれど、言っているのかな。


とにかく、生き延びられるか、それは実は切実。だからって、職種換えすることもままならず、いつか........憤死するのかもね。

昨年から今年にかけて、亡くなった私の知り合いは、ふたりともアートプロジェクトを、手弁当で走り回っていて、途上で、倒れている。どちらも、とても、まっすぐな人だった。あきれるくらい。たぶん、ひとりで引き受けていたんだろう。「良い人から逝ってしまった」と書いたのは、アウシュビッツを生き延びた精神科医のフランクル氏。
良い人は、本格的な修羅場の来る前に、行ってしまえる、ということかな。アートプロジェクトはやめたがいい、ってことかな。大きなのはやらない。


金持ちたちは、策をねっているよ。どうやって、人口が増えて行くのを止めようかって。日本は増えてないけどね。


椅子トリゲームは始まっている。

9.11.09

虚栄心

左手でやってます、あいかわらず。右手は、拷問され続けてる。

虚栄心は、はずかしいことでもなんでもない。だが、自分のそれと、他人のそれを、どう扱うか、だね。
わたしは、かなり、もう冷静になってしまって、後をひくようなことはないみたい。なくしたわけではなくて、飼いならしている。でも、他人のはどうしようかな。

作品、整理がまだつかず。すげ〜目立ちたいし、ロジカルな美しさも欲しい。やはり考えるのは、未来の人間なのだ。

MLでシモダ氏が、パフォーマンスアートの弁明みたいなこと書いていたけど、じゃ、何が面白いんだ? ということになる。問題はジャンルでかこってしまっていることだと思う。だって、なぜ、他人の作品まで引き受けなくてはならないの? 
もはや「運動」のスタイルは、生かされない。匿名性みたいなことって、わたしには興味がないもん。虚栄心があるからね。

今日も家事とデザイン仕事に追われるけど、時間をみつけて、妄想を広げたい。

8.11.09

うそはばれてしまう

右腕右肩が、痛くていたくて、整体に行ったけど、だめ。もう、マウスを持つことができなくて、左手で行う。これは本当の話。



通じないことはとても、多いのに、嘘だけは伝わってしまう。


前回、ボストンに行った時、喧嘩したジュリー・アンドレに台湾で会う。Facebookで友達申請してみた。2週間音沙汰なかったけど、やっと、承認。まあ、同じようなことを考えているのだろう。

セカイは、リバイヤサンの状態だと思う? わたしは思う。そのために、社会や法律がある。わたしは決して、アナーキストにならない。
アートが社会を救うなんて思わない。いかなる階級に人にも、潜む、人間以外のセカイに、またがっている人々との、組織なしの共同意識の確認なのだ。そのネットワークを、こっそり、広めてゆく。どこに仲間がいるか、知らない。ジュリー・アンドレも仲間かもしれないが、くだらない社会のために、分断されているだけの話。わたしたちの存在が、世界の試金石になる。(嘘)

石坂浩二とケビン・スペーシーの嘘は、好き。うれしくなる。
スティーブ・ライヒの嘘はどうしようか? フィリップ・グラスの嘘は、世間に許されてないらしいね。う〜ん。
なんか別の話になってきた。

気持ちのよい嘘をつこう。

7.11.09

目をあけているが

目をあけているが、焦点をさだめない。空の方だけ、見る。まるで、盲目のような動きだが、見てはいる。

地面にオセロの駒を、鳩にえさをやるようにほおる。自分が鳩のようになってその中を歩きながら、駒を拾う。杯を持つ手つきで、駒をささえ、脚立をのぼる。空とともに杯を乾杯する手つきで、駒を高く上げる。そして、一瞬だけ、目を駒にフォーカスする。そこには、Yesと書いてある白い方か、何も書いていない黒い方かが見える。笑顔を絶やさない。その駒は、また放る。
脚立で前へ前へと移動する。通行人も皆参加できる。
時間4〜5時間。

”Ceiling Painting 2009" at Taipei (15th Nov) and Taitong (19th Nov)


オノヨーコの1969年の作品、"Ceiling Painting"への挑戦。あるいは、コントリビューション


まだ、甘い。これを長時間行う意味や、モティベションが不明。
台北で行い、駒を多く失ってしまうかもしれない。減る可能性は高い。そうすると、台東ではどうするか? オセロをもっと買って、駒を多く用意するか? ..... 

脚立をどう動かす?


このフォーカスしない、という態度はとても気に入っている。家の中で連続していると、自分の居場所がずれて行くのを感じる。もっと、いろいろなことを楽しめる。指が指差せないということのためのアクションを、想念だけでなく、身体が引き受け始めている。

6.11.09

未来の人間像

C&M Tのミッションを考える。

未来の人間像を抱く。

たとえば
「.......超民主主義の実現に向けて最前線で活動する人々のことを、<トランスヒューマン>と呼ぶが、彼らはすでに、収益にとらわれない、そして収益が最終目的ではない<調和重視企業>で活躍している。トランスヒューマンとは、愛他主義者であり、世界市民である。彼らは<ノマド>であると同時に定住民であり、法に対して平等なそんざいであり、隣人に対する義務に関しても同様である。また、彼らは世界に対して慈愛と尊厳の念を抱いている。彼らの活動により、地球規模の制度・機構が誕生し、産業は軌道修正されて行く。こうして、産業は各人のゆとりのある暮らしのために必要となる財(もっとも重要なのは心地よい時間)や、人類全員にとって、ゆとりのある暮らしのために必要となる共同資本(共同体のインテリジェンス「知性・情報」が重要となる)を発展させてゆく。...........」
これは、ジャック・アタリからの引用。

どうかな??
ノマドはわたしの理想として、ずっと心に思っていた。


5.11.09

サウンドミーティングレポート:メンバーへの手紙


C&M Tokyo メンバーへの手紙

終了して、2日経とうとしています。参加した方は、おつかれさまでした。

思えば、なんて、興奮した3日間だったでしょうか(1日目はリハーサルとテクニカルテスト、2〜3日がパフォーマンス)。テクニカルがうまくいかなくて、苦しみましたね。特に音声が届かなかったり、とぎれとぎれであったり、爆音になってしまったり。確かに、Skypeだけで行った方が、うまくつながって「音楽的な」サウンドミーティングらしきことができたかもしれません。
だけど、あの3日間ほどに、緊張した時間を過ごせることができただろうか???
ルンルンに、安易な音遊びで、テクノロジーの問題を(うまく使えるかとか、そういうユーザーレベルのことではなくて)考えることもなく、携帯電話ですぐ話せるみたいな、簡単な、安楽さの中での、「遊び」に終わったかもしれません。

Justin TVによって、外部の人間も見ることができる(世界中のPCから見ることができる)ツールを使う、というハードルを高くしたことにより、技術的に、大変でした。でも、そのことにより、これほど遠くの人と安易につながることは、実際は難しく、そしてそれは、とても、もどかしい。会いたくて、会いたくて、会えたときの喜び。これは、簡単につながっていては、味わえなかったと思うのです。

かつて、電話も、電車も車も、手紙もなかった時代、会いたい人には、歩いて会いに行きました。そして、どこで会えるかの保障がなく、辻に立って、何日も待っていたでしょう。あの時代の人と人のつながりを、取り戻すことはできないにしても、想像する力を持っていたいと思います。

テクニカルの後藤君と丸山君は、準備の時間から2時間(準備の時間のうち最初の40分くらいは音声テスト)、緊張を止めることなく、集中していました。残りのスタッフたちは、はらはらと、わくわくを交互に思いながら、待ちの緊張。一日目は、なんとか通じたので、だんだん、はっきりしていく先方の様子。時間のラグがあるから、どうこちらのメッセージを伝えるか、トライし続けました。結局、音のやり取りもできたし、話もできた。音声も映像も相当、荒かったけれど、それが「遠さ」を感じさせてくれて、映っている人たちが、とても「なつかし」かった。サウンドの出し方が芸術のレベルまで行っていなかったけど、まるで、慣れないトーキングドラムで、隣の村の人々へ「お〜い、聞いてるかい?」と合図している感じ。
また、2日目は、サウンドも映像もつながらないまま、お客さんがどんどん入ったので、彼らと、どう過ごしたらいいのか、真剣に工夫をしましたね。丹下さんがアナウンスして、皆さんを飽きさせないようにしたり。先方とは、映像ではつながっていたけど、音で向こうに通じているかわからないし、PCでのチャットができなかったので、スケッチブックのカンペで、先方の「サウンドの音量が高すぎる」旨伝えようとしたら、先方はなぜか楽しそうにスケッチブックで返事をしてきた。見たら、ヘブライで書いたありました。
そのずれが、面白い。

カバコフとファーブルの会話を思い出しました。カバコフは、ハエの格好をしてロシア語で話し、ファーブルはコガネムシの格好でオランダ語で話す。わからないけど、わかる範囲で、反応しあい、カバコフのスタジオである建物を案内する、という内容だったと思う。友情だけは確かめていた?と言った感じ。通じ合えるのは、言語の問題でも、種の問題でもないんだという、作品だったと思いました。

2日目の後半。メンバーの沢田君が、音楽好きのお客さん(学生さん?)を呼び集めてくれて、おかげで、スペースは音楽で盛り上がってくれて、まるで、天の岩戸の前みたいだった。お〜い、出てきてくれよ〜。みんな待っているし、たとえ、あなたが今、出て来なかったとして、あなたがこの世にいてくれるのが、ありがたい。まってるよ〜。というやつ。

コミュニケーションとは、本来、こうなのです。通じないけど、通じるレベルで努力する、誠実さと希望を止めないこと。

たしかに、テクノロジーをうまく使えなかった悔しさが残ったけれど、なんだか、妙に、充実感があったので、それを、よく考えたら、以上のようなことを、発見しました。

「事故の博物館」という言葉があるけど、まさに。ヴィリリオだったけ。藤幡さんの本でも読みました。クライシスの時こそ、何ができるか、人々は真剣になり、何が大事か、選び取る時なのです。


もうひとつ、思ったのは、デジタルでは音は「大きい」と「小さい」だけです。でも、PAのない時代は、かつては、音は「遠い」と「近い」だけだった。アナログのステレオでは、音をしぼると、機材に負担がかかっていたと聞きます。

もちろん、それとは構造が違うけど、「遠い」音の体験でした。
経験しようと思ってできることではありません。

次回のこういう時には、段取りやチームワークなどをスキルアップしていると思うけど、また、ハードルの高いことを目指しましょう。わたしたちは、芸人ではなくて、アーティストです。しかも、セルフエデュケーションという場所なのだから、トライすることが、一番大事だと思います。

わたしも、物事の、基本の大事なことを忘れて、あやうく、足をすくわれそうになっていました。気がつかせてくれてありがとう。



4.11.09

Different Trains

C&M のイベントは終了。人間3人集まると、何かが起きる。あまり、こだわらないこと。仕事人が一番良いのだ。しっかり人であるためには、人ではない世界のセンスを獲得することが肝要。ものを作るということは、そのひとつの方法。

このところ、自分が、自分らしくない、という気持ちにおそわれる。家の中も、外も変わってしまって、気がついたら、ひたすら、人や場所をしきっている。声が、きーきーしている気がする。落ち着いた声を出すように、かなり意識して気をつけよう。ここでも「人間外世界」に通じることを意識する。

来週から、台湾。作品の用意。

友達と話していて、思い出したSteve Reichの、昨年、日本で紹介された2つの作品、「Daniel Variations」と「Different Trains」(どちらもNHKの芸術劇場でやっていた)の録画を出して来てみる(聞く)。なんとなく、釈然としない。前者は、イラク戦争で亡くなったひとりのアメリカ人の若者について、後者はアウシュビッツに送られたユダヤ人の話がテーマになっているけど、音に、どう関係があるのか、わからない。いかにも、アメリカ人として成功しているユダヤ人の社会サービスに感じられる。それに、ライヒがライヒの作品を、反復している。よくあることだけど。こういう疑問って、青臭いのかもしれないけど、どうも、おさまりが悪いままなのであります。

3.11.09

テルアビブからのリアクション

けさ目覚めて、メールを見ると、テルアビブから、大変、ポジティブな感想。きのうのオンラインライブのことである。テルアビブの会場は、Musraraという放送関係のニューメディアの大学。きのうのパフォーマンスは、会場側もとても喜んで、Musraraがこれまで彼らのやったプロジェクトの中でも、意味深くて、楽しいもののひとつだったと言っていると、書いてきた。良かった! 

今日は、セットアップを成功させることと、音を重ねすぎると、雑音でしかなくなる可能性が強いので、そこを相談すること。

ゆるりときちんのはざま

今日は、ハードな一日あった。...........あ、12時過ぎているから、きのうですね。

多摩美での、サウンドパフォーマンスは、インターネットが安定するのに時間がかかり、後藤君が苦労した。丸山君の手伝いは、大きな意味があった。ありがとう。
でも、まだ、むずかしい方法なのかもしれない。
............精神的にも、皆、やられたと思う。

コーディネートしているたちばというものがあると思う。やりたいこと、というのは、学生さんが決めたことだけど、わたしに、何ができるか?

パフォーマンスは、案外良かったと思っている。手は抜いていないし、間もちゃんとあった。


いろいろやった後、きちんとやる、と、緩くて即興性がある、の狭間をどう選ぶか?
ルールをばっちり決めてやるなら、アートでなくて、社会の話になってしまう。では、そこでの心得は何か?
職人性と他のアーティストへのリスペクト.........か?

つらいと思った時、その人の本当に大事にしたいことが、わかってくる。


2.11.09

横浜映像祭はまだ行ってませんが

ARTiTに出ていた、フジハタさんのブログに注目。
横浜映像祭での出品は、3日までで、取り下げるそうです。
運営方法に疑問なんだそうだ。なんか、とっても、よくわかる、と思いながら、読んでしまった。
ARTiTに登録していないと読めないかも。



と思ったら、公式ブログは、最近、公開になったようですね。わたしもブログあるんだけど、公式ではないはずです。







サウンドパフォーマンスの筋肉

多摩美の学生さんたちと、サウンドミーティングのテストを行った。テクニカルで、随分、苦労した。後藤君が、走り回っていた。まだまだ、不安定なものらしい。なんとか、あした、つながるといいのだが。本当におつかれさまです。

それと、パフォーマンスも少しやってみた。
思ったのは、パフォーマンスの筋肉ということ。サウンドであろうと、演奏であろうと、継続して集中する力は、そうやすやすとは、手に入らないものらしい。急には、鍛えられないから、道具をひとつにしぼり、その中で、工夫する、など、サジェスチョンが必要かもしれない。ちょっと、先輩として、えらそうになってみようかな。

それから、他の人の音を、立てたり、聞いたりするのは、リスペクトが必要である。それは、人間としてのリスペクトでもないし、民主主義でもない。こいつの音は聞いておかなくては、と思わせる音であることだ。もし、ささやかな音を皆に聞いてもらいたいなら、そのような態度やら、音やらを出さなくては、いけない。ミューージシャンが、他の人とセッションできるのは、そういう理由しかないと思う。ミュージシャンはみんな、自分が主役になりたいような、自己主張の強い人々なのだから。パフォーマーでも同じ。認めてない人とやっても、面白いわけがない。戦場なんだから。

でも、そう思うと、うんと楽しくなった。帰りながら、どうしたら、面白いパフォーマンスになるか、考えながら。ちょっと、わけ合って、体調が悪く、熱が出ているのだが.......



さあ、どうなるか。