きのう、久しぶりに横浜へ行き、芸大の先端にはじめて行き、メディアアートの講義みたいなものを聞いた。フジハタ研究室である。
ゲストで来ていた、フォルマントキョウダイ(兄弟。本当は漢字、検索を避ける為にカタカナ表記にした)の「フレディの墓」という作品を見る。彼らによる解説と、東大の記号論の先生による解析と、フジハタ先生も参加したディスカッション。2時から始まって、6時過ぎまで。なかなか、濃いくて面白かった。作品は、Youtubeアップされている。
ちょっと説明がないとわからない作品のような気もする。
フレディ・マーキュリーの声をコンピュータで再現して、「インターナショナル」を歌わせている。フレディの生まれた年に、東西冷戦が始まって(1946年)、亡くなった年にソビエト連邦が崩壊(1991)というわけらしい。とてもおもしろかったけど、ざんねんながら、フレディの声に聞こえないのは、惜しい。
テクノロジーを使ったアートについての、様々な疑問やテーマをいろいろ聞けてよかった。機械のテクノロジーはむやみに尊敬されているけれど、それを扱うアーティストのテクノロジー(ブリコラージュ、手仕事)の地位は低い、だが、それはとても大事という話もしていた。さすが、こういったテーマで落しがちなことにも、ちゃんと、押さえているのだ。
それにしてもフジハタ先生を、生ではじめてみた。さばけた感じの話し方など、印象に残した。帰りに、受付で、フジハタさんの本を買って、電車に乗って、読もうとしたが、ちょっと、お腹いっぱいになっていた。「現実」とか「メディア」とか「イメージ」とか言う言葉に。それほど、たくさんその言葉を聞いた。彼の著「不完全な現実」というタイトルも面白い。やってくれる。ところで、一体、この本の全ページ内にも、「イメージ」という言葉が何回あるだろう。イメージという単語の密度において、世界一かもしれない。ちょっと疲れる。その反対のものって、なんだ? 何かで、中和したい。イメージの反対は、経験? 痛いもの?
記号論は、わたしの脳には少し限界を感じたけど、ペーパーがあったので、それを読みながら電車に乗って帰った。あまりに前のめりになって読んでいたので、前にこけそうになって、となりの席の年配の女性に怪しい奴を見るような目で見られた。