30.4.09

アクションポエトリーとポエトリーアクション

詩を使ったビジュアル作品やパフォーマンスを、ビジュアルポエトリーとか、コンクリートポエトリーとか、プラスティクポエトリーとか、ポリポエトリーとか、アクションポエトリーとか、言う。フランスやイタリアではけっこう盛んで、それは、サウンド系であったりする。境界線はない。フランスのジュリアン・ブレインは、そのうちでも、アクション寄りのパフォーマンスをするので、前から興味があった。ビジュアルセンスなのだ。ばかばかしいまじめさが好きだった。

 去年10月に、彼に関わるイベントをした。そして、わたしは、あえて、アクションポエトリーではなく、ポエトリーアクションと、順序を変えて、言うことにした。ゲストのアダチさんが「えっ、言葉作っちゃうの?いいのかな〜......」と不安そうだった。わたしは「すでにいくつも言い方あるんだから、いいんじゃないの、ひとつくらい増えたって」と涼しかった。なぜ、順序を変えるかというと、ポエトリーが後だと、詩のイベントだと認知されそうな気がしたから。ようするの詩の内容とか、そういう方面に行って欲しくなかった。

 ところが、この言葉、国内パフォーマンスアートの大先輩が、使い始めた。わたしの告知、読んでいたんだな〜と思うと、うれしかったりもする。妙なところで、ニュアンス理解されたんだなと、ポジティブに解釈しています。たぶん、わたしの造語とは気がついてないと思いますが。

でも....................名前なんて、どうでもいいって感じ。びみよーだー。

 以下は、『ドリル」というパフォーマンスの一部。後に続くパフォのための導入部分です。お腹の手術から1ヶ月しか経ってなくて、体調悪かったので、逆にそれをネタにした。ちょっと聞き取りにくいけど、雰囲気だけでも見てください。

 背景の赤い壁は、ピーター・ブルックが、マハーバーラタを初演した時に塗った、記念的な一枚壁。元、電車の操車場だったところが、80年代に複合ライブスペースになった場所で、トラムウエイという所。グラスゴーです。
 


ネット上で以下のものを発見。変な音楽入っていて、ちょっといや。ビデオを撮ったリシャールの冗談なんでしょう。まあ、いいか。


Sakiko 2008
Uploaded by wizyer

29.4.09

寝てばかりではないのだ
























本当に、忘れていたけど、ずっと前から、寝るのばかりしていたらしい。すっかり忘れていた。芸がないのか?(汗)
これは、1997年渋谷。芝田さんの写真。カフェでのイベント。食事をしている人のテーブルの上の皿やグラスをかたずけて、白いテーブルクロスをかけ、その上に寝転がった。しばらくして、起き上がって、テーブルの上のものを戻した。
なんか、お客が固まっていて、ちょっと、困った記憶がある。
まあ、他人の「個人の空間」を侵すことが目的だったら、しょうがない。
奥に座っていた外国人(白人)だけが、リラックスしていた。彼らには、そういう空間がないというのは、本当みたいですね。
だから、へーきで、誰とでも、ハグができるのでしょう。

次は、1998年。目黒の画廊。絵の展覧会のオープニングパーティにわたしは、テーブルの上に、食べ物といっしょにのっかっていた。男子は、遠巻き。女子は割と平気。写真の時は、遅れて来たアーティストが、うれしそうに、わたしの上に、バナナを置いた。
これは2回やった。どうやってわたしを目ざめさすかは、皆さんで決めてくださいという手紙を置いていた。一回目は、誰かが、紙袋を膨らませて、バンとわたしの顔の上で破った。2回目は、最年少の若者(5歳くらいか?)が、ほっぺにキスをしてくれた。まあ、起きないわけにいかないではないか、なんとか姫としては。今、このパフォをやると、なんか、病人みたいに見えるかもね。

















27.4.09

距離を考える
























思い出してアップ。芝田文乃さんの撮ったモノクロ写真。モノクロの方が、なんかこわい。メディアが違うと、本当にいろんな、違った感覚を引き起こしてくれる。
銀行で、寝るの企画もずっと、写真で皆さんにご紹介してきたけど、先日、ビデオを出してみたら、また違った。これらのパフォは、実は記録を取ることが最も大事なんだ。

ところで、話変わって。きのう、フジエ氏の企画のトリオ即興公演に行った。搬出入を手伝って、受付をした。自分のカメラで動画も撮った。イシカワさんのメタル音具(増幅及びコンピュター操作付き)と、カアイさんのピアノに、フジエさんのヴォイス。練馬のピアノ屋さんが持っている小さなホールで行われた。わたしは、ピアノが大好きなので、わくわくで、でかけた。あんな風にピアノをあやつるのはうらやましい。ピアノが人生と身体に合体している。フジエさんは、まったく頭の中がどうなんてんだかわからない、へんな動物だ。イシカワさんは完全に楽器を使うかのごとく、鉄板をふるわせている。鉄板の後ろで姿が見えないだけに、影の支配者みたいだ。また、ピアノも本来は、金属を打つ楽器であることを、イシカワさんのワイルドな(?)鉄板叩きを聴くことで、気づかせてくれた。また、フジエさんとカアイさんのコンビは、ヨゼフ・ボイスとパイクみたいだった。パイクのピアノは、ちょいセンチメンタルだから、大分違うけど。フジエさんは、うまいコンビネーションを考えたもんだ。

今、わたしは意識と身体の距離についてのテキストを書いている。クロアチアでのレクチャー用だ。このトリオを見るのも、そのことを考えるのに、役立つ。自身の身体との距離については7項目、8項目めは、他人の身体との距離。


でも、なんか、今日はわたしは鬱なんだ。今朝まで、機嫌が良かったんだが。
どうしてだか。天気のせいか?


写真はきのうの3人、みんなうつむいているので、あまり良い写真ではないね。動画をそのうち、アップする予定。たぶん。

24.4.09

協力しようよ

(タイトル変更しました)

また少し映像アップしたので、ここに載せます。

犯罪という言葉の、レッテルは恐ろしい。自殺は不幸の象徴か? 笑顔を振りまき、いい人のイメージを通すことの裏で、本人が自分で首をしめてしまう。自殺か破滅か、なんて。
ファインアートと、エンターテイメントと、すてきなデザインと、かわいいグッズと、やさしいおやつと、ちょっとしたいたずらや、妄想と哲学と文学と体操と踊りと、そして「寛容」と「譲歩」と「愛」と「甘え」は、もっと手を組みたい。そして、様々なプロフェッショナビリティも。ちょっとわがままな人間のあり方を受け入れようよ。「自分」と「他人」のと。その上で、けんかもすればいいし。武装はせずにね。誰もが考えてることか。甘いかな〜。制度が変わらなくては、というのも......それぞれの心の持ち方の反映として、変われないか?...親鸞の登場待たるか?

以下は、昨年の美学校の記念イベントに参加した際の信濃町駅前のパフォーマンス。わるふざけにしか、見えないが、皆さん楽しんでくれた。駅でのアクションは、たしかに、相当迷惑だと思う。本当に具合の悪い人たちが、集団で倒れていれば、大事件だし。でも、何か心の突破口があったと感じませんか? 短い時間で立ち去るのが、せめてもの.....

横断歩道では交通整理のおまわりさんの笛の音が、大変いい効果を加えている。ああ、これだから、ストリートはやめられない。



次は、昨年10月にトロントで行ったものです。銀行シリーズ。ビデオ記録は少ないので、貴重な一本。
トロントの中心街の銀行が集中しているストリートで、13店舗ほどハシゴした。
ここは、カナダ帝国商業銀行(CIBC)のATM。なんと、ここでだけは、許可を得て行ったので、わりと長く滞在している。

シンガポールのアーティスト、ジェイソン・リムも参加している。この映像にはなんともいえない快楽を感じる。何だろう?
ビデオ担当者が、最後に通行人と話している言葉まで、聞いた方がいいですよ。



こちらは2007年、ひとりで行ったバージョン。銀行シリーズのかなり初期。
東京三菱UFJ銀行にはまって、東京丸の内本店から、大手町、日本橋、京橋と20店舗以上、ハシゴした。
なぜか、本店だけで子守唄みたいなものが流れていて、ビデオとして面白いので、これをアップ。ちょっとできすぎなオチだけど、はまっている。
日本の警備員さんはやさしい。カナダの警備員は怖かった〜。



わたしは、銀行にいやがらせをしているのではなくて、フェチかな、今風に言うと、銀行萌え(?)かも。
プライベート空間ではあるけど、パブリックとも言える。わたしの預金が入っているからだけでなく、銀行には税金がたくさん投入されているので、「わたしたちの」空間でもあるのではないか。というのが、わたしの意見。
...................早く亡くなって、会ったことのない、両祖父が、銀行(十五銀行と朝鮮銀行、古っ。植民地型銀行のはしり?)に勤めていたからかもしれない。銀行を見ると、明治は遠くないと感じる。近代インフラフェチでもあるのよね〜、わたしは。銀行制度というものはまさにそうでしょう?証券というと、21世紀ぽい。

22.4.09

Action for Cancer

きのうアップしたビデオですが、わかりやすくするために少し文字を入れて、映像もやや編集し直しました。なおも10分近いのですが。ラストにちょっぴり、追加メッセージあり。このパフォーマンスは2005年5月に行われました。

友達はありがたい

友達が、わたしのブログを見て、「病院のことを書いてあるのを見て、驚いたり、悲しくなったりするけど、勤めている人は、神経が麻痺しちゃうのかな」ということを書いたメールをくれた。
それで、少し冷静になってみようと思い、きのう、また病院に呼ばれたので、ちょっと、「決めつけ」ないで、話を聞いてみようという気になった。きのう、話したお医者は、院長ではなくて、父に癌のできた所の専門医。職人気質らしくて、てきぱきというわけではなく、どちらかというと考え考え、あれこれ、説明してくれた。なんというか、患者の気持ちを思いやるとか、家族の気持ちを考えるとか、そういうことではなくて、その病気というものの専門として、話す感じ。深刻ぶるでもなく、ただただ、病気の治療について、考える男と言う感じ。質問に対して、はぐらかさず、すべて答えてくれた。そうこうしている内に、院長がやってきて、性格なのか、セカセカ話す。性格だけでなく、院長という経営者の立ち場もあって、ものごとの判断を急ぎたいのかもしれない。この人たちは、みな、わたしと同世代で、数十年前は、机を並べていたかもしれないなと思って、少年のころの顔を想像してみた。院長は、自分の仲間のお医者がそこにいるからか、少し、ざっくばらんになって、本音もちらほら出て、なんとなく、人柄がわかってくる。けっこう、おしゃべり好きだ。
とにかく、やはり、情報を握っているのは、彼らなので、話してくれれば、こちらも、だんだん、わかってくる。誠意とかそういうことは、それぞれの仕事の範囲であってももちろんいいと思う。できれば、経営者としてではなく、職人として話して欲しい。何より、今回は実は、MRIの結果が出て、お医者も私たちも、ある種の「モード」に移項した。つまり、父の身体は、画像的に見て、すでにぼろぼろだったのである。科学にはわたしも、やはり、弱い。
 院長が口にした「奇跡もあるし」という言葉。科学者から見れば、奇跡かもしれないことというのは、他の目では違うということもある。母が、「気分が良くなるから、御茶を飲ませたい」としきりに言うのもは、科学的には、気休めにすぎなくても、意味はあるだろう。
 あとで、看護士さんとこれからのことを話した。癌は別としてもこのごろ、父が弱っている理由は、転院のストレスだろうということ。身体の弱っている老人の転院は、危険なのだけど、厚生省の決めたこと。どこで話しても、最終的には、おカミ批判になってしまう。

アディーナとのプロジェクトの「戦争に対してアートは何ができるか」という、古めかしいテーマ。わたしは、「何もできない」という意見もあっていいと思う。わたしは、割とそういうタイプ。だけど、それを考えること自体が大事だし、なぜできないか、というスタンスを明確にした方がいいと思う。でないと、発注があれば、そのテーマでなんでもやりまっせ、みたいなアーティストになっていいのか?という別の問題が浮上するから。

映像アップしました。このときは、癌にかかった友達から、イベントやるから出ないかと言われた。イベントのタイトルが「Action for Cancer 」。わたしは、彼の想像力を愛する信念が大好きだったし、生命について考えさせてくれるのは、うれしかった。参加して、まさに彼の身体の「イマジネーション」のための作品を考えた。これにも、「何かいいことに関わるのは、えらいね」という妙な感想をもらった。なんだか、そういうのは、わたしには、わからない。「いいことをする」という意味がわからない。したいと思うモティベーションは、別のところにある。

(後記)あ、編集し直しました。見たい人は新しい日記か、または私のYouTubeチャンネルを見てください。チャンネルのURLは、このブログからもリンクしてます。



 

21.4.09

遠くへ行く女


NHKで、山谷のホスピスのことをやっていたので、横浜の寿町、さなぎ達の家を思い出した。
引っ越したはずだが、HPには前の場所の写真。モニカちゃんの写真は、真ん中に、鎮座ましましている。2年くらいそのままだから、色が薄くなっている。(拡大してみてね)

モニカちゃんの徘徊は、ワルシャワまで行ってしまった。この映画、木曜に、上映会があったらしい。なんでも、日本大使館が後援しているんだって?こまったね。どうも、ポスターの一番上のほうの文字は、日本大使館後援と書いてあるみたい。なぜ、一番上なんだ???
女優の名前は、モニカ・シベルスカにして欲しかった。でも、パベルが納得しなくて、どうでもよくなった。それなら、キコカワシマにして欲しいという危ない提案も、受け入れてもらえなかったが、今となっては、まあ、助かった、とも言える。ああ、どこまで暴走していくのだろうか、この、パーソナリティをなくした女は。へんな化粧も、スプレイで茶色にされた髪も変で好きになれない。今後どんなことに巻き込まれていくのか。

19.4.09

デコポンとテポドン

きのうは、板橋のEnglishCafeのケルビンのところに、シオバラミチコさんとともに、ディナーを招かれて、でかけた。3月の転居後の彼のカフェは、初めて。オープニングパーティの前の晩まで、引っ越しを3日連続で手伝っていたが、終わらないまま、わたしは帰った。手伝ったのは、引っ越しだけでなく、新しいスペースのレイアウトを3人でプランしたのだ。前のいいイメージを少しでも引き継ぎたかった。だが、その後、荷物がどうまとまったか、まだ見ていなかった。そして......なかなかすばらしい場所になっていた。以前よりずっとコンパクトだが、無駄がなくてよい。
 ケルビンの料理がまたものすごくおいしかった。タンドリーチキンとスペイン風のえびの煮物にサラダ。前のカフェでは、一度も見たことがない。今度のカフェは、プライベートカフェであり、お客さんに出すものではなく、友達と生徒だけ。ミニバーのある英語教室なんて、ユニークだと思う。
11時半くらいまで、ケルビン、ミチコさん、わたしで、ワイン片手に、様々な話に花が咲く。今年は、おいしいみかんの種類が多いという話から、テポドンとデコポンがいつもどっちがどっちかわからなくなると私が言い、ミチコさんは転げ回って笑っていた。ケルビンにはどうもわからないらしい。2009年春の思い出だね。笑い話で、終わらせたい。

別件。わたしは女優らしい。
ついに、こんなところにまで、出ている.......とほほ。恐るべし、パベル。これは「Missing in Yokohama」の発展。人格をオープンにしていたら、パベルに入れられた。映画のタイトルが「真実の現象」。これで良かったのかもしれない。このネタ、逃すまい。

忙しくなってきた。いろいろなことを準備したい。引っ越しみたいに、どんどん判断して進めるものではなくて、ものづくりなので、気持ちのコントロールが、命。がんばります。

去年のトロントでの作品、Youtubeアップしました。
40分くらいかけた作品を、12分くらいに編集し、それを2本に分けました。Youtubeで見るには、長過ぎたかな。因に、これは、ゲリラ系ではなくて、わたしの中では、りっぱな現代美術作品です(笑)。
因に、このブログにもリンクしてありますが、わたしのyoutubeのチャンネルはこちらです。


17.4.09

いちゃもん

 今日は、ちょっと寒かったね。父の病院に行った。今日は少し落ち着いていて、手を撫でてくれと言う。準備をしている人。手術前に日帰りででも、父の書斎に連れて行ってあげようと思う。
 病院は、ベルトコンベヤーのように、患者を、右から左(上手から下手?)へ流すだけ。「手術で、症状が悪化しても、大半は半年以内に亡くなりますから、ご心配なく。」だって。手術なしで、死なれたら、儲けなしだから、危険でも手術を勧めるのかな。テレビドラマに、医者ものがとても多いことに最近気がついたが、テレビでは悪役の医者だってもっとハートがある。文句を言うのも疲れる。だから、自分の命の扱いは、自分でしたいではないか。出来る限りの抵抗というのが、今年のわたしのテーマだ。
 それにしても、家族のいない人は、こういう場合どうするのかな。それで、独身ものの相互扶助制度のことを考えたりした。わたしのことをよく知っていて、どうしたらいいか、私の気持ちの補助してくれるような人。そうした共同組合みたいなものを作ってはどうか。芸術家を中心とした相互福祉制度。ヘルパーさんはおむつの代え方はうまいかもしれないけど、私と人生観が違いすぎる可能性は大。死に方のスタイルも、芸術家仲間なら、「山岡ならこうしたいだろう」とわかってくれると思う........資産は残らないけど、めずらしい美術書などを、だれにあげようかと、いつも考える。。友達に話すと、「お、作品のネタ?」と言われた。くそ。
 
 前の日記に、友達のおどりに「元気をもらった」と書いたら、別の友達にいちゃもんつけられた。確かに、私らしくない書き方。わかっているが、そう言うふうに、思いたいこともある。それに、そういう鑑賞の仕方が正しい時というのが、あってもいいと、思うようになった。とにもかくにも、明るく、過剰なものはいいもんだ。わたしには、できないので、感動した。

 ところで、20世紀の身体の発見は、というと、きざな言い方だけど........第一次世界大戦で現われてきた身体でしょう?それまでだって大量殺人はいくらでもあったのだけれど、その量と質のイメージがとてつもなく、変わった。
つまりは、ベルトコンベヤーで、右から左に流れる身体だ。そのメカニカルに着目する人もいるけれど、そのメカニカルに抵抗する人もいるというわけだ。

イスラエルのアディーナから「Cannons and Muses」というワークショップのプランが送られてきた。たぶん、この「大砲」と「美神」というのは、イスラエルの歌にあるのではなかったかと思う。戦争と芸術と言う意味ではあるが、テクノロジーとアートと言い直してもいいかも。イスラエルでは、芸術家たちは、現代の戦火の中、自分たちに今、何ができるか、しきりに、ディスカッションしている。

16.4.09

成り行きとはなんであろう

新しい病院で、リハビリには励み、社会復帰が始まったと、思っていた父に、別の癌がみつかってガーン。
どちらにしても、今度は、自分の意志で、決める、というチャンス。自分の人生の仕上げを、どうするか、父の最も大事な季節が始まった。そのことを考えると涙が出て来るけど、それは、悲しいからではなくて、誇りに感じるからだ。
気力を維持する事がどれほどむずかしいかは、いろいろな側面で、経験のある人にはわかるだろう。だからって、気持ちに正直になるか、自分を奮い立たせなくてはならないかの判断も、その自分の気力の中でみつけるしかない。また、絶望する自由もあるのかもしれない。そこのところは、よくわからない。死ぬのが、絶望だと言っているのではない。どうでもいい、他人や世間に預ける、自分では決めないというのは、絶望のうちかもしれない。だが、その絶望をすら、自分の意志と気づかず、不平不満の泥の中で、苦しむのは、ごめんこうむりたい。
それにしても、成り行き、とはなんであろう?

おととい、友達のおどりの公演を見に行った。すごく元気をもらった。帰りの電車の中で、うきうきわくわくして、勉強への集中度も高かった。これは、自分の中だけでは、どうにもならなかったことを、他人の努力する姿を見ただけで(!)、解決してしまった例。そんな予定ではなかった。かなり、なんとなくでかけたのだから。実は、わたしは、おどりは、ほとんど見たことがない。おどり音痴だし、芝居はきらいなのだ。
彼女のおどりからは、作品としてというより、人間のもっている生命のエネルギー、かわいらしさをまっすぐ感じることができた。ありがとう。彼女が「けれん」とか、「芸」とか、「お色気」程度の域でやってない感じが、わたしをすっきりさせた。
たぶん、おどりって、ある意味、作品ではないのだと思った。

たぶん、この前向きぶりは、この前の日から、始めた、新しいプロジェクト案と関係しているのかも。
今度は、是非、慎重にやりたい。因にいわゆる意味のアートイベントではないです。作品というものは、関わらない。作家さんには、関係ないかも(笑)。

自分の持っている資源を生かして、世界に参加していく、世界が面白くなっていくことに参加する、これが今のわたしの姿勢。
考え方のつながれる人たちと仕事をしたい。

13.4.09

リカバーザワールド Recover the world?

あたたかくなってきましたね。いろいろな都合で、体調が悪くて、お肌ぼろぼろになってきたので、サプリメントをあれこれ飲んでます。効くのかどうか、わからないけど。リカバー佐紀子。

今日は、オバマ氏のプラハでの核廃絶を訴える演説を知って、わたしは、なぜか、感動して、涙をこぼしてしまった。友達に話すと、誰も信用しない。わたしを信用しないのではなくて、彼が、核廃絶を目標にしていると言うことを。交渉のカードにしようとしているに違いないとか、本気なはずはないとか。youtubeのホワイトハウスのチャンネルで、みつけて聞くと(英語字幕出ますから、サビの部分は、確認しながら聞けます。)おろかなわたしは、どうしても感動してしまいます。何より、自分が、核廃絶をそれほど望んでいたとは、知らなかった。無理と思っていたので。
彼はやると思いますか? テレビのコメンテーターとして出ていた、手嶋龍一さんは、頬を紅潮させて、「この演説は、21世紀の歴史に残る見事な内容です。ただし、彼の命があぶない」と絶賛と心配。
少なくとも、彼は、見事なパフォーマーです。それにひきかえ、わたしは何をしている?.......と比べてどうする。


ちょっと仕事が一段落なので、youtubeまた、アップしました。Best Place to Sleep。これはスライド。2007年から2008年5月までのもの。三菱銀行バージョンは、ビデオもどこかにあったので、探して、いずれ編集して載せます。
これらの作品は、別に「貧困」がテーマなのではなくて、「距離」がテーマなのです。私の身体とその場所のもっている背景の距離。目に見えない世界の精神のバランスの崩れを修復するため。いつか、オバマ夫妻のダンスシーンとわたしの寝ている写真をつなげた作品があったが、それもそうです。世界と自分の関係を確認、回復する、これがわたしのパフォーマンスの原点の考え。ところで、このスライドの中で、エッセン市のクルップファミリーのお屋敷で撮ったものがあります。この一族は、19世紀から20世紀にかけて、鉄製品の武器商人として、ドイツで大金持ちになりました。ヒットラーの協力者として、戦後は、犯罪者となっていました。明治維新の頃に、江戸幕府に大砲を売っています。
ところで、オバマ氏の発言は、アメリカの武器商人をどれほど怒らせたでしょうか、と考えながら。

9.4.09

気分を変えよう

 父がようやく転院。あぶなく、無認可の僻地の介護施設行きになるところだった。介護施設ではなく、病院に転院させたかったので、市内のすべての病院(10件くらいかな)に電話して、結局、市内ではみつからず、となりの市の総合病院へ。医療と介護の狭間にある父の病気状況は、厚生省から見ると、もっとも、うざったい対象らしい。法律がしょっちゅう変わるので、現場でもうんざりしている感じ。早い話、病院に、老人がごろごろしている状況を、なくしていきたいと考えているらしい。それを一律切りにした。負担は、病院に。病院は患者へ。関東甲信越厚生局という所へも何度か電話した。無認可僻地施設行きをどうやって、大きな病院の急性期病棟(こういう言葉も学んだ)に入れたかのアクロバットな技は、わたしひとりの頭の中に入れておくのは、忘れそうで、もったいない。知りたい人はメールしてください。ってほどでもないけど。住んでいる所が違うと条件も変わるかもしれないし。「関東甲信越医療施設利用者情報ネットワーク」みたいなものは、ないのでしょうか?すべての人が、一からひとりで調べるしかないのでしょうかね。mixiに、コミュニティでも作って、情報交換してはどうかと思ったけど、もう、これはここで終わりにしよう。

この4ヶ月、仕事がないということもあったが、病院のことばっかりだったので、切り替えたい。気分がなかなか切り替わらない。ああああああ。友達とメールで議論したりして、ちょっと疲れた。

クロアチアの少し前に、ベネチアビエンナーレに寄ってみようかと思う。実は、ザグレブから近い。空港から、電車で移動しようかと思う。ベネチアでは、イタリアの友達が、泊まれる場所を探している。今は、とっても高いので、数人でシェアしようというわけ。4〜6日のオープニングに行く。そのあと、そのイタリアの友人の家に泊まって、観光をするか、その友達とゲリラパフォーマンスをすることになる。14日に、クロアチアに戻る。22日帰国。ギャラでそこまでできるかな。

クロアチアの作品のプランなどをこれから、オーガナイザーに書く。今日から、縄跳びを始めよう。ボクシングの練習も。




5.4.09

シュウカツ

















写真は、ローマン・シグナーRoman Signer のparapluieという2007年の作品。かっこい。

話変わって。
実は、シュウカツやってた。この3年くらい、冬は、冬の臨時収入のある仕事があって、道具もそろっているし、今年は基本のギャラも上がって、これからもどんどんやって行こうと思っていたのに、業界の構造の変化により、わたしには仕事がまわってこなくなった。あっさり、なんの連絡もない。

で、本家本流のスキルを、使うことにしようと思い立つ。自己PR文は完璧だと思った。もし、社長が、変わった人好みなら、いけるかしらと、期待したけれど、当然ながらと言うべきか、だめ。でも、とてもとても丁寧に断れました。
落ちた理由を考えた。
1.年齢  なんと言ってもこれだ。
2.偏りすぎた変な経歴    めんどうくさいやつだと感じる。
3.英語のスキル    正直に書いた。
「メールのやりとり、日常会話OKです。契約書の仕事もできます。しかし、ディスカッションまでは困難です。」
この3つのどれだろうか。
1.は、刻々と不利になりつつある。
2.は評価次第である。3.は、努力すればなんとかなる。

なにかありましたら、短期でもいいので、呼んでください。もちろん有給でお願いします!


以下は、performance。ビデオで見るとなんかちょっと間抜け。変なマシンは隠した方がいいのでは。

1.4.09

次の予定、クロアチア

春になった。新学期が来た。
わたしも、着替えなくては。路上ゲリラ系から、公演派へ!

今年になってから、ぞっとするほど、収入の道が少なくなった私。海外に行くのはあきらめて就職の道を探っていたのいたが、助成金が出ることとなった。行かないわけにはいかなくなった。

6月にクロアチアに行きます。首都ザグレブで1回公演と講演、バスにのってなんとかという名前の村(まだ覚えてない)に行き、数日を村人と過ごしながら、作品を作る。
オーガナイザーは、ブラスタというなかなか強烈なレディ。たぶん2005年に、彼女はニパフに来ていて、彼女にわたしの作品資料のコピーを、名刺代わりに、渡した。そしたら、彼女は帰国してすぐにメールをくれて、なんだか、わたしのコンセプトが、とても美しいとかなんとか書いてあった。痛みについてのテキスト。ホームページに載ってます。それだけの付き合いなんだけど、今年、彼女のおとうさんの思い出の村でのフェスティバルに、招待してくれたのだ。彼女のお父さんは、もう亡くなっている。今、わたしの父が、入院していて、一時危なかったことを思えば、因縁だとも言える。

ブラスタは、たぶん、10歳くらい年上なんだが、けっこう、ゴシックロマンな人で、裸で馬に乗って、市中を、祭りの中、練り歩いている写真を見たことがある。若い頃から裸で、今も、裸のパフォーマンスをする人。老若男女、裸で立っている写真展なんか開いている。クロアチアではちょっとした有名人らしい。ちょいと怖いけど、気に入られてうれしい。イスラエルのアディーナにしても、かなり、強烈で、わたしはなぜか、強烈なおねえさんに、親近感を持たれる。わたしも、これから、強烈になっていくのかもしれない..........。

写真はブラスタ。彼女の写真展で。
クロアチア........むずかしい国ですねよ、能天気な日本人のわたしが、どんな関わりを持てるだろうか?