5.11.09

サウンドミーティングレポート:メンバーへの手紙


C&M Tokyo メンバーへの手紙

終了して、2日経とうとしています。参加した方は、おつかれさまでした。

思えば、なんて、興奮した3日間だったでしょうか(1日目はリハーサルとテクニカルテスト、2〜3日がパフォーマンス)。テクニカルがうまくいかなくて、苦しみましたね。特に音声が届かなかったり、とぎれとぎれであったり、爆音になってしまったり。確かに、Skypeだけで行った方が、うまくつながって「音楽的な」サウンドミーティングらしきことができたかもしれません。
だけど、あの3日間ほどに、緊張した時間を過ごせることができただろうか???
ルンルンに、安易な音遊びで、テクノロジーの問題を(うまく使えるかとか、そういうユーザーレベルのことではなくて)考えることもなく、携帯電話ですぐ話せるみたいな、簡単な、安楽さの中での、「遊び」に終わったかもしれません。

Justin TVによって、外部の人間も見ることができる(世界中のPCから見ることができる)ツールを使う、というハードルを高くしたことにより、技術的に、大変でした。でも、そのことにより、これほど遠くの人と安易につながることは、実際は難しく、そしてそれは、とても、もどかしい。会いたくて、会いたくて、会えたときの喜び。これは、簡単につながっていては、味わえなかったと思うのです。

かつて、電話も、電車も車も、手紙もなかった時代、会いたい人には、歩いて会いに行きました。そして、どこで会えるかの保障がなく、辻に立って、何日も待っていたでしょう。あの時代の人と人のつながりを、取り戻すことはできないにしても、想像する力を持っていたいと思います。

テクニカルの後藤君と丸山君は、準備の時間から2時間(準備の時間のうち最初の40分くらいは音声テスト)、緊張を止めることなく、集中していました。残りのスタッフたちは、はらはらと、わくわくを交互に思いながら、待ちの緊張。一日目は、なんとか通じたので、だんだん、はっきりしていく先方の様子。時間のラグがあるから、どうこちらのメッセージを伝えるか、トライし続けました。結局、音のやり取りもできたし、話もできた。音声も映像も相当、荒かったけれど、それが「遠さ」を感じさせてくれて、映っている人たちが、とても「なつかし」かった。サウンドの出し方が芸術のレベルまで行っていなかったけど、まるで、慣れないトーキングドラムで、隣の村の人々へ「お〜い、聞いてるかい?」と合図している感じ。
また、2日目は、サウンドも映像もつながらないまま、お客さんがどんどん入ったので、彼らと、どう過ごしたらいいのか、真剣に工夫をしましたね。丹下さんがアナウンスして、皆さんを飽きさせないようにしたり。先方とは、映像ではつながっていたけど、音で向こうに通じているかわからないし、PCでのチャットができなかったので、スケッチブックのカンペで、先方の「サウンドの音量が高すぎる」旨伝えようとしたら、先方はなぜか楽しそうにスケッチブックで返事をしてきた。見たら、ヘブライで書いたありました。
そのずれが、面白い。

カバコフとファーブルの会話を思い出しました。カバコフは、ハエの格好をしてロシア語で話し、ファーブルはコガネムシの格好でオランダ語で話す。わからないけど、わかる範囲で、反応しあい、カバコフのスタジオである建物を案内する、という内容だったと思う。友情だけは確かめていた?と言った感じ。通じ合えるのは、言語の問題でも、種の問題でもないんだという、作品だったと思いました。

2日目の後半。メンバーの沢田君が、音楽好きのお客さん(学生さん?)を呼び集めてくれて、おかげで、スペースは音楽で盛り上がってくれて、まるで、天の岩戸の前みたいだった。お〜い、出てきてくれよ〜。みんな待っているし、たとえ、あなたが今、出て来なかったとして、あなたがこの世にいてくれるのが、ありがたい。まってるよ〜。というやつ。

コミュニケーションとは、本来、こうなのです。通じないけど、通じるレベルで努力する、誠実さと希望を止めないこと。

たしかに、テクノロジーをうまく使えなかった悔しさが残ったけれど、なんだか、妙に、充実感があったので、それを、よく考えたら、以上のようなことを、発見しました。

「事故の博物館」という言葉があるけど、まさに。ヴィリリオだったけ。藤幡さんの本でも読みました。クライシスの時こそ、何ができるか、人々は真剣になり、何が大事か、選び取る時なのです。


もうひとつ、思ったのは、デジタルでは音は「大きい」と「小さい」だけです。でも、PAのない時代は、かつては、音は「遠い」と「近い」だけだった。アナログのステレオでは、音をしぼると、機材に負担がかかっていたと聞きます。

もちろん、それとは構造が違うけど、「遠い」音の体験でした。
経験しようと思ってできることではありません。

次回のこういう時には、段取りやチームワークなどをスキルアップしていると思うけど、また、ハードルの高いことを目指しましょう。わたしたちは、芸人ではなくて、アーティストです。しかも、セルフエデュケーションという場所なのだから、トライすることが、一番大事だと思います。

わたしも、物事の、基本の大事なことを忘れて、あやうく、足をすくわれそうになっていました。気がつかせてくれてありがとう。