8.10.08

展覧会今日初日

この一週間は、寝る間も惜しみ、この2週間は常に、こればかり、この3週間も、こればかり、でした。
きのう、展示を終えてほっとする。この一週間は、身体トレーニングも休まないと間に合わない感じだったので、それを休み、案の定、大変な肩こり、あくびをするのも、至難の技。寝ている時間以外は時計との格闘だった。もう少し、他人に仕事を分配することを考えないと、来年まで、もたない。だけど、儲からない仕事なんてする人は、アーティストしか、世の中にはいないのである。

あした、会場に行きます。参加してくださった皆さんの作品については、あしたレポートしますね。なにせ、きのうは夜遅く終わったので、冷静に見ていない。昼間に見たい。

今日は、日曜にしょうとずっと楽しみにしていたのに、あっと言う間だった。


目でみる力には、言葉では言えない、感性がある。それは、きれいとか、すてきとか、それだけでない。物事の配置ということ、意味の関係性の距離ということがある。
そこに、私は、テキストという、目でみて、さらに読むというものを加えた。記憶の断片、歴史の断片。関係性があいまいで、かつ、矛盾しているテキストの群れ。しかし、関連性もある。イメージの断片。そうしたものを、目にして、言葉を集めて物語の部分部分をつなぎつつ、どういうことを、見る側が感じるか。違って来る。計算づくでない、イメージの出会い、テキストの出会い。たまたま隣り合わせたために起こってくる関係とか。

そういうことを、工夫して遊ぶのは、楽しい。

今日も母とテレビ番組を見ていて、いかに違う所を見ているのだかと不思議に思った。彼女は、与えられたキャラクターで、犯人は誰かと読もうとする。わたしは、論理的にどうなるかで、読もうとする。ドラマの制作者が、視聴者の気分にめくらましをかけようとしている魂胆は、わたしはすぐわかった。だいたい、つくりはどれも似ているし。ということで、TVドラマではわたしの当たりであったけれど、実世界では、どうかな。わたしは、論理優先で、人間性を時々、無視するので、誤解することが多い。こういう自分を克服するためには、論理でも、人情でもない、他の、物事の脈絡を読み取る力が必要だ。