10.8.14

推移を見つめること

9月、10月と、海外でのイベントが続く。シンガポールで1回の6時間のデュレーションパフォーマンス、北京と済南市で1回ずつショートもの。10月はスエーデンのマルモという都市で、展覧会。無人島プロダクションのアーティストたちや、奥村雄樹さんらとともに、展示する。パフォーマンスもオープニングにする。
それらのテーマは、「推移」。具体的にもだいたい決まっている。材料を揃えつつあるところだ。
なぜ、それが今、私のテーマか、話したい。

この1年くらい、身体の急速な変化に驚いている。白髪が増え、筋肉と脂肪が下がり、物事を考えるのにこだわりから抜けにくく、なんかの勘違いが多くなった(前からそうだったけど。)話し方もおかしい。人は、それらを更年期障害だとか、よぶ。

<目玉問題>
たとえば、面倒くさい目玉問題。もともと、ど近眼である。裸眼だと、かなり近いものが見える。しかし、眼鏡をかけると見えない。近眼の老眼である。随時、都合に合わせて眼鏡を作っているうちに、種類が増えてしまった。読書用の眼鏡と、パソコンと生活用の眼鏡と、外出用の遠近両用眼鏡と、スポーツジム用眼鏡など。

ずらり

自分の身体への感覚が、ものすごく変ってしまった。この身体はなんなんだ?それを、このところずっと考えて来た。わからないから、保留。ベッドにごろり。わかるまで放置することにした。

<推移をみつめること>
そして、はた、と気がついた。
「それ」だ。
変化をウオッチすること。自分の目や感覚で、観察、凝視、感じながら、その変化を見ること。壊れてゆく身体と、抵抗とケアの効果の「攻防戦」を眺めること。

老化は急激だが、実のところ「推移」はいつだって起きていたのだ。きのうと、今日の違いは、誰にでもあるように。一見、当たり前のことだが、とてもとてもミステリアスだ。