20.8.14

地球という玉と、ひとりで向かう

では、「推移」というイメージのために、何を挑むか。
今、9月のイベントのために、「Relocation(移転)」と、「White Clothes(白い服)」というタイトルの2つのパフォーマンスを考えている。
 「Relocation」は、シンガポールで行う。移民の国であることを少し意識している。家具のセットを移動する、6時間かけて、ギャラリーの端の角から、もう反対側の角まで、移す。
 中国で行なう「白い服」の方は、まだ、考え中な部分が大きい。とりあえず、白い服を着る。近代以前は、極東では、結婚式だけでなく、葬儀も白だった。靴も白にしよう。それから、個人が使っていた食器を葬儀の際に壊すという、日本の風習。また、嫁入りの際に壊す場合もあったらしい。あるステージから別のステージに変る時に、日常的に使っていた食器(身体をつくるためのものだ)を壊し、別の世界に突入させる。カラフルな中国のどんぶりを使いたい。(中国ではそういう習慣はないみたいだが)
はっ、白い服買ってこなくては。


きのうは、MOTの2つと銀座の2つの展覧会を見た。
銀座4丁目の交差点、日産のビルが今、工事中なので、背後のビルがよく見える。ビル裏はセクシーなのだ。
展覧会を見て、その自分の反応を感じると、自分の特徴がよくわかる。それから、今日のように自分の発表が近い時には、他の方々の作品を見ながら、自分の作品を考える。考え方の流れを、他のアーティストの脳や作品を借りて、試してみる。なかなか良い経験だ。

MOTから銀座まで、友人が車で送ってくれた。その時に、見た、東京の橋たち。その印象も今日は私の頭に残っている。網膜ではなくて、身体全体で記憶する。橋は、どこか、身体に似ている。

ところで、より個人的な「インディビジュアル」な感覚に関心がある。それは、語り、によって表されない。言葉になってはいけない。物語になってしまうとそれはまた別の作り物になる。しかも「言葉」は、何か、真実に近いのではないかと、人は誤解するから。

より、ミステリアスなこと。未踏の領域。目や態度に表れていること。目で、空気で感じられる状況。誰かの態度が突然、きらきらするとしたら、それはどんな時か。

ビジュアルアートは、言葉のように「わかられたり」しなくて、たかが作り物、と言うところが良い。(それもまた、権力的になっちゃうんだけどね、へたすると)

私の、これからのパフォーマンスは、あまり「参加型」ではない。しばらく「集団」の身体に興味があったが、私自身でそれを組織できないことが気にかかるようになった。自分の身体だけで、やってみたい。

今の興味は...... 「丸い地球」と対峙できる、玉のような身体感覚を持つこと(夢はでかい)。磨いたら、なるんではないかと思う。

MOT(現代美術館)は現在、キッズ向けのイベント目白押し。ロビーでくつろぎ過ぎの、バルティスな少女たち。

撮ってもいいか、アイコンタクトで承諾をとった。どこか、ポーズをとっているような。