24.7.09

サバイバルの極

このタイトルにして書こうと思ったことは別のことだったのに、別の話でいっぱいになった昨日のページ。スライドYouTube作品は、なんどか直して、もうこの辺で、いじらない。きのう、見そびれた(入れ直し中だった)方は、良かったらもう一度、トライしてください。

書こうと思ったのは、ロウケンのことだ。
父は、実社会では、まあまあのサバイバルぶりであったが、ロウケンではまったくだめなようだ。得意のおしゃべりも、積極的な動作ももがれていて、売りがなくなると、とたんに、苦しくなるらしい。
孤独ということは、どういうことかな。毎日のように妻がきてくれて、娘や孫も時々顔を出し、ひと月に一度は、友人が会いに来る。それでも、さびしくてたまらないらしい。車いすから落ちたり、5分おきにナースコールをしたり、ネツをだしたり。落ち着いていることができない。非常に残念だが、痴呆があらわれているようで、テレビで見る相撲の勝ち負けがよくわからないらしい。ほんの2週間の出来事である。助けてあげる方法がみつからない。家へ帰れば、寝ていることしかできないのだ。それもやはり痴呆が進む。

高齢化する世界の中で、だれもが、ホームで最後の日々を過ごす可能性がある。サバイバルは続く。それは、勝ち抜くことでもないし、理性を維持することでもないようだ。できれば、日々日々を大切に感じながら、生きていたいとおもう。最後の最後で、サバイバルの極みが待っているようだ。