30.7.09

安定とご案内

最近は、なんか、ラディカルさとか、意志の強さとか、屈しない力とかいった、精神の美に関心があるみたいな、わたしである。見た目の美もそりゃ、面白いと思うけど、わたしが好きな、見た目の美ってのは、デザイン作品になる。う〜ん、これでいいのかどうか、わからない。
道徳は関係ない。ふてぶてしさとか、いざとなったときの寛容さとか、なんか、そういうものに惹かれる。なんだろうな〜。
やばい兆候かもしれない。すぐれたデザインてのは、いいよね。まっすぐ受け止められる。でも、美しい絵画ってなんだ?

婉曲表現。
医療の世界で、「安定期」とは、「もうなおらない」「保険をつかうのは無駄に見える=治療はもう限界です」の意味になる。
きのうきいた婉曲表現は「その件については、ご相談になります」。これは、無理だから断ります、の意味。
「多目的トイレ」については、2003年にはじめて知ったが、障害者が使えるトイレ、の意味である。
これらは、相手に、理解の負担を与えるもので、自分はきれいな言葉を使っていようとするものだと思う。もちろん、気分的なものではなくて、責任逃れだ。

ところで、裁判員制だけど、死刑の決定をする立場になりたくないから、参加したくないという考えについてはどう思いますか? 一方、死刑執行も、市民が交替で行えばいいのだという意見もある。後者の意見をいいたくなる人のいらだちは、割と、わたしはわかる。直接ではなくても、自分が手を貸していることに自覚的でありたいということでしょう。
きのうの話のつづきだけど、市民であるための、義務と権利と自由の話だ。市民権は、与えられたものではなくて、勝ち得たものなはず。だが、日本はな......。だから、知らん顔するのは、全く自由だと思う。そのうち、年収いくら以下は、選挙権剥奪されたりして。


もうひとつ書きたかったけど、終了。おやすみ。

写真は東洋人すら見かけないクロアチアの田舎町の銀行(これでも)。東芝のエアコン。僻地に知り合いのオジサンに遭遇した感じ。