3.7.09

太陽、ロウケン

<太陽>
 南欧の太陽には、驚いた。緯度は、日本の東北くらいなはずなんだが、ものすごく強い。南仏に行った時のゴッホの絵が、まっ黄色になった理由はよくわかる。その他、ヨーロッパの北側の出身の人たちが、なぜ、皆、光のことを書くのかよくわかった。ワインがおいしいはずだ。おいしいし、美しいけど、わたしの身体が対応しなかった。日本人でも、亜寒帯の生まれだからね。ゴッホは、日本もこうに


















違いないと書いていたが、それはまちがい。全然、違う。目が痛くなった。サングラスか、帽子が欠かせない。

それだけではない、光に当たりすぎたせいで、身体を壊してしまった。その上、たった1日だけの雨の日はすごく寒くて、皆さんはいきなり、オーバーなんて着ていた。が、そんなものは持ってなかったので、重ね着で過ごしたが、身体は、びっくりしたらしくて、それも身体を壊した理由。

写真は、クロアチアの農村スタグリネツの畑(麦ととうもろこし)を、ひとりで延々南下していた時に会った、トラクターのナイスなおにいさん。まったく言葉は通じないけど、畑の歩き方を、念入りに教えてくれた。(踏まないで、すり足して歩くようにと。)
もう一枚の写真は、まさに、黄金のフィールド。その美しさをうまく撮るには、カメラの設定を変えなければならなかったかも。これではただの藁に見える。

それでもって、畑を4時間くらい歩きまわっていたのだから。
 帰国後、どっと出た。もう1週間が過ぎた。筋肉が動かない、むくんだ、などの症状から、カリウム不足であると自己診断して、スポーツドリンクをがんがん摂取し、果物、野菜、芋、豆などを努めて食べた。ようやく、きのうあたりから、まともになってきた。

<ロウケン>
 7月1日から、介護保険制度が色々変わったそうだ。運良く、1日に、父が今度移る施設の申し込みに行ったので、新しい、法律を適応してもらえる。まさに、父の為みたいな感じ。ロウケンというところは、老人保健施設と言って、長く病院にいたご老人が、自宅に帰る前に、日常生活を送る練習をするところ。ということになっているが、老人ホーム代わりにしてしまっている人もいる。3ヶ月までということになっているけど、帰る宛のない人まで、追い出さないから。父は、その理想通りの患者で、家に帰る為の練習をするために入る。練習と言っても(元気な若い人が聞いたら、よくわからないだろう)、1日中ベッドにいた生活から、寝るときだけベッドへ入る、という生活の練習のこと。それから、ベッドで御飯を食べるのではなくて、食堂で食べる。そんだけの話、言ってみれば。それが大変なのだ。父の場合は、便器でおしっこや、うんこをする練習というのも、含まれる。左半身が不自由な父には、これは本当にむづかしい。

老人の施設というと、暗いイメージかもしれないが、そこは2年くらい前にできたところで、父は「ホテルのようだ!」と大興奮。確かに、落ち着いた木目調の壁、柱で、シック。上の方は、真っ白で、明るい。父は、すっかり、張り切ってしまって、体操をしているご老人のグループのところへ行って、いきなり、「山岡です! 今度、ここでお世話になることになりました。よろしくお願いします。」と挨拶をした。だが、誰も、父を見ないし、返事もない。半分は、ほとんど、寝ているし、たぶん、痴呆の人が多いのだ。また、なつかしの昔の歌や出来事を、職員がおしゃべりして、御老人たちが、一緒に歌ったり、何か話したりするといったグループのところへ行くと、張り切って、「支那事変は、昭和12年7月7日です!」と知識を披露。でも、誰も、父を見ない。それでも、めげずに、「よし、おれの、川柳教室を開けるかもしれん」と言い、ナースステーションにいきなり、「どう?」と掛け合う、積極ぶり。たぶん、面白ければ、みんな目をさまずと思っている。
これまでも、少しは思っていたけど、わたしの父は、かなり、変わり者。躁鬱が激しい。躁のときが、95パーセントで、明るくて、気前がよくて、自己アピールが熱心。お葬式に行っても、にこにこするので、母が困っていた。
若い職員のおにいさんが、心配して、「あまり期待されると、がっかりするかもしれないですよ」と言っているけど、聞いてないみたい。一応、痴呆だけは来ていない父なので、どうなることやら。