1.1.12

新年のごあいさつ


新年です。感謝します。天に地に人々に。

そして丁寧に生きたいと思います。これまで生きてきた年数よりも、
確実にこれからの方が少なくなってきましたからね。100までは生きないと思います。



ホシムクドリです。短い命を、元気いっぱいに、かわいらしく生きている、
小鳥たちは、生き方の見本のひとつ。


今回の年末年始は、「喪」の気持ちが強くて、「おめでとう!」と言う言葉がしっくりしません。
個人的には、ここ4年連続、私は、こうでした。父が倒れた冬、父が亡くなった冬、父の喪、そして東北の喪。まだ、涙は止まっていないので、私の喪はあけてないみたいです。
う〜ん、でも毎年、晦日を「喪」の時間として過ごすのも良いかと考えています。クリスマスが過ぎたら、喪に入ることにしようかな。
喪は、「生きている」ことを、より、きらきらと見せてくれます。うん、そうだ。だから、神社や寺にお参りするのです。私の町には、神社や寺がたくさんあります。若者がたくさん来ている。楽しいんだろうな、と思う。


クリスマスに、オノヨーコさんのYouTubeの「War is Over」の流れる映像で、戦争で亡くなっている人たちの姿を見ました。戦争の死はなくなるべきだけど、たぶん、あまりなくならない。戦争の形が変わっても、それに等しい「犠牲」と言ってもいい死はあるだろうし、それはなくならないどころか、増えるかもしれません。そうです、死は、どこにでもある。病院のベッドの死も、家族に囲まれた死も、静かな死も、同じく、訪れる、誰にでも、どこにでも。




戦争は、なくなって欲しいけれど、死は「隠されては」いけないと思います。
いったい、いつから、死がタブーになって、隠されるようになったのか。
オノさんの映像の目的とは違う反応かもしれないけれど、もっと、普通に死を考えても良いと思いました。死は、希望の反対語ではありません。


宮本常一さんの書かれた「忘れられた日本人」で、何かのはずみで、フグなんかで死ぬもんかって意地を張って啖呵を切った、とあるおじさんが、フグをたらふく食べて、結局あっけなく死んじゃった話が描かれていたことを、思い出します。落語みたいだけど、そんな人生もある。重いとか、軽いとか、簡単には言えないのではないかと思います。



ゆっくりゆっくり、後半の人生を「行きます」。
もし、.... そばを歩かれる方がおられたら、どうぞ、よろしく。