3.12.09

共犯感覚

皆さん、お元気ですか。わたしは元気です。身体は、あちこち痛くて、がたがたですが、気力はばっちりです。(年寄りみたいだ)

いろいろなことがありました。「ぴちぴち行動展」のパフォ『Wind from Sky 2』。まあまあです。喜んでくれた人が何人かいたので、それで、良いと思います。銀座でのが、私的にはベストなんだけど、場所が広くなると、いろいろ条件が変わるし、わたし自身の欲も出てきます。ラストは、今回の「ターナーギャラリーバージョン」固有の展開があって、良かった。固有の展開が、大事。課題は、同じテーブルクロスでも、滑りの悪いテーブルというのがあって、グラスがテーブルから落ちる前に、テーブルの上で倒れてしまうことを、どう扱うかです。前できたことを同じことをしようとしても、それは無理だ。台湾の時も、そう。テーブルが大きいという問題もあります。どちらにせよ、楽しくやれれば、何でも良いのだ。


もうひとつ意外だったのは、床が、危険+汚れまみれになること、若い人たちは「面白い」と感じていること。やっているわたしですら、「汚くなった、やばい」と思っているのに、彼らは、そのまま、残したいと思うらしい。なので、当日は、掃除をしないで、その後ずっと、ガラスをジャリジャリ踏みながら、イベントを続けました。酔っぱらいがでると危ないなと思ったけど、最近の若者は、泥酔しないみたいです。飲み物より、食べ物の方が、あっという間になくなります。彼らが、健全であるゆえ、ドロドロが、かっこ良く見えるのかな。もしや「やばい」の意味が、世代で違っているのと、同じような理由かもしれない。


台湾でも聞かれたけど、「発想はどういうところからですか」「コンセプトは?」という質問には、「すべて何もかもをのものを、めちゃくちゃに壊し尽してみたいという欲望って、誰にもあるでしょう?」と私は、まず、言います。すると、聞いた若者は、私の目をじっと見て、用心深そうにうなずきます。決して、勢い込んで、うんうんとは言わない。わたしは、それを見ると、胸がきゅんとなる。おおっぴらに認めては行けないことだと思っている、のか? たぶん、開き直ってはいけないことなんだね。その、やさしさ、臆病さが、好きです。それから、その瞬間、私たちは、共犯者の心になる。それも胸きゅんだ。

銀座で、みんなで寝るパフォーマンスも、共犯感覚だった。わたしのパフォーマンスは見ている人と場所を共有して、欲望や興味を共有することになりがちである。それって、ちょっと、共犯なのかなと思う。反社会的なことを、疑似体験するってカンジ。あくまで、アートの文脈で、それを行うというのが、わたしのスタンス。なので、銀座であれをしても「格差社会」に、問題提起できたとは思わない、通行人にインパクトを与えたいとも思わない。ほんとに、社会の中で、暴れたい、あるいはメッセージをしたい人とは、別だ。


今日は、別のネタを書くつもりだった。今日、書く予定だったことは「類は類を呼ぶ」ということと、人間関係の話ばっかりする人々について、文句をたれようと思っていたけど、まあ、いいや。あしたにしようっと。


腕については、整形外科で、何枚もレントゲンをとって、骨の異常がないということで、痛み止めだけもらう。異常がないって? 骨盤が「ダンス中」みたいに、右上がりなのは、お医者には、「問題ない」らしい。しょうがないから、今度は、整体師だ。ダンスは、ダンスのときだけで良いのであります。ダンスを休もう。