29.1.11

されど五感、だけど五感

今回の経験で、人によって耳が相当違うということが痛いほどわかった。たとえば、音楽のイベントなら、ある程度、近い耳を持った人が集まるだろう。でも、パフォーマンスアートは、一応ビジュアルアートなので、そう言う意味では、ある程度近い「目」の持主が集まっている。しかし、「耳」の方は、非常にまちまちになるらしい。美術以外の趣味が合わないというか.....

で、五感について、あれこれ考えたけど、もちろん、思考がかなり大事ですよね、アートは。何を見せたいか。一番欠けていたのは、それでは? イベントの企画理由がわからなくて、一度断りました。でも、「声」でやろうと決めて、やることにしました。やってみたかった。他人のやりたいことを感じたり、受け取ったり、そして、まねるという愚かしさの可能性(学ぶということはまねるということからだから)、自分が空っぽの状態になること、について感じるのは楽しかったです。

でも、感覚について、もう少し。
きのう、あるイベント会場で、トークを聞きました。前から2番目の列に座って、話者から約3メートル。スクリーンから4メートル。うまい位置だと思ったら、イベント始まってすぐに、すごくでかい男が私の真ん前に座りました。右に少しずれないと、話者は見えないし、左側に行かないとスクリーンが見えない。目前30センチのところにある、男性の背中にすぐ目のピントがあってしまって、意識して、数メートル先に合わせるのは、大変です。なんだか、船酔いみたいになってしまった。ぐっすん。


じつのところは、いろんな感覚を混ぜて行うパフォーマンスアート。たぶん、思想は大事。私は、思想としてのシェア(リンク参照)を、理想に沿わない実際の苦しみを経験しながら、どうしたら可能かさぐっている。
だけど、五感に関する考えも、やっぱり面白いね。
3月のスペインでのパフォーマンスとワークショップ、それから、イスラエルのアーティストとの企画、そこを今、考えてます。