9.8.09

コミュニティ2

自分の好きなことなどを、公共の場で言うなんて、たぶん、はしたないことなんだと思う。
だから?
というのが、他人の反応でしょう。
だからって、
誰かと共有できる「好きなもの」を提出すれば、それが芸術なのでしょうか? (技があるとか、そういうことはまた、別のこととして)
なんだか、そんなもんなのかなあと思う。

世間はだんだん、保守化していると感じます。相容れないなら話さない、意気投合できそうだったら話す。
それって、オタクですよね。

ならば、感性のことを考えるってどういうことなのか、どうもわからない。
「結局好きかどうか、なんだよね〜」で、会話が終わるとき、なんか、真っ暗な気分になったりします。

だけど、また、「純粋に楽しみたいだけなのに」という人に、「これにはこういう政治的背景があったりするんですよ!」と言えば、いわれた人は叱られたような気がしてくるのかもしれません。

ストレスの多い世界に住んでれば、人は話さなくなってきますね。無難なことで過ごそうとしますね。本当にそれでいいのかな。自分の利益を共有できる人とのみ、分け合おうとします。利益の少ない人は、多く持っている人たちに、分けてくれと言います。権利がある、と言ったりします。「話」ではなくて、「闘争」になります。

話すことはできないのか。

でも、人間はそれほど甘くないのだろうとも思います。「甘くないよ」と言うのが保守系で、「可能性がある」と言うのがリベラルなんだと思います。


写真は、We are Elegant、クロアチアバージョン。ビデオから切り取った写真。もう午後8時をまわっていたので、暗い。
やっときのうビデオが手に入りました。ちょっと言っただけで、あっという間に、みんな参加してくれてびっくりしました。その上、頼みもしないのに、「おう〜〜」という声を。ビデオ、近いうちにアップします。団結力、あるのって、すごいと言えばすごい。因に、このイベント、4時間近く、小雨の中、続いていました。