21.8.09

クロアチア滞在レポート Zagreb

1.ザグレブに着く



















 16日午前中までロヴィンジに滞在し、バスでザグレブへ戻る。ヴラスタの娘が迎えに来てくれ、「ギャラリー」に向かう。「ギャラリー」とは、Croatian Association of the Fine Art (Hrvatsko društvo likovnih umjetnika略してHDLU) のことで、一応、クロアチア芸術協会と私は訳している。ザグレブ市の中心部の東の入り口付近にあり、ランドマーク的な建物である。1920年代に、ひとりの彫刻家によって建てられたのだと職員は語ってくれた(芸術協会は1868年に設立されている)。1945年以降の共産主義政権では、政府の建物となっていた。1991年の独立の際に、解放されて、現在はNPO法人の「芸術家たちの家」(Home for artists)として、親しまれているそうである。中心に吹き抜けの展示室があり、2階は、廻廊になっている。私が行った時には、2階は地元アーティストの現代的な作品、吹き抜けには、現代建築のプランや写真が展示されていた。私がレクチャーを行うのは、廻廊の下の1階のオープン会議室のようなところである。

ロンドンからのアン・ビーン(Anne Bean)、ベルファーストからシネイド・オドネル(Sinead O’Donnell)、テルアビブからエフィ・ベン・デイビッド(Efi Ben Daivid)がすでに来ていて、熱心に議論をしていた。彼女たちは、ヴラスタとともに、ペイヴス(PAVES)というユニットを組んでいる。私は、そのすべての人と初対面だった。彼女たちを、British Councilがバックアップしている。
 PAVESは今年のロンドン公演からはじまった。今回はクロアチア、次回11月はベルファーストで行うようだ。他にもうひとり、イラクのアーティストがいるのだが、今回は来ることができなかった。予定が狂ったので、その替わりに4人でパフォーマンスをしようということになったようだが、どうも、持ち時間45分を4人で行うのは、短すぎると感じたらしい(長くなったような気がするけど)。それで、ヴラスタが、わたしの45分のレクチャーを30分に削って欲しいと言った。シネイドは、その理由を、「4人で45分なのに、あなたが一人で45分というのは、バランスが悪すぎる」と説明する。計画をしたのはオーガナイザーであり、そう言われても困るなあと思った。実のことを言うと、こっちは1時間くらいになりそうで、長くさせてもらえるかな、とさえ思っていた。渡航3ヶ月前までは、このHDLUではパフォーマンスもすることになっていたが、「シュタグリネツとお客が同じだから」という理由で(この意味は後でわかる)、レクチャーだけになったので、せめて、ばっちりとしたレクチャーをしようと考えていた。スピーチの原稿も練りに練って、東京に住むネイティブのイギリス人宅に3日も通って手直しをしてもらったのだ。パフォーマンスの準備より力をいれたぐらいだ。やはり、首都での発表が大事だと思ったし、わざわざ東京から来ているのだから。でも、イラクのアーティストが来られなくなったのが原因なら、やむをえないとも思った。ちょっと考えて、快く譲る姿勢を見せようと「OK、レクチャーは即興まじりでやりましょう」と私は言った。それに対してヴラスタはThank youではなくて、Why notと言ったので、わたしはちょっとがっかり。

 PAVESのメンバーと一緒に宿へ帰る途中に、いくつか銀行があったので、2007年から続けているわたしのプロジェクト『Best Place to Sleep』を3カ所にて行い、エフィに写真を撮ってもらった。銀行の内外で、寝転んで少しだけくつろぐというアクションパフォーマンス。ビデオや写真の作品にする。ある銀行では、警備員(あるいは警察官)が出て来てぎろりと私を睨む。ヴラスタは「サキコは、この国のセキュリティをまだ知らないようね」と言った。そうかもしれない。なら、知りたいと思う。このアクションは、セキュリティや市民感覚のリトマス試験紙のようなものだ。そして、銀行のあり方を見るのは、その土地の経済状況がわかってくるのだから。このプロジェクトは、私が銀行を見ても何も感じなくなるまでは続けたい。








































その日の夜は、ザグレブ教会の近くのバーベキューレストランで、ヴラスタがおごってくれて、軽いパーティとなった。少し、ワインを飲んだ。アーティストたちとは自己紹介を様々に行った。女性ばかりなのでフェミニズム系なのかな、と思ったりもしたがそうでもない。アンが中心になって、集まったメンバーのようだ。


宿は、PAVESのおかげで、British Councilが用意した、とてもモダンで素敵なアパートに便乗できた。吹き抜けの真っ白な空間にセパレイトされたベッドルームが3つ。わたしの寝床は、リビングの一部に置かれた臨時べッドだったが、居心地が良くて満足。ザグレブの最も中心の賑やかなストリートを見下ろす窓、外見はウィーン風の古風な建物であった。

 アパートには、自分たちで、料理ができるように、簡単なキッチンがついていた。ところが、買い出しに行こうと誘っても、誰も興味がないらしい。だが、ザグレブは、カフェはたくさんあるけれど、レストランのない町。翌日の昼は、町中レストランを探して歩いてへとへとになり、やむなくマクドナルドに入った。たぶん、普通のレストランは、建物の奥の方にあって、私は一人ではわからないし、見えたところもあったがちょっと近寄れなかった。そのあと、小さなパン屋をみつけたので、自分用の非常食を買っておいた。後で、聞く所によると、ザグレブでは多くの人は、家に帰って食事をするらしい。本当だろうか。マクドナルドには、若者がいっぱいだった。テイクアウトのピザを買って、ストリートのテーブルで食事をするという方法もあった。後で、サンドイッチショップも一軒みつけた。そこは、中で食事ができるようになっていた。