18.2.09

切り株から解放されそうだ

   父はまるで、とがった切り株に身体がひっかかって、動けなくなった、動物のようだった。直前まで、跳ね回っていた鹿。それは2ヶ月前。突然。
すぐに外せると思ったのに、どうにもならなくて、だんだん、弱って、心臓も止まりそうになったし、食べ物がのどを通らなくなっていった。声も消えた。一週間半くらい前は、生ける屍みたいに見えた。右手の指だけをわずかに動かして会話した。ただただ、ゆっくり拷問にあって、殺されかけているみたいだった。それが、一週間前から、だんだん回復し、まだ、口から食べられないけれど、顔に赤みが戻る。会話が可能というほどでもないが、声は出るようになった。点滴がはずれたし、緑膿菌というカビとも縁を切ったので、あした、車いすにのって少し、ベッドを少し移動するらしい。切り株から外れる瞬間。

   きのうのパフォーマンスでの5人セッションは、5という数字から、わたしはペンタゴンを連想した。アメリカのことが頭から抜けないのだろう。
 ペンタゴンは、大きな組織だけど、関わるのは、ひとりひとりの個人である兵士である。
 「ペンタゴン」と言う言葉の発音が、日本語の、タマゴに似ていることから、さらにタマゴを私は連想した。それで5つのゆで卵を持って行った。結局パフォでそれを使ったのは、直方平くんだったけど、それはやはり、とても、タイミングが良かった。

同じ日、エルサレム賞で、彼は、卵を人ひとりひとりの命に喩えた。タイムリーだね。

極東の小さな劇場の権力にも、潰されるような卵(明かりがついたら、2つ潰れていた)のわたしらが、何をやっているのかと思うけど、.................とにかく想像力に乾杯だ。予言になればいいのだけど。

まあ、問題は山積み。