7.2.09

夢の私の町

 たとえば、昨年訪れたトロントでは、オーガナイザーをしているアーティストたちは、少なくとも20年くらいはそのダウンタウンに住み、お互いずっと顔見知りで、たとえば10年前にこの店は彼女の画廊で、その地下に彼女は住んでいたんだよ、僕は向かいのビルの4階でボーイフレンドと暮らしていたんだ、とかなんとか。ボストンでも、みな20年から30年はその町に住み、ともに、アートの場所を作ってきた。地元の様々な分野の人たちと連携を持ちながら、独自のイベントをいろいろとやっている。
 チェンマイやバンコクでもそうだった。うらやましい。ケルンもデュセルドルフも安い家賃で、アーティストにスペースを貸している。それは町にアーティストを呼び込むためだったそうだ。日本でもたまにそういうところがあるが、関係者のコネがないと入れないのが、現状。その上、2年くらいでやめてしまう。祭りをやりたいだけらしい。

 わたしはわたしの町が欲しいと考えていた。アーティストと呼べる人たちが、わくわくと活動している町を、夢見ていた。むずかしいゆめばかり見てきたようだ。
 もう、きっとわたしには、それは、みつからない。動かなくなった父の左手と同じだ。もしかしたら、声も失うかもしれない。寝たきりになるかもしれない。だからって、その代用を簡単にみつけようとも思わない。滅びたって、自分の感性を崩すようなことはできない。父は、あいうえおの印刷してある文字盤を、右手の指でなぞる方法で、ギャグをかましてくれる。残念ながらスピード感がないが、おそろしく鈍いのが、またとてつもなく、おかしい。

 わたしも、ある意味、そういうふうに、生きることにしました。自分のやり方を通すということ。不具ならば、不具としての武器を使って。