22.3.11

表現

Twitterには体力がいるみたいで、風邪発熱で、休んでいる私は、blogを選ぶ。この大震災、まだ、終わってない震災。日本は、これからの長い道のりの回復のためのエネルギーが必要と思う。日本なんて「亡命」したいとずっと思っていた。だけど、今私は、これは「私たちに」に起きたことだと感じている。ちょうど、おととしくらいから、自分のバックグラウンドである日本のことを考えていたから。そして、今、思うことは、
老いも若きも、協力しあう社会の実現!? が始まったか?

ああ、でも、言葉が貧困だと思う。私の言葉がなにしろ、まず。こののりだと、へたすると、「ナショナリズム」みたいな言葉になってしまう。その言葉の持っているコードで、抵抗してしまう人もいるだろう。そして、口ごもる。
情報に踊らされたくないとか、騒ぎたくないとか。逆のパターンもある。


友達が、糸井さんのブログを読むように、Facebookで推薦していたので、読んだ。糸井さんらしいけど、かなり、くどくなってる。たぶん「口ごもって」しまうんだと感じた。
表現力の、創造が必要だと思った。それは、報道関係者でもだれでもだ。言葉だけではない、もちろん。振る舞い、形の選び方、.........。「表現」思っていることは、表さないとわからない。どう表すのか。それぞれの人がもつ技術。へたすると、誤解や亀裂が生まれてしまう。しかし、今は、揚げ足取っている場合ではない.......。

「気分」を大事にする社会も怖い。その雰囲気を感じている。「気分」が伝わらないと、わからないでは、だめだと思う。シンパシーでは弱いんだ。ぴんと来ないとか、言っている場合ではない。だから、表現する技術をもっと!


どんなところから、学べばいいのか。人々の知恵。私は、人々にもっと会って、一緒に働きたい。考えたい。そういうことができる人たちに会いたい。

日記はちゃんと書いた方がいいと思った。


シンパシーだけではだめだ。