28.11.10

グールド効果:演奏として

気がやはらかくなった。
音楽はちゃんと演奏ができるから、いいな。

アートだと、ちゃんと「演奏」することは、ないのかもしれない? 今時アートで人が集まるということは、かなり、気軽な次元だし、ひとつのパーティのようなものなんだと思う。考え方に、思いがけないショックを受けたり、気持ちが入れ変わるような体験ではなくて、何か、人との「いい関係」を経験する場所のようだ。

でも、グールドのように椅子の高さが「これじゃなくてはだめだ」という密度の表現を、行いたいのだ。
身体が本気でウオーミングアップして、そして降りてくる、というプロセスに、
表現の可能性を感じている。時間もかかる。
それを評して「古いタイプ」と言う人もいて、がっかりする。

けど、音楽では演奏家というのは、それをやっているのだ。音楽は古いタイプのパフォーマンスなの?まあ、確かに、ポップスは短い。


どっか、防空壕みたいなところで、ねっちり、「演奏するパフォーマンス」をすることを夢想している。そういうのをぜひ見たいといおもうだろう観客を黙って選出しておき、その人たちだけに手紙を送っておく。返信は、丸を書くだけ。私は前の日から、テンションを変えておく。しずかに会場に行き、しずかの準備をする。申し合わせたように黙って観客はあつまり、黙って私を見る。音なんか立てない。衣擦れが、静かに聞こえる。終わった瞬間、呪縛はほどける。簡単な食事をともにとって、別れる。