28.9.10

アジア的抵抗の術

MediActionsのアーティストが集まり始めました。もう土曜日には、公開ワークショップを、行わなくてはなりません。これから続く計4回の1回目であり、そのプロセスと最終展覧会というプレゼンテーションの両方を重視したものです。しかも、10月は、隔週月曜には、東京経済大学でのワークショップがあります。ハードです。
つまり、短時間に様々なことを理解しなくてはならないこと、責任がかなり高いということです。年長なので、まとめ役をさせられているところがあって、それはちょっと困るなあ。

きのうは、最初のミーティング。3331の地下1Fの私たちのスタジオで。朝11時から始まって、夜はレジデンシーに移り、11時間続けて話あいしました、勿論、2回の食事もしたし、お茶も飲んだし、30分ほどの昼寝もしましたが。主に、コミュニケーションということを話しました。運良く、方向性としては、近いものを持っているもの同志のようです。つまり、「コミュニケーション」に対して、ナイーブな(純粋、幼稚な)妄想を持っていないということ。これは、良かった。コミュニケーションの不全性について話した。面と向かって話さないで、メールで会話する人たちのことや、また、言語を自己の表現として持っていない人についても、出て来た。サバルタンな場合ということまで、想定しないと、「話せばわかる」になってしまう。欧米型の民主主義を理想としている人たちとは、違ったコミュニケーション法の象徴としてのアキハバラがある。「引きこもり」「おたく」「暴力」。論理的に説明して、闘争方法もノウハウのある現在闘争中の「渋谷系」とは、違う方法。私たちは「抵抗」「潜伏」「いたちごっこ」「無視」「流民」という方向性を提出したい。「市民運動」ではなくて「流民運動」と言っていいかな。「居心地」というのは、大事なタームです。居心地が悪ければ、どこかに移動してしまうんです。「民主主義」なんて言葉を、冷笑なしに口にできない。拳をあげたりしたくもない。しかし、もうひとつタイプの「民主主義」をあざ笑う力が、駅前にどんどんどん、3つ4つ、とそびえているわけです。じゃ〜ん。


まずは、これからの活動のために、Tシャツのデザインをすることにしていますが、そこの書く文字は、絶対日本語が良いというのです、ふたりは。なぜなら、英語にすると、「ファッション」になってしまうからだって。ワークショップもなるだけ、日本語だけにして欲しいというのは、私が大変になるんだけど、「英語をしゃべる外国人」だから、面白いかも、という空気に、抵抗したいらしい。さすがだな。
まあ、Tシャツをつくって、みんなで着るというのは、もともと欧米的だったかもしれないけど、最近のタイの市民の活動を見ると、アジアが、うまく自分たちの方法にしたものかもしれない。

3331というところは、宇宙ステーションみたいです。入り口が、階段になっているところなんか、「未知との遭遇」で見た、宇宙船に乗るための入り口みたいなんだ。それで、中に入ってみると、どこを歩いている人も、スマートな身のこなしで、ルールをきちんと守り、アートのための貢献する、とっても、前向きで前途有望な人々に見えてきて、感心する。もちろん、人それぞれと思うけど、私なんかだめだろうなって思ってしまう。エマさんがいなかったら、私はここでやれないと思う。でも、せっかくだから、学べることは学んでいきたいです。

ベストを尽します。きのう、帰る電車の中で、呪文のように唱えていたのは「ベストを尽します。でも、その後は、神様に任せます」
ということ。

今日と明日は、オフなので、自宅で、摂食障害の人のインタビュウの録音書きおこしをやります。