14.12.12

来年のためのノート Note for the next year of mine


美術館のトイレで朝の身支度をする。9月。

今年は、とても長かった。1年前のことは、ほとんど3年くらい前のように思う。ちょうど1年前の2011年12月は、正直、恐ろしく落ち込んでいた。これからのことを全く切り開くことができないと感じていた。なぜだか、マフィンをたくさんつくって、食べて、ぶくぶく太った。

2012年に入ると、ゆっくりではあるが、日本での、私の回りが変わり始めた。流れはそのように訪れる。そして、いくつかの重要な(あくまで、自分にとって)活動ができたと思う。どの仕事も、かなりの葛藤は、あった。だが、大事なことを発見させていただいた。関わってくださった方々に感謝している。

今は、これからのために、少しメモ(ノート)をしておきたい。
以下のことから、どんな活動や、作品ができるのか、どんなメディアで作るか、それも、その時々で、検討したい。しかも、どんな方法で発表するかもだ。画廊や美術館が、アーティストのもっとも理想的な場所かのように言われていたし、私もこだわってきた。しかし、それも今後は、まったくこだわらない。
とにかく、興味深い人たちに出会うためのツールとして、私は、アートを使う。興味深い人たちが、どこにいるのか、さえもわからないのだから(ということを今年は学んだ)、まともな方法では、会えないだろう。


人と人が出会う、様々な場所。
都市空間、住空間の利用。その隙間。
よそ者、旅人、マイノリティ。
権威を感じさせる建築物への感情。
ノスタルジーの克服と効用。
権威ということ。
アジアとその移民(海外の日本人移民、世界中の中国移民も含む)
19〜21世紀のアジアと日本のこと(つまり、西洋近代化と未来)。
民族や国家の枠がどうなってゆくか。


言えないこと、飲み込んだこと。
他人の頭の中。人の中の言葉。
人々が話すこととその空間。
書く事、書かれた事。それらの技法。
イメージについての再検討。
身体訓練。身体と心、頭の連動。
プラットフォームが思想であると言うこと。


長年のパフォーマンスアートへの呪縛が、ほどけたのは、今年の夏のほんのちょっとした出来事からだ。これにこだわっているうちは、日本にいて、世界が狭くなる一方だったと危機感を感じるに至った。少しずつ、ほどけはじめた。もちろん、パフォーマンスアートにこだわったことを通して、これまでの学んだこと、アイデアやテクニックは、これからのことに活かしたいと思うし、その価値はある。パフォーマンスを通じて出会った人々とのつきあいも変えるつもりはない。
むしろ、仕切り直しと言うべき。まさに、シンガポールでデビューして、ちょうど、20年目。


グッゲンハイム美術館。期待して行ったけれど、環境的には文化的というより観光地だった。