18.10.09

あしたは自分のことを



















うちの町は、お祭り。うちの窓からの写真。朝の準備中。クリックして大きくして良くみると面白いかも。

町田の国際版画美術館で、『デジタル・インターコネクション メディアアート・ライブ』というのを見る。お願いして、ややスタッフ扱いで入れてもらった。因に、入場料はタダなので、その辺が目当てではない。目当ては、アーティストのセットアップを見たいということ。セットアップを見ると、アーティストが何を大事にしている人かわかる。
このイベントは、きのうと今日の2日連続で、きのうは、知り合いのナカノケイさんが出ていたので、行きたかったが、残念ながら家の都合でだめだった。だが、今日は、コアなまったく違う3名でそれも良かった。

最初は、ナカムラトシマルさんというノイズサウンドのミュージシャン。ミキサーを動かすのに、やってはいけませんということになっていることをすることによって、ノイズを出しているそうだ。態度としてラディカル。方法としてハック。面白かった。なんか、それでも、結構、正統な現代音楽のような気がした。今回は、ソロだったけど、即興なので、セッションで行うのが、楽しいと行っておられました。身体に不愉快な音が鳴り続けるということであったが、不愉快ではなかった。たぶん、現代生活で、デジタル音は、相当聴いているので、ならされているのではないかと思う。終わってから、片付けながら、お話を聞くと、主な活動は海外だそうだ。「東京には、いいアーティストがたくさんいるんですけどね」と。わたしもそう思う。わたしのブログを見ている人の中には、知り合いも多いかも。わたしが、無知なだけ。ネットで見たら、わたしの古い友達、アキヤマテツジくんとよくやっている人らしい。即興アーティストって、ほんと、多いね。

コンポーズにこだわったナカノさんのパフォーマンス、見たかった。

それから、次は、アーティストではなくて、メディアデザインの研究者(慶応大学の稲見先生、わりとお若い)のお話、やたら、堅苦しく始まったので、困ったなと思ったら、内容はちゃめちゃ面白かった。医療器具などに、使われている、あるいは、使うことになるだろう、装置を考えている。五感の能力を、拡張するための、様々な実験や、わたしたちが、気がついていない、様々な日常の感覚について、デジタルを使って明らかにし、それを拡張するものを開発している。

ラストは、トランぺッター、コンドウトシノリ氏。ついCDを買ってしまったけど、メディアアートとは、わたしは呼ばないな〜、デジタルを使ったサウンドだからって。で、メディアアートということと関係なく、彼のこの18年くらいの活動の様子の話を聞いて面白かった。演奏はなんだか、たいへんな「感動系」。トランペットの音にエコーをかけて、増幅されるのって、インパクトはあるし、神経的にはむりやり感動されられるけど、心は別に感動していないので、ちょっと、微妙な気持ちになる。おつきのカメラマンがやってきて、あちこちから、パチパチ写真をとっているのも、パフォーマンスのうち。だって、セットアップの時、写真家のためにライトを増やしたりしたんだから。少々、まばゆかろうが、前からライトをあてた。でも、いやな気はしなくて、親しみさえ感じた。ナルシスじいさん還暦。理想とか、アイデアをこんこんと語るところは、職人というより、アーティストだなと思う。セカイは人間中心すぎるとと言うのは、同じ意見。鳥や木に向かってトランペットを吹いてもいいではないか、と言う。

それにしても、メディアアートって、行ってみると、サウンド系ばっかだな.......。美術系をもっと見たい。


だけどさ。帰り道、「あまり前向きなのは、つかれる」という言葉が、口からでた。これは自分へのリアクション。ちょっと、このところ、人に会い過ぎ。ついに疲れた。
あしたは、自分のことを考えたい。