27.1.14

読書。イベント、ひとりで出かけている。誰にも会わない。

 このところ、主にやっているのは、読書。それと、出かけていって、誰かの話を聞いたり、作品を見たり。どれも、1人でやっている。きのうは、アテネフランセの映画イベントにでかけて、2つのトーク、合計、7時間くらいの長丁場だったが、とても面白かった。家に帰ってからも、興奮さめやらず、夜中の2時くらいまで起きていた。誰とも話さないのに、ここまで盛り上がれるのか!と自分に感心。
 一つ目は、イスラエル映画について、四方田犬彦氏のレクチャー。うまいレクチャー。イスラエルについては、私も一昨年行ったが、気がついてなかったことをいろいろと知ることができた。紹介された映画は超レアものだが、鑑賞ができるほどは、見せてはもらえなかった。四方田氏よくしゃべる。
 二つ目は、台湾の映画監督エドワード・ヤンの映画を、3人の専門家が分析するトーク。とても興味深い視点の話だったので、本当に、うれしかった。とにかく、ムービーものの表現の方法について、私が手探りでやっていた方法があながち無意味ではないことがわかって、良かった。ヒントももらって、もっともっと可能性が広がった。そりゃ、確かに、映画の人たちって、なんか、オタクぽい。そんな細部まで、気がつくものなのかと驚いたり。映画人の彼らは、なんとしても、語らなくちゃ気が済まないことがある、という感じなのだ。語ることが愛?みたいに。ファインアートで、あんなに熱い人たちはあまり、見ないかも。
 計7時間では、私も、さすがに、最後の方は、へろへろしてきた。夕食とる暇なくて、身体の電池が切れそうだった。でも、来週も行く。

 このごろ、接しているもの、すべてが楽しいわけではない。当たり外れもある。今、心がけているのは、イベントに行っても、話者や主催者となるべく話さないこと。いや、なるべく、ではなくて、絶対!に。(例外的に、知りあいが主催関係の場合は、挨拶した。)
 なぜか?
 たぶん、鑑賞に「関係」を作りたくないからかしら。純粋鑑賞が、今はいい。なので、少数参加者のイベントは避けた方がいいかもしれない。

 Kindleで初めて購入した図書、カズオイシグロの『浮き世の画家』読了。でかけた時に、電車の中でしか読まないので、短編だけど、少しだけ時間がかかった。タイトルがなんかきらいだったし、前半は何の話に発展するのか、全く、わからなかったのだけど、だんだん、事情がわかってきて(わざとそのように進行させているのだろう)、面白くなった。イシグロ氏は、幼い時に、イギリスに移住して、そのまま暮らしているので、日本語が書けない。つまり、だから、これは翻訳ものなんだけど、非常にすばらしい翻訳。そして、驚くのは、登場人物たちの話し方、私たちが「日本的」と思い込んでいる、宴曲表現、気遣い表現に満ち満ちている。純粋な日本人が日本語で書いた小説みたいだった。彼が、日本的感性を研究して意識的に書いたのか、とも思ったが、実のところ、そういう会話の仕方が、日本人的というのは、私の思い込みなのかもしれない? よく考えて見ると、自分の経験からして、気遣いを細やかに会話や態度で表すのは、ヨーロッパ人の方かもしれない。
 とにかく、小説の中心人物の、意識の表現が見事。私たちの日常と同じく、「実際はどうだったのか」というのは、筋の中でも、結局のところ、わからないのだ。主人公は、色々と他者の考えを推察してみるが、もやがかかっている。他の人に、質問してもはぐらかされるのだ。その代わり、中心人物の気持ちが変化する様子が、描かれている。彼が思い切って、あることを発言したことで、展開が変る、しかし、他人は何も変わってないと言う。他人の反応に、敏感になりすぎていたのだろうか、などと、主人公とともに、考えてしまう。ちなみに、これは「意識の流れ」という手法の系統なのかしら。

 イーフー・トゥアンの『空間の経験』(space and place)は、2度目を読んでいるところ。ノートにメモをとりながら読んでいる。なんて、示唆深い内容なんだろうかと、思う。地理と空間、経験についての画期的な著書だと思う。「空間」と「視線」に関する本は、今後、次々と読む予定。抜粋の一部は、twitterに載せています。

 「共依存」についての本も読んだ。「コミュニケーション断念のすすめ」というのも一緒に買った。こちらは、エッセイ調の文章なので読みやすい。面白いところもあったけど、この手の書は、ほどほどに読むのが良さそう。


今月中に、ひとつ作品のプレゼンをしなくてはならないことがある。5月のもの。あした、それは書きます。


下の写真は、東京駅のステーションギャラリーのブラインド越しに、東京駅前の様子を、スマホで撮ったもの。