27.5.09

私の依存

どよーんと疲れてから、数日、夜更かしはせずになんとか、過ごし、元気を取り戻す。パソコンのキーをうつのもいやになっていて、必要最小限をこころがけていたように思う。ブログを書きかけても、愚痴みたいになりかけたりする。
人間疲れちゃいかん。

「依存」のことを少し考えた。人間誰でも、何かに依存している。というのは、これであっていますでしょうか。たぶんね。犬は何かに依存するかな。その生存に必要なこと以外に。猿ならしそうだ。
 わたしはいろんなものに依存している。恥ずかしいから、一番、感じのいい依存のことを言えば、朝起きると、ベランダのバラを見に行く。5月初旬の母の誕生日に買った。ローズフォーエバー社のモスクワフォーエバーという品種。あまりきれいではない。でも、雑種みたいな感じが好きで買った。.....というのは、うそか。鉢植えはそれしか、売ってなかった。....予算に合うのは。
きれいではないが、面倒を見る。咲いていた花は、ほとんど、終わって、新しいつぼみは、4つくらいしかない。それが今、咲いているが、ビッコだったり、はじめからめしべ丸見えみたいに、下品で美しくない。でも、面倒をみる。新しい葉っぱが、一生懸命だ。
毎日の、ほんの少しの変化をみる。........ということに依存している。

最近、作品を進化させるようなアイデアを考えていない。どちらかと言うと、これまでの作品の総括をしている。今ひとつ釈然としないことがあって、どうしようか、などと考える。クロアチアで、話すなら、日本人というバックグラウンドについて、案外知らないと思うから、つけ加える。ボストンの学生は、日本が19世紀末に国を開いたことすら、知らなかった。やはり、バックグラウンドを聞くのが、彼らには、元も、わかりやすいと思う。
しかし、異文化交流の要は、「どう違うか」ではなくて、「共有できることは何か」なのです。学生の時、読んだ本に書いてあって、感銘を受けました。

でも、最近読んだ本に、「他の人や、動植物などに、なりたがる人は、不幸な人です」というのがあった。しゅ〜ん。
植物と私の共通点を探しているってのでは、いけませんかね。 絵は、いつ描いたのだか、忘れました。かあいい〜でしょう。