3.4.12

美術の業界と公共、ちょっと思ったこと Industry and Public

桜もほころび、春です。
今日は強風と雨ですが、窓ふきの人は働いています。凧揚げと身体の角度が似ています。
自分を更新するための試行錯誤。今まで会わなかった人に会ってみたり、ちょっと私にはめずらしいトークを聞きに行ったり、本を読んだり。


なんか、美術業界について考えてみます。あまりにも、意識していなさすぎでしたから。...というか、アーティストが、それを考えるのは、なにか、はしたないことのように感じていたというのもあります。こんなこと若い人には判らないだろうなあ。
2ヶ月ほど前に、初めて会ったある方から、「私は30年以上美術業界にいるけれど、あなたのことは存じ上げませんでした。」と言われました。これって、他の人はなかなか言わない台詞ですよね。素直にそれが言える、オープンな彼女の事がちょっと好きになった瞬間でした。私も彼女を知りませんでしたし。
そして、ああ、業界ってあったんだ、って、つくづく思ったというのも、正直なところ。

 さて、ちょっと逸れるようですが........公共論というものを少し勉強してみました。主に、広井さんという千葉大学の先生の書かれた、新書判の本を数冊。とても興味深いことがたくさん書いたあり、資料も豊富ですし、ぐいぐい読みました。「日本社会には公と私があるがの場所がない」。政府主導の世界でもなく、マーケット主導の世界でもなく、多様な市民によるディスカッションが主導して作る世界。<共>という場所をどうやって作るか。<公>-<共>-<私>という理想の図のイメージを膨らませます。そして、それがどのように実現されていくのか、楽しみでした。しかし、私は、今ちょっと気にかかっていることがあります。順番はずれているけど、アートのおかれた事情に似ている


 アートシーンのあり方は、私の知っている限り、ずっと最近まで、以下のようだったと思います。画廊やアートマーケットである「<私>有財産」の分野、それから、アーティストが中心になって動きが始まり、観客を巻き込んで活性する「アーティスト発信型」の分野、それは<共>という発想に近いと思います、その2つで発信。さらに、公>の立場としては、公立の美術館などは、これらの2つの分野の成果をリサーチし、購入したり、展覧会などをし、そして文化機関は助成金などで、文化振興のサポートする。このように、アートの世界では<公>-<共>-<私>という関係はむしろ「かつてからあった」スタイルだと思います。「アーティスト発信型」は、市民活動勃興の流れでしょうか。こういう自発的な活動を、公的にも奨励されてきたと思います。
 しかし、今は、もはや、ほとんど、<公><私>の二つしかありません。一般社会と同じになりました。そして、は独自のプロジェクトを進めています。そして、アーティスト主導の細かいイベントには、助成は見合わせ始めています(たぶん)。そして、観客は、もの新しいものに出かけて行くのですよね。貧しそうなもの、古そうなものは、敬遠します。もちろん、アーティストたちがお金を出し合ったイベントもあります。これは案外多い。確かに自立しています。でも、よほど応援したい人か、好きな人がいないかぎり、行かないくなってきた。私だってそうだわ。

 ここで、公共論に戻ります。<公>-<共>-<私>と言った場合、<共>という理想領域は、どのような経済で運営するのでしょう? 先日、その研究する方に聞いたみました。ドネーション(寄付)?サポート(助成)?それとも?
答えは......「ドネーション」だそうです。う〜ん。

 アメリカでは、ほとんどの美術館が、寄付金によってまかなわれています。税制との関係があり、お金持ちは寄付はしておいた方がむしろ良い。そういう社会と、日本は違う。その件は、散々、アート系NPOの悩みとして聞かされます。

 つまり、同じ運命のような気がするのです。この税制はどうも当分、変わらない。今のところ。行き当たりばったりにもらっても、続けることができないですよね。

  公共論から学んだ分類で言えば、アーティスト発信のスタイルはヨーロッパ大陸スタイルで、マーケット優先型は米英スタイル。日本がどういう社会モデルかと考えれば、ことがらははっきりしています。文化政策という分野ができて、専門家がどんどん輩出されています。業界が充実を図るために、がんばっているという印象もあります。充実のためには、イクスクルーシブなことも、必要なんだと思います。この市場優先経済というのも、デモクラシーだとも言えるし、デモクラシーではないとも言える。


   で、私の立場。頭では理解していますけど、かつての体制で育った人間としては、2階に上げられてハシゴをはずされた気持ちがあります。「アーティスト発信型」でずっとやっていけるかと思っていました。この「発信型」がいつの間にか「業界」と縁が切れていたんですね。それで「知りませんでした」ということになる。

  それに、もし、日本で、今ここでいわゆるアーティストコミュニティを作ろうと誰かに言われても、もはや何を理想にしたらいいのか、わからない。私は、仲間でやれることってなんでしょう?的なセンスになっています。なので、まあ、これでよかったのかもしれないとすら、思っています。社会や経済が変われば、また、アートの立場は違ってきます。そんなもんだと思います。振り回されてなんぼの世界。反映なのですから。