23.2.12

CPAマルゴーの解散



シャトー・パフォーマンスアート・マルゴーというパフォーマンスのラボ企画がありました。2010年9月から2011年9月まで、活動しました。話し合った結果、解散することにしました。ご参加、そして、応援してくださった方々に感謝します。昨年9月の公演が最後になりました。会場であるシャトー2Fにはお世話になるばかりでした。本当にありがとうございました。


<ワークショップ形式の最後のミーティング>
今年2月12日(日)に、直方平さん、門倉さんと私の3人で、ワークショップ形式のミーティングしました。予め議題を出しておき、まず、それをペーパーに書き込む。そして、回して他の人の文を読む。質問があれば、マークしておく。そして、発表しあう。議題は以下。



  1. これからの世の中がどうなると思う?
  2. 芸術表現は、何が可能で、何が求められていると思う?
  3. あなたの展望は何ですか?表現をするとして、どんな人に見て欲しいですか?
  4. シャトマルのこれからで、やってみたいこと、やったらいいと思うこと。
なんだかんだと5時間くらい話していました。A4の紙に、皆、考えをぎっしり書き込みました。あれやこれやと、思いを出し合う。そして、最後には、一緒に勉強をしていこうということになりました。しかし、物理的に難しそうなので、3日後くらいにメールを交換しあい、結局「解散」を、決めました。とにかく、今は勉強をし直したいというのが、3人に共通した見解でした。別々でも。時々一緒でも。
以下は、私サイドから見た理由をまとめてみました。



<理由1 物理的状況>
少し遠くに引っ越すメンバーがいます。物理的に続けられないです。ミーティングにはすでに参加していませんが、表現そのものを休止したい、というメンバーもいました。

<理由2 自主企画の置かれた立場の変化>
私で言えば、長年、アーティストが自主企画することはある種の誇りでした。先輩アーティストにも、そのように言われていました。しかし、今のアートシーンでは、「アーティストが企画するもの」は、いわゆる自主制作映画のように、一人前になる前の段階という扱いになっているようです。あるいは、やりたい人たちが勝手にやっている内輪のもの。皆、理想を持って一旦始めるのですが、なかなか続けられないようです。
東京近辺は、アートシーンがすっかり管理されているという印象も強いです。あるいは、力を持った人たちのブラザーシップでパイをわけ合っている感じもします。観客は、お里の知れているものに出かけて行きます。場所、で選んでいる事も多い。ローカルな企画は、若い人には「いろいろ参加できるイベントの選択肢のひとつ」と言う感覚でしかないようです。かつては、戦って自分たちの場を作ろう、という気概が潔い、という考えもありました。でも、私はそれをやるタイプではないな、と思います。

<理由3 自分の作品をつくるために>
一番思うのは、私は、オーガナイズに頭と時間とお金を使うことで、作品をちゃんと作ってこなかった、という自分に対する、苛立があります。外国のイベントに呼ばれた時だけ、私は作品を作っている、という状況でした。
ようやく、太田エマさんのおかげで、2010年くらいから、国内でも、企画の中で作品を作る、という経験ができるようになりました。キュレーターの意図を聞き、私のやりたい/やれることを出し、キュレーターが喜んで受け入れて、責任を持って、送り出してくれる。このシステムが大事ですよね。
また、パフォーマンスアートという方法にも、いろいろな疑問があります。これは長い話なので、ここでは書きませんし、言うより、これからの私のすることで表現した方が良いでしょう。何もできないかもしれないですが(笑)。

<理由4 社会の変化>
もうひとつ。これは案外大きいです。日本の経済的低迷に追い打ちをかけて、昨年の大震災、原発爆発。この後、皆さんの回りには、どのような変化がありましたか?大して変わらないという人も案外多いかもしれません。しかし、確実に、人々の意識の変化があると感じます。
今、社会全体を見れば、アートなんて要らないだろうな、と思います。荒涼とする場所に立ち、さあ、私たちの「生」を、私たちの「社会」をどうする?という意識の時に、デザインは意味を持ちますが、アート的なものを求める人は少数派です。別の人はスポーツをしたり、歌を歌ったり、家族や友達と遊んだりするでしょう。こんな時、「わたしは」何をするのだろう、本当にやりたいことは? これがミーティングに集まった皆の考えだったと思います。そこで勉強し直したい、というのは共通見解でした。しばらくしたら、それぞれが何か新しい作品、活動を始めるでしょう。