1.3.12

27.2.12

4〜5月の予定


次の予定は、4月のスエーデンの首都ストックホルムのPALsというアートフェスティバルに参加します。若い世代のオーガナイズらしい要素もあり、学生とのワークショップもプログラム入っています。アジアからの参加は私だけなので、印象強いことをプレゼンテーションして来たいです。
2012年4月16日~22日 16~22nd  April 
PALS Performance Art Festival (Stockholm, Sweden ストックホルム、スエーデン)

PALsが行なわれるFylkingen http://fylkingen.se/about

それから、続いて訪問するオランダのロッテルダムでは、滞在は2週間とやや長いので、できたら、町をリサーチした上での作品を行ないたいです。
2012年5月6日〜5月9日 〜9th  May
PAE#4   ( Rotterdam, Netherlands ロッテルダム、オランダ)

23.2.12

CPAマルゴーの解散



シャトー・パフォーマンスアート・マルゴーというパフォーマンスのラボ企画がありました。2010年9月から2011年9月まで、活動しました。話し合った結果、解散することにしました。ご参加、そして、応援してくださった方々に感謝します。昨年9月の公演が最後になりました。会場であるシャトー2Fにはお世話になるばかりでした。本当にありがとうございました。


<ワークショップ形式の最後のミーティング>
今年2月12日(日)に、直方平さん、門倉さんと私の3人で、ワークショップ形式のミーティングしました。予め議題を出しておき、まず、それをペーパーに書き込む。そして、回して他の人の文を読む。質問があれば、マークしておく。そして、発表しあう。議題は以下。

22.2.12

To see you again また会うために

マレーシアから日本に来て、約10ヶ月滞在中のアーティスト、チ・トゥーさん発案のパフォーマンス。5カ所でやることとタイトルは私が提案しました。「また会うために。」
少し、報告します。2012年2月5日日曜日。12:00から16:00過ぎまで。
12:00皇居二重橋前
13:00銀座和光と三越の間
14:00秋葉原AKB劇場前
15:00六本木ヒルズのルイーズブルジョアの大蜘蛛彫刻の下
16:00渋谷ハチ公前の交差点の手前
時報のように正確にその場所に立つ、というが二人のルールです。
記録班としては、スティル写真に芝田文乃さん、ビデオカメラにYuki Okumuraさん。

まず、皇居の二重橋前。予め、私たちはどこでも会いません。早く着いた方が立って待っています。そして、どちらかが、もうひとりを叩く。やりかえず。ここには、その間合いが大事です。私としては音楽として、その間と、「起きる」時のタイミングと動きを重視していたつもりです。でも、勿論、写真でもビデオですら、わからないね。何せ、トータル4時間10分ですから。以下、写真記録は「芝田文乃」さんです。

写真は、私がようやく到着して、彼に近づいているところ。なるべく、遠くでもわかるように、私は変な帽子を被ってゆきました。背景のカップルがいかにもな感じで面白い。観光地なんだよね。さて、ここでは、お互い「叩き」はあんまり激しくなかったですが、一応、叩き合いました。イントロダクションといったところでしょうか。お手並み拝見? 適当なところで、私が立ち去りました。

<12:00 皇居二重橋前>
皇居前

次の銀座交差点まで、私たちは別の道で行きます。写真は、最初の一発かも知れない。打ち方のフォームも、撮り方も、なかなかのナイスショット。


<13:00 銀座3丁目和光前>
銀座

18.2.12

プレゼンで使ったパワポの原稿をスライドにしました。





前の投稿であるワークショップの「パブリックスペースはどこにある?」のプレゼンで使用したパワポのデータをスライドにしました。
画面の下のほうに、一時停止したり、前のページを見たりするボタンがあります。

説明などは以下から。
http://sakikoyamaoka.com/PublicWorks1992~2011.html



15.2.12

報告:パブリックスペースはどこにある


少し日にちが経ちましたが、1月24日に、太田エマさんと、おこなったワークショップ「パブリックスペースはどこにある?」のご報告と、写真などをアップします。

会場である、amuというスペースは、「アートリテラシー入門」や「アートという戦場」などの興味深い本を編集出版している、フィルムアート社と同じ系列です。恵比寿駅から徒歩10分くらい、たぶん、とても新しいスペースです。今回、ここでイベントをするように企画してくださったのは、アート&ソサエティという、パブリックアートの研究センターです。なかなかのプレッシャーで、準備には結構緊張しました(笑)。おかげで勉強になりました。感謝です。

まず、ワークショップとしては、パブリックスペースという言葉の意味を定義しなくてはならないかもしれません。しかし、実際のところ、それは使っている人や団体、社会、地域によって、違って来ているのが現実のように思います。定義を論じるのは私たちではない、と考えました。ですから、むしろ感覚的に人々が感じていることを意識する/させることが「アート」によるワークショップの意味なのではないかと思いました



21.1.12

ワークショップ「パブリックスペースはどこにある?」


来週火曜にワークショップがあります。以下、開催スペースであるamuのページからの転載。amuは、フィルムアート社が運営している恵比寿のスペース。お花屋さんが併設してある、とても素敵なところですよ。


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「パブリック・スペースはどこにある?」〜多元的な自由空間を探すアート・ワークショップ

2012年1月24日(火) 19:30~21:00(開場 19:00)
http://www.a-m-u.jp/access.html

わたしたちは今「公的な空間」を自分のものとして使い、活用しているでしょうか。アートを通じて国際的にパブリック・スペースの可能性を探ってきた2人のファシリテーターを迎え、パブリック・スペースの多元的な楽しみ方を探ります。

【ファシリテーター】
portrait_emmaota1.jpg太田エマ(インディペンデントキュレーター)
イギリスの美術大学を卒業後、キュレーター、アートコーディネーターとしての活動をスタート。アーティスト、学生、子どもたちを対象とした国際交流イベントを企画し、ドイツとイギリスに拠点を構えるメディアアート団体「Trampoline」で2年間キュレーターを務める。2005年より日本と海外の子どものコラボレーション・プロジェクト「inter-play」を企画開催。2006年には、メディアアートプロジェクト「ディスロケイト」を開始し、毎年国内外のアーティストを招いてアートやテクノロジーとローカリティの関係について、ワークショップやディスカッション、展覧会を行う。2007~11年には文部科学省の奨学金を受け、武蔵野美術大学映像学科においてアジアのメディアアート、オルタナティブスペースを研究。現在3331 Arts Chiyodaのインターナショナルコーディネーター。http://www.dis-locate.net

portrait_sakikoyamaoka.jpg
山岡佐紀子(アーティスト)
武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。主にパフォーマンスアート、ワークショップ、ドゥローイング、ビデオ作品など。欧米、アジアの20カ国以上に訪れて いる。2000年「パフォーマンスアート!」(芸大美術館)、2005年「横浜港湾借景行為表現計画」(トリエンナーレ応援企画)、2010年「美しい校門プロジェクト」(仁川芸術文化財団)、2010年「ディスロケイト/メディアクションズ」(3331ArtsChiyoda) 2011年は、 エルサレムとジローナとバンクーバーの3都市のアートスクールやフェスティバルに招かれて、パフォーマンスとワークショップを行なった。http://sakikoyamaoka.com











「パブリックスペース」と言えば、何を思い浮かべますか。





私たちの「公的な空間」とは、国・市に提供され、管理された場所を言うのでしょうか。それとも、ただの通行するための場所でしょうか。公園、駅、道路、ショッピングセンター、広場、カフェ、ホテル。あるいはインターネットのソーシャルスペースでしょうか?
今「パブリック」の領域は、広がっているのでしょうか、それとも反対に小さな「島」になっているのでしょうか。私たちは日常生活の中であまり意識せずに「パブリックスペース」に関わっていますが、実際、何の意味があるのでしょうか。
「パブリックスペース」とは、さまざまな人が共存し、さまざまな行為が行われ、多様で、多くの可能性を持っている場所です。「パブリックスペース」は政府などに作られたものではありません。私たちのそれぞれの行為、思い、想像力、つまり広い意味での「アート」によって構築されています。

では、そのような場所で、私たち個人と個人は、交流・コラボを通してどのようなことができるでしょうか。

今回は、私たちのプレゼンテーションのあと、ご一緒に行うワークショップを通して、パブリックスペースの在り方、可能性、その未来を検証します。



それぞれ参加者の経験・ご意見をお聞きします。さらに「違った立場」の人たちの視点を想像する体験を行います。個人個人が考え、それを共有し、自分たちの試行錯誤によってパブリックは変えられるものであるということを、提案したいと思います。

どなたでもお気軽にご参加ください。楽しみながら、新しい感覚を相互に確認しあう小さな旅です。

写真:山岡佐紀子「Love or Not」 2010年 秋葉原(撮影:芝田文乃)

【プログラム】
1.イントロダクション:「理解のずれの認識」を共有する
2.パブリックスペースでのアート活動例
• 太田エマ アートプロジェクト
『ディスロケイト2007~2011』
• 山岡佐紀子 作品紹介
『美しい校門プロジェクト(仁川)』『Love or Not(東京)』
『We are Elegant(ジョグジャ、エルサレム、バンクーバー)』 
3.ワークショップ1:メモと想起
メモ用のカードを使った簡単な想像と意見出し
4.ワークショップ2:ロールプレイとその主張
さまざまな「パブリックスペース」を想定し、その中にいる人の立場を仮想的に思い描き、グループになり話し合います。
5.リフレクション


【定員】30人

【参加費】1000円

【会場】amu

【共催】NPO法人アート&ソサイエティ研究センター/amu
http://www.art-society.com/
http://www.a-m-u.jp/


    騎馬像と雲


    2月5日のパフォーマンスの準備のために、皇居前広場のことを調べていて、この楠公像を見て、既視感を覚えました。ああ、そうだ、ボストンだ.....。



                            

    上は、皇居前広場の楠木正成の像、高村光雲作。下は、ボストンのマサチューセッツ議会の前の公園にあるジョージ・ワシントン像。下の写真は、私のカメラから。

    まあ、つまり、とてもステレオタイプなわけです。「騎馬像」の定番です。
    ところで、見た目は、そっくりですが、文脈が違う。ワシントンはいわゆる建国の「英雄」だけど、楠木は?「忠臣」のシンボル? 江戸を守ったわけでも、近代のデモクラシーを担ったわけではない。


    さて、そんなことから、都市空間の、騎馬像というものを考えてみました。

    17.1.12

    バンクーバーの日本のビル

    帝冠様式というのを知っている方は多いでしようか。
    以下、wikpediaからの引用です。http://ja.wikipedia.org/wiki/帝冠様式

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    帝冠様式ていかんようしき)は、昭和初期の日本で流行した、鉄筋コンクリート造の現代建築に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷の建築様式である。
    1930年代ナショナリズムの台頭を背景に、モダニズム建築に対抗して日本で発生した建築様式であり、現代的なビルに日本の伝統的な屋根を載せた非常に特徴的な意匠を持つ。「軍服を着た建物」という異名をもつ建築物様式としても知られる。

    実用を兼ねて容易に日本的な意匠を表現できる事から、日本内地より寧ろ外地満洲国に多く建てられ、現存するものも多い。しかし昭和初期に発生した事から、それ以前に日本の新領土として組み込まれた朝鮮台湾などには少なく、それらの地域では日本統治時代の残照として古典主義様式が目立つ。
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    写真をご覧下さい。左の上のは、カナダのバンクーバーのダウンタウンイーストサイドの真ん中の交差点にあり、いわば、この町のシンボルの1つとも言える建物です。

    1.1.12

    新年のごあいさつ


    新年です。感謝します。天に地に人々に。

    そして丁寧に生きたいと思います。これまで生きてきた年数よりも、
    確実にこれからの方が少なくなってきましたからね。100までは生きないと思います。



    ホシムクドリです。短い命を、元気いっぱいに、かわいらしく生きている、
    小鳥たちは、生き方の見本のひとつ。


    今回の年末年始は、「喪」の気持ちが強くて、「おめでとう!」と言う言葉がしっくりしません。
    個人的には、ここ4年連続、私は、こうでした。父が倒れた冬、父が亡くなった冬、父の喪、そして東北の喪。まだ、涙は止まっていないので、私の喪はあけてないみたいです。
    う〜ん、でも毎年、晦日を「喪」の時間として過ごすのも良いかと考えています。クリスマスが過ぎたら、喪に入ることにしようかな。
    喪は、「生きている」ことを、より、きらきらと見せてくれます。うん、そうだ。だから、神社や寺にお参りするのです。私の町には、神社や寺がたくさんあります。若者がたくさん来ている。楽しいんだろうな、と思う。


    クリスマスに、オノヨーコさんのYouTubeの「War is Over」の流れる映像で、戦争で亡くなっている人たちの姿を見ました。戦争の死はなくなるべきだけど、たぶん、あまりなくならない。戦争の形が変わっても、それに等しい「犠牲」と言ってもいい死はあるだろうし、それはなくならないどころか、増えるかもしれません。そうです、死は、どこにでもある。病院のベッドの死も、家族に囲まれた死も、静かな死も、同じく、訪れる、誰にでも、どこにでも。