21.9.09

ディスカッションピクニック

大変、よいお天気で、ピクニックびよりであった。
「大砲と美神 危機の時代のアートの役割」
とは、大変なテーマを扱うことになったものだ、ということを、この夜中2時24分に思う。
石川雷太さんと白川昌生さんというゲストの選び方の絶妙さに、自分で感心しながら、問題の大きさは、背負いきれない。


わたしにとって、アート作品は、解釈自由、表現自由が、砦のようなものであった。
だが、「経験者」と「非経験者」の間には、「解釈できないこと」「想像できない壁」というのが、ある。その「経験者」側による「経験についての」アート作品に対しては、わたしのその「砦」は、KYになってしまう。でも、それは人間関係を思い出せば、当然かもしれない。他人の生き方は、解釈するものではない、というのと同じ話。


そこで.........テルアビブ発信のこのテーマは、いったい、東京の人間に、関われるのか? という根本的な問もやはり起こってくる。
一方、私は、1回目のワークショップで、話題になった、イスラエル人がイスラエル人に「原爆をどう思うか」と聞いて歩くドキュメンタリー作品が挑んだことを思い出している。


石川さんが話した「ディスコミュニケーション」性というものを、前向きに受け入れていく方向はあるのだろうか?
私は、あると思っているのだけど。


イベント後の立ち話では、2つの輪ができていた(笑)。