20.5.10

18日め Final presentation

今日のプレゼンテーションは良かった。ディスカッションとは呼ばない。きのう、しつこく文句を言ったことが、解決されていた!! ちゃんと、今日やることと明日やることを、区別して、段取りよく進行した。日本ではあれほど言ってしまうと、関係が壊れてしまうことが多いけれど、ここでは、solutionが選ばれていた!!
通訳は、細かく行われたし、いろいろな案をどんどん検討するという、勢いがあった。ちょっとわたしの分の量が多くて、申し訳なかったけど、伝えたいことはおおよそ、伝えた。私もかなり楽しくプランを作ったので、その楽しさが伝わればいい。後は、スケッチをよく見ていただいて、現実にどう使ってもらうか、韓国の皆さんが決める事。
時間を節約するために、マクドナルドのハンバーガーをデリバリーしてもらった。

ハンバーガーを食べながら、「国境行きたいね」と話していたら、すぐに行く事になった。車で2時間くらいかな。インチョンの山から、川の向こうが見ることができる。霧で煙っていたけど、美しい田園が見えた。望遠鏡も設置されていて、500ウオンほど払ってみます。当然ながら、川には船はないし、普通ありそうな川岸の何か、施設も見当たらない。ある意味、さびしいほど、うつくしい所だった。いっしょに行ったメンバーのひとりに、親戚が北にいる、という人がいて、彼女がひとり、とにかくシリアスだった。写真を撮ってはだめと言われている割に、鷹揚で、ミリタリーの人たちがいたけど、撮ってきました。さすがに、指をピースマークにして撮っている人は見なかったけどね。





あしたこそが、ファイナルディスカッション。コンセプトを整理する。プレゼンした者同士は、譲れなかったりするけれど、韓国側のスタッフとの交えれば、なんとか。それと、プロジェクトのすべてのことをリフレクションする。

写真は、今日ではないけれど、左からアシスタントディレクターのジョン先生、真ん中はディレクターのリー氏、右は文化財団の人。中華料理店でランチ中。




15〜16日 言語の問題

山岡、少々いらだっている。火曜から毎日、「ディスカッションタイム」というミーティングがあるのだけど、毎日、行うためには、Developするためのネタが必要だし、第一、フェアであるべき。通訳がされずに、韓国人だけで話している時間が長過ぎる。先週わたしがちょっとゴネたので、ディレクターは、言葉が通じないながらも、自分の考えを表すようになった。

言語が違う中、いっしょに考えていく、というのがどれほど困難か、という事がわかってきた。
今日は、たとえ時間がかかっても、センテンスごとに通訳してもらうということ。
それから、タイムスケジュールを事前に決めてもらうこと。


Developするためにネタは、ディスカッションができていれば、自然と出てくると思う。
今日は「ディスカッション心得」を最初にディスカッションしたい。

以下は、大変見事な、「原爆スタイル(引用*赤瀬川さん)」住宅。


17.5.10

14日め

日曜日。テジョン市の大学で英語を教えているジェレミーが遊びに来たので、付近を散歩することにした。彼はかつて中華街に来たことがあるらしいが、一応、中華街から歩く。日曜なので、観光客でいっぱいである。それから、丘の上の自由公園にのぼり、ダグラス・マッカーサーの像を拝む。港の眺めも楽しむ。それから、新興初等学校の裏にある、かつて日本の住宅だったとおぼしき家屋を探索に行く。確かではなかったりするが、どの感じが日本の家っぽいか、話しながら歩くのは、なかなか興味深いことだった。年配のアジュンマ(おばさん)のグループが井戸端会議をしているところを通りかかったら、「家を買いにきたのか」と聞かれた。たぶん、空き家が多いのだろう。わたしより白人のジェレミーの方が韓国語がうまいので、とまどうみたいだ。夜は、他のアーティストのメンバーを紹介して、4人でマッコリバーへ行った。フランス人のアグネスと、アメリカ人であるジェレミーが、どっちの大統領の方が、ずるいかという議論が白熱した。トルコ人のイレムがサルコジ氏の顔がきらい、と言った。ジェレミーは、オバマ氏はみてくれが良かったり、パフォーマンスがうまい分、よりずるいと言った。そうかもと思った。















16.5.10

10~13日め

水曜日と木曜日は、小学校でワークショップ。80分ずつ。

木曜の午後は、ディレクターも含めたミーティングになったが、彼が長く話したことの通訳がほとんどなされず、アーティストたちが不安になる。スタッフいわく、たいしたことを彼は言ってはいないと。ただ、わたしたちがあまりに疑問を示したので、夕方、スタッフのヤンユンとカフェで話すことになる。たぶん、スタッフたちも彼を理解しにくいと思っている感じがする。彼はアーティストゆえ、あまり考えを話さないタイプなんだと。ひとつ伝わったのは、この学校やそのコミュニティの特徴を捉えてほしいというということ。それで、カフェではそれについて、みなで意見交換する。

金曜はいつもミーティングするプラットフォーム仁川のアーカイブ(旧日本郵船のビル)で、ワークショップを報告しつつ、少しずつ、校門のプランに移行して行く。ディレクターは欠席。机上でいくら話してもしょうがないから、小学校の周辺を歩いて、大人たちにインタビュウしようと、山岡提案。でかける。なかなか良い成果。かわいい男の子(3年生)が、うろうろしているのを見つけて、彼に家に連れていってよと頼んで、お母さんに会ったり。彼の両親は結婚してこの町に来たらしい。父は港の関係で働き、母は学校事務の仕事。学校は歴史があるし、良い学校だと思うけど、生徒が年々減っていて、町自体高齢化し始めていると、お母さん。また、生まれたときから、ずっとその町に住んでいて、卒業生だという60歳くらいに、ゲイっぽい額縁屋さんにも会った。毎朝、ジョギングをするために学校へ行っている。彼のような人たちも校門のユーザーだ。現在82歳だが、6年ほど前に引っ越してきて、元日本人の家だった家を買って住んでいるというおばあさん。日本人最高!と言われた。複雑。彼女は、ボランティアで、校門前で子供が安全に帰宅できるように、警備として、働いている。みどりのおばさんみたいな感じ? かなり、プライドを持って働いている様子。ここで何が危ないかというと、なんと言っても車。となりのマンションの駐車場の入り口に接している。

この後のミーティングで、ディレクターの意向がわからない、もっと彼と話したいと、わたしは言う。まるで、姿の見えないボスみたいと言った。それで、スタッフたちは彼に電話して、翌日、会うことになる。

翌日のディレクターとのミーティングは、連絡もなく、キャンセルになり、わたしはむっとする。ところが、どうやら、単に、前の晩飲み過ぎて、起きられなかったというだけのこと。で、サービスなのか、昼にふぐ料理屋でごちそうしてくれた。おいしかったです。そのあと、喫茶店で、わたしの門のプランをスケッチブックを見せて、提案してみる。具体的なものを見たせいか、彼がかなり、ポジティブになってきた。実は、彼も不安だったのだと思う。いろいろと意見交換。予算も聞いたし、壊せない外壁の箇所のことを聞いたり。実りがあった。それで、この日は終わる予定だったが、アーティスト3人で夕食をとっていたら電話があり、彼の招待で、カラオケバーに行く事になった。トルコから来ている若いイレムは、カラオケにとても行きたかったので、とてもご機嫌。ディレクターも何曲も歌っていた。その合間に「自分は皆さんを信じていますから、心配しないで、やってゆきましょう」てなこと、胸に手を当てて、前に出すアクションをしながら、何度も言った。若いスタッフたちが、一生懸命、私たちをつないでくれたのだと思う。スタッフの3人娘は、30歳前後。優秀なだけでなく、やわらか頭で、ハートフル。「やはらか頭でハートフル」というのは、どの世界でも若者の役割だと思う。年とってくると、知識や経験は増えるけど、痛い経験の積み重ねもあって、世界を狭く見てしまう傾向にある。

わたしのプランである「HUB port forest」の方向性は、ディレクターはおおよそ、気に入ったらしい。単なる通過点としての門ではなくて、待ち合わせ場所としての門というのは、彼が前に手がけた門で行っており、私のは、それをアップデートしようアイデアである。予算も増えたし、彼自身も一歩も二歩も進めたいらしいから。今回は、コミュニケーションでとどまらず、発信地、あるいは、何かクリエイティブなことが起きる場所として、定義しようと思う。アジアのハブポートであるだけでなく、最も大事な野鳥野生息地であることを、ともに表したい。特に、この小学校は歴史的にみても、地域の広がりとしてみても、多様な民族、多様な世代が共存している、というところに特徴があると感じたから。単に、コミュニケートする場所でなく、発信する場所とするなら、もう少しだな。ハイテクノロジーの特徴である、ユーザーがアレンジし直すことができる、という要素をなんとか、入れたい。ワークショップで、生徒に提案した「協力cooperative」という要素。それから、より現実的な問題として、交通用の多い現在の門は車両専用にして、別にピースフルな門をつけたらどうかと言う案もある。
わたしって、割とこういう仕事に向いているみたいで、自分でもちょっと驚いている。

今日は完全なオフ。寝坊して、とてもリラックスしている。


以下、いかにもな写真ですが、教室で子供たちと。


額縁屋のおじさんにインタビュウするヤンユン。



以下は、わたしは勝手に桜の切り株ではないかと、想像しているもの。元日本人学校であったなら、桜が植わっていてもおかしくない。この切り株も、うまく使ってデザインしたい。

12.5.10

8〜9日目

月曜は、環境問題関係の人によるインチョンツアー。まず、ソンド国際都市(って名前だったかな)に行く。塩田やら野鳥の生息地をつぶして、相当大きなニュータウンを作っている。そこには海外の企業を招く予定。彼らのための居住地もある。学校の用意もしている。ゴルフ場もある。そこを、見学。韓国一高いというビルに案内される。まだ、建築中だが、入れてもらった。その後、そのタウンのはじっこにある、クロツラへラサギという絶滅危惧種(世界で1600羽しかない)の生息地に行く。信じられないほど、小さな島(岩というべき)に住んでいる。わたしは、かつて、東京湾で見た。鳥たちは、双眼鏡では見えるけど、写真に写りませんでした。下の2枚の写真は、その韓国一というビルの屋上から撮った。



今日は、子供たちのワークショップの初日。わたしの提案しているファニートリオという計画は、なんとか滑り出した。けっこう、込み入った計画なんだが、なんとか、やってくれている。あした、写真を撮ったり、プレゼンテーションタイムを持ったりする。80分なんてあっという間に経ってしまう。写真では、彼らは3人組になって自分たちのチームの制作を相談している。


  このパブリックアートは、昔風のいかめしい校門を、新しいイメージのものにかえようというもの。「美しい校門」というタイトルだけど、「美しい」というのは、ビジュアル的にではなくて、考え方が美しいということ。これまでに3つの門を手がけた。デイレクターはメディアート系のアーティストである。実際にそれを使うのは、その学校の児童であるから、児童が何を考えているのか、知るために、ワークショップは行われる。しかも、外国から招待されたアーティストたちによって。このワークショップでは、別に、子供たちと門のデザインを考えるわけではない。いわゆる、パブリックアートの作家ではできないことをしたい、というのは、なんとなくわかる。わたしは、今このディレクターの理想主義は、どのようなものなのか、考えている。すてきだと思うけど、本物なら希少種でしょう? どこまでやったらいいのか、考えている。やるしかないけど。
ちなみに、わたしの作品など作れそうもない分、子供のワークショップを行う経験をさせていただいている、という思えば、ありがたい機会なのだ。
なにせ、美術学生でもない子供たちの想像力は、けっこう私には、刺激的。
彼らには彼らの理想があって、それは間違いなく「美しい」。今日は、そのことを知って面白かった。絵が上手にかけたって、将来飾り物を作るしかないなら、あまり十分には「美しくない」と、確かに思う。
わたしは、絵が上手に描ける子供、発想が豊かな子供、リーダーシップをとるのが好きな子供、他人のアシストが得意な子供、いろんな子供が、協力して「美しい」「楽しい」ものを
作る、という共同作業に、今回はかけてみている。絵を描くがきらいな子が、アートをきらいになってもらって欲しくない。





10.5.10

滞在1週間が経つ

土日は、シドという島へ行ってきました。インチョンの私たちがいるレジデンスからは車で1時間くらい。映画で有名なシルミドもそのあたり。ド、というのは、島という意味。シドのとなりには、シンドという島がある。特に変わったこともない小さな島だけど、インチョンの人たちは、別荘をそこに持っている。空気がよいことや、遠くを眺めたりして、たまにゆっくりすることが、どんなに大事か、感じる。

滞在した家は、キムミスルという画家の別荘兼ギャラリー。彼女は、アトリエは別に持っている。飾ってある絵を見ると、とてもきれいな絵なので、売れているのかなと思って聞いてみると、売る事はそんなに興味があるわけではないらしい。つまり、お金持ちの夫を持っているのだと、わかった。夜はバーベキューをして、夜中まで騒ぐ。

スタッフの三人娘。真ん中のノソは、アーティストでもある。両脇のふたりは、アートマネージメントを勉強して、キュレーターとして成長中。

今日も(笑)オフです。自由です。洗濯と掃除をしたので、今日はじっくり歩いてみようともいます。このところ、食べ過ぎなので、今日はなんとか、身体をきれいにしたい。





別荘から海を眺める。

7.5.10

5日目

今日は、小学生に会う。打ち合わせなしに、いきなり、教室に連れて行かれた。それで、児童とおたがいに、いろいろと質問しあった。びっくりするほど、次から次へと質問が出る。シャイってことはまったくなくて、思ったことを次から次へと、言葉にする。1クラス27人。おおよそ9割の子供が発言しているようだ。日本の学生とは大違いだ。日本のテレビの学園ものってみんな嘘だと思っていたけど。「韓国の食べ物は何が好きですか」から始まって「韓国と日本が戦争していたのに、どうして来ましたか」という質問もあった。それを聞くとみんなが一斉にその子の方を向いて「違う。日本と韓国が仲がいいんだ!」と反論したりする。ちなみに、通訳は、その小学校に子供が通っている日本人のおかあさん。20年以上住んでいる人なので、微妙なニュアンスまで伝えてくれる。助かった。で、その子の質問への返事は「わたしには韓国に友達がたくさんいるから」。こちらからの質問は、好きな図工の授業はなんだったか。なんとヘンリー・ムーアの手のデッサンの模写だって。一方、図工が嫌いな子、なぜきらいか。絵がへただから、と応える。どの子も同じ。つねづね思っているけど、絵を描くのがきらいな子にとって、図工の時間は苦痛なはず。今回は、アートであって図工ではないので、それぞれの特異分野から何かを出し合えるものにできたらと思っている。ビジュアルアートである必要はない。
  絵を見せてほしいというので、インターネットをつないで、私のホームページを見せたら、ひとつ絵を見るたびに、ひとつひとつ違う反応をする。すごいな〜。大人にはできないぜ。解説する子供もいる。みんなが言ってくれた、イエップヨー、というのは「きれいだ〜」とか「かわいい〜」みたいな感じ。
   絵は何を描くのが好きですか、という質問もあったので、「人間を描くのは好き」と応えると、「僕はそれが一番苦手なんだ」とぼそりと反応。でも、わたしの絵を見たら、気が変わるだろう。目は4つ描いてもいいし、しっぽをつけたければつければいい。しかも、画用紙を塗りつぶさなくてもいい。だって、写実的に絵が描けて、何かいいことでもあるの? 今は、写真というものがあるのだから、絵で描くなら、楽しく描けばいい、というようなことを話した。いい通訳さんがいて本当に良かった。身体を動かすことも少し話した。なんとパフォーマンスアートって聞いたことあるか、と聞いたら、10人くらいが手をあげた。さらに、それはどんなものだか知っているかと聞くと「身体を動かして表現すること」と応えた。おどろいたな〜............

そのあと、給食。給食は、教室でたべるのではなくて、食堂へ行く。全校生徒は入れないから、少し時間をずらしながら、入るようだ。ここでもキムチは欠かせない。

そのあと、担任の先生とプロジェクトのスタッフと通訳のおかあさんと4人でワークショップの打ち合わせ。1日80分を2回。時間の配分や、教材の準備。デジタルカメラを使うことになった。10台用意してくれる。実は図工で、カメラを使うようになったのは、今年から、らしい。まだ、どの先生も授業でやってない。これが、始まり始まりである。うひゃ。心配。ワークショップのタイトルは「ゆかいなトリオ」。Funny Trio。どうなるかな〜。不安でござる。ストーリーと写真あるいは絵のセットで、なにかをメッセージする。お互いに見せ合うショウイングまでやる。できるかな〜。

写真はBest Place to Sleepインチョンバージョンです。銀行と言っても歴史的記念物前。新興小学校前でも少しやりました。
あしたは、スドという島へ行く。インターネットはないので、日記は1日飛びます。


6.5.10

4日め

明日は朝から出勤なので、今のうちに日記を書いておきます。
午前中は時間があったので、近所をじっくり散歩しなおしました。旧日本第一銀行だと説明されていた建物の前に行ってみると、なんと、「朝鮮銀行」ではないですか。看板を読むと、第一銀行として作られて、その後、朝鮮銀行になったと。朝鮮銀行は名前に反して、日本の銀行です。わたしのおじいさんが勤めていました、大連で。大連とインチョンは目と鼻の先ですから、来たことがないはずはないなと思います。思いがけない出会いに、ちょっと涙が出ました。この銀行跡は、今年中に歴史博物館になる予定だそうです。この町に住みたいなあ。
参考に、ソウルにある朝鮮銀行。
次はきのうの夜写した写真ですが、今、開港近代建物博物館になっている、日本第18銀行に行きました。狭い展示ホールながら、ビジュアル効果満点の展示で、インチョン港の地理全体を理解しました。しかも、時間軸としても、理解。1876年に日朝修好条約、1883年にインチョンに港を築くために、日本はいち早く、オフィスを建てる。単なる漁村でしかなかった仁川(インチョン)に、前の第一銀行など、日本の建物が次々たち始める。


次の写真は、今の中区役所。かつては、仁川府庁舎。日本のオフィスです。1883年に建てられた木造のものを、1933年に建て替えた。たしかに、上の1883年の堅牢な西洋スタイルと比べると、かなり軽い。たぶん、あちこち、使いやすいように直したのではないかな。エントランスにだけ、面影。


以下は、今回の仕事先の新興初等学校。1890年から1945年までは日本人学校だったそうだ。今日、校長室で聞きました。むずかしいことになったなあ。先生たちは、歴史も大切にして欲しいと言うのだ。


それでも、今日のミーティングでわたしたちのミッションがようやくはっきりしたのは良かった。私たちは、クラスをひとつ持ち、4時間ほどワークショップをして、それを通して、子供たちが何を考え、何を感じているか知り、それをもとに、校門のデザインの提案を相談しあう、ということ。わたしは、5年生を受け持つことになった。


以下の写真は昨日行った変わったカフェ。ロシア人の船乗りがたむろっている。Missing in Yokohamaの作品のために、写真を撮っておいた。このふたり、ふたりでウオッカを2本空けたらしい。へべれけでしたから、ちょっと怖かったけど、あくまで、写真のために、寄り付いてみました。




3日目

きのうは、スタッフからのパブリックアートについてのプレゼンがありました。参加アーティストからのプレゼンも予定されていたのですが、時間がなくなり、金曜に延期。
だんだん私たちの役割もわかってきました。完全ではないですが。子供たちと、「異国」の芸術家たちとの出会いから生まれる、クリエイティブな表現、イメージ。わかるけど、ちょっと、抽象的です。「美しい校門」の意味は、結果が美しくなるということではなくて、そのプロセスが美しいということが大事なんだと、ということだそうです。それで、そのプロセスを記録するのか、と言えば、それはそれぞれの個人的な記憶になるというのです。まだ、ちょっと不思議なんだが。

以下2枚は、ミーティングをしたアーカイブ。旧日本郵船の建物だった。もう1枚のライトアップされているのは、旧第58銀行。
だんだん、わかってきたのは、このアートプラットフォーム仁川があるエリアは、仁川の旧市街で、特に日本街と呼ばれていたようだ。今は、歴史的建物などを保存している地域。近くにチャイナタウンがある。きのうは、日本と同じく「子供の日」だったので、観光客がたくさん歩いていました。

5.5.10

インチョン2日目

きのうのついて。
午前中は、部屋で、『月刊イスラエル』の仕事をしたり、近所の散歩。
ランチは、ホストの女性たちと、ゲストの女性たちとで、シクタンで食事。パリからの人は、ベジタリアンであることがわかる。焼き肉屋には行かないということだね、私たちは。

その後はあアーティストたちの自己紹介、それから、これまで行われたGate Projectの3つの学校を見に行った。ディレクターが変わるとできるものもだいぶ変わるらしい。今回は、初めて外国人を呼んだ。この人選は、どういう意図があるのかわからない。今のところ、パブリックアートの経験がある人はいないし、作品も絵画だったり、小さな作品だったり。フィリピンからの作家は、主なるテーマがずっと十字架だったみたい。さてさて、どうなるか。


写真はわたしが滞在しているゲストハウスのまわりの建物。美術館、ギャラリー、シアター、稽古場や、たぶん、文化財団のオフィスなどがある。港から10分くらい。

3.5.10

滞在1日目

インチョンのゲストハウスに来ています。PCを持って旅をするのは、初めてではないけれど、なぜか、前回(2007年)は、ドイツでネットにつなげなかったので、こうやって無事に、ブログを書けるのはうれしい。昨年は、iPODから書いたね。毎年、環境やが進化しますなあ。
進化といえば、成田空港も行くたびにシステムがアップデートしています。人は、新しいテクノロジーに、慣れるのでなく、変わりゆくテクノロジーになれなくてはならない。70歳を過ぎると大変そうだなあ。

空港には、スタッフ3人とホンオボンさんが来てくれました。6年ぶりのホンオボンさんは、相変わらずでよかった。「さきこさん、同じ顔よかった〜」と彼はいいました。「ホンオボンさんこそ」と言うと「わたし、頭に問題ありますよ〜」と。

ゲストハウスは、どうやらできたてのほやほやのようです。着いたのが、21時を過ぎていたので、近所はあまり見てませんが、聞くところによると、旧日本帝国の施設があったエリアで、去年から再開発。美術館、ゲストハウスなどが、れんが造りでできています。1945年以降は何に使っていたのか、と聞いたけど、知らないといわれました。明日朝、近所を歩き回って、様子を調べます。朝食を食べられそうな、カフェも探さなくては。部屋は、ひとりで使えるので、ありがたいです。シャワーは、シェアしなくてはなりません。

インチョンのGATE PROJECTは、2006年からやっていて、すでに7つの学校の門を作ったそうです。しかし、今回のディレクターは、雇われディレクターみたいで、これまでのことをあまり知りません。マルチメディアのアーティストらしい。他に3人ほどの若い女性のスタッフがいます。彼女たちは、英語を話しますが、デイレクターは話せません。それで、すでに、「これからが不安だ」と言ってナーバスになっています(笑)。

私の他に、トルコとパリから2人、女性のアーティストが来ています。どちらも、どうも、パブリックアートのエキスパートというわけでもない様子。

マッコリとジャガイモのチヂミで夕食をとりました。

真新しい芥子色のシーツは、マットレスのサイズにあっていません。