29.8.12

キブラコンパスをひとつ買った I bought a qibla compass

キブラコンパスをひとつ買った。インターネットで買ったので、まだ手元にない。写真は、やはりインターネットで取った画像である。キブラコンパスとは、メッカの方角を知るための道具である。地球上どこでも使えるらしい。

9月の旅では、どういうわけか、行きと帰りの飛行機会社が違っていて、行きはアエロフロートなので、成田からモスクワへ行き、トランジット、そしてバルセロナに行く。その10日後、エバーという航空会社で、まず、ドバイに飛ぶ、そして、成田に帰国。
これを、ラウンドトリップと呼んで良いかわからないけれど、「楕円」なことは確かだ。

私は、これを今回の作品のネタにしようと思う。


たぶん、これまでの旅とは違った感覚がある。やっと、わかったけれど、私が、欧米で招待されて行くのは、彼等の文化にとっては、あくまでもゲストなのである。

今年、4月にストックホルムのPALSというイベントに招待された。その時、アジアからは私だけだったので、ちょっとした、責任を感じた。他にもいろいろなアーティストがいるだろうに、彼等の「最初の」フェスティバルに呼んでいただく理由を考えた。.... まあ、考え過ぎだったかもしれない。私の住んでいる地域が「日本」である要素を、ある程度、表現するべきだろうと思った。しかし、結果的に感じたのは、彼らは、そんなことには関心がほとんどないと言うことだった。単にカラフルにしたかったのだと言った。
中国などと比べて、日本と言うのは、インターナショナルな場での「プレゼンス」がかなり低くなっている。世界で、もっとも興味がもたれない先進国のひとつであろう。では、私は、インターナショナルなアーティストとして、グローバルな感覚でモダンアート以降のアーティストとして、表現をするべきなのだろうか?

この問いは、先月の「疑問の状態」展まで続く。あのちょっとした、「煉獄」のようなイベントをくぐり抜けた今、私は、まぎれもなく、日本という場所で生まれて、育った人間という意識を、意識するようになった。それはかなり、「痛み」を伴う「受容」だった。まだ、痛い。そして、ずっと痛い。
勿論、その中でもいくつもの「地域」があるし、人生はそれぞれ違う。性格も違う。それから、「日本」だけがその境界線ではなくて、「極東」というエリアもあるし、「アジア」というエリアもある。その、幾種類もの文化、コミュニティを、さっさとぼかして「インターナショナル」なんてありえない.... と人はよく言うね。

でも、ようやく、そう思うようになった。やっと。だからと言って、それをあまりアピールするのも、ベタな話だ。何が変わったかというと、私は「出かけてゆく」のだということがわかった、ということかな。そのバランスみたいなものが、.... たぶん、わかりかけている。... 私の「メッカ」は、どこにもない。


ラウンドトリップ。出発して、ぐるりといくつもの文化を経巡り、帰ってくる。別に、私が変わるわけではない。そして、変わらないわけでもない。




23.8.12

PoesiAccion ポエジアクシオン

 ....と読むのだろうか。
2008年に横浜であるイベントをした時、私は「ポエトリー・アクションPoetry Action」という言葉を使った。それは、はっきり言って、私の造語だ。「アクション・ポエトリーAction Poetry」が正しい。「行為的な詩」ではなくて、「詩的な行為」と言ってみたいので、私はその順番を換えてみた。その時、そのイベントの参加者で、その辺のこと(つまり、詩のパフォーマンスの世界)をよく知っている足立智美さんに「やまおかさ〜ん、ことばつくっちゃうの〜?まずくない?」と、ちょっと文句を言われた。
確かに、ポエトリー・アクションという言い方は「ない」。なんなら、Poetry Actionとググってごらんなさい。ありません。Action Poetryならたくさんあります。

足立さんが心配した以上に早く、影響は起きていて、意外にも先輩の日本のアーティストたちが、その半年後に、その言葉を使って、東京でイベントをしていまう。それを知った時は、正直、どきっとした。そして、最近もやはり東京で....

ところが、ここに「ポエジアクシオン」を名乗るイベントがあるではないですか? いつからなのだろう。しかも、元祖な場所.......不思議だ。すでにあったのかもしれない....
そして、しかも、私は招待された.....。
昨年は、写真家の芝田文乃さんが、パフォーマンスの写真を撮るアーティストとして、招待されました。

すばらしき大人なメンバーに加えていただき感謝します。
バルセロナから、少し、田舎の方の町だそうです。フライヤーのデザインもいいと思う。
今年は、フルクサスの設立から50周年だそうです。オープニングにすべての参加するアーティストが1分間のフルクサスを連想させるパフォーマンスをすることになっています。また、デュシャンが「階段から降りる裸体」を最初に発表した場所がバルセロナで、それがちょうど80年前。それを強調するあたり、ここでのパフォーマンスアートの伝統が何なのかがよくわかります。




主催者のジョアンには、昨年、日本が地震で大変だった日の翌日、スペインのバレンシアで会いました。イベントの打ち上げで、半ば強引に、彼のボイスパフォーマンスにつき合わされた記憶がある(楽しかった)。そして、その時の写真が以下。うう...。彼だけが真顔で、カメラのシャッターを切っています。確信犯.....



今日、スペインの近代の歴史、カタルーニャ(バルセロナのある郡)のことを少し調べました。今は、落ち着いて見えるスペインも、無敵艦隊の時代から、フランコの時代まで、激しい時代を過ごしているんですね。「ゲリラ」という言葉は、ナポレオンに侵略されていた時に、生まれた言葉、生まれた「アクシオン」だということを、知りました。


彼等の伝統に負けないように、タフにやってきたいと思います。


正直、今だに私の表現は、「パフォーマンスアート」のやり方で良いのか、疑問に思いながらやっています。「パフォーマンスアート」を知っている人たちのコミュニティ内だけでわかるコンテキストではやりたくない。いつも食み出ている、あるいは、まともである........そういう表現でいたいと思います。

......今年はこの後、予定がありません。杉並でちょっと何かあるかもしれませんが......自分の、今、作りたいと思っているテーマで、展開したいと思っています。

20.8.12

感情の再配置 Re-Disposition of Emotion


みずほ銀行 本店にて

とある本の為に用意したプロフィル

山岡佐紀子(やまおかさきこ)。アーティスト。移民、都市、公共空間、旅、感情の推移などを取り扱い、主にサイトスペシフィックな表現を行なう。パフォーマンス、ビデオ、写真作品、インスタレーションなど。

Sakiko YAMAOKA: Artist. Yamaoka undertakes site-specific engagements through a variety of expressions including performance, video, photography and installation. Her work focuses on issues of migration, the city, public space, travel, and  our shifting emotions.


太田エマさんに英文の方を作ってもらって、はっとした。migration(移民) の次のcityには、theがついていて、そして、最後のemotion(感情)には「our」がついている。文の流れからして、cityはmigration(移民)した場所であり、emotion(感情)は、「私たち」の感情である「はず」だと言うことだろう。きちんと考えてはいなかったが、まさにそう。そして、emotionは複数である。1つではない。
言語というものは不思議なもので、他の言語に訳することにより、より明らかになったり、不明になったりする。ここでは、彼女の解釈が入ることにより、私の「輪郭」がはっきりしてきた。感謝。

ところで、「帰化する」は 英語で、naturalization書くらしい。自然化するというニュアンス。国民であることは自然」であるべきだということだろう。なんか強引な感じ。「国民」という概念が、そもそも強引なのだ。そういえば、植物も、帰化すると言う。あれほどはびこっていたセイタカアワダチソウは、根付くことができなかったが。



「感情」のことを最初に考えるようになったのは、2008年に、アディーナ・バロンというイスラエルのアーティストと話した時からだ。彼女の作品のタイトル「Disposition(配置)」のことを、私が質問した。「何の」配置なのかと。彼女は応えた「Emotion(感情)」。彼女がイスラエル人であることから、「あの」土地のことを連想する人は多いだろう。もちろん、それもある。国家へのセンスとは、感情だと思う。法律もあるが、それだけではない。しかし、アディーナの場合それもあるし、だけでもない。自身の感情のことも言っていると感じた。離婚した夫と、また再婚した後のことだったから。しかも、末期がんにかかった夫と再婚したのだ。介護するために。その彼も昨年亡くなった。彼女の作品のタイトルの意味は、幾つかの現実を反映していたと思う。

私は、それまで、感情を作品に扱ったことがなかった。というか、考えたこともなかった。感情は、表現の中で「配置換え」できるだろうか。そう思った。以来、意識するようになった。まさに、パズルのように、上演しながら、感情を配置することを試みたこともある。


7月に関わった「疑問の状態」展では、観客に、いわゆるアンケート、私たちが名付けたところの「質問票」に、考えを書いてもらった。展覧会の主役であるマレーシアのアーティストが、画廊の壁のあちこちに手書きで「感情」を書き込んでいた。「日本人は戦争時にアジアで、日本軍がどのような行為を行ったかすっかり忘れているし、関心がないし、そのことに触れようとはしない。こんなことに関心を持った自分の頭がおかしいのだろうか」と。それに対して、どう思うか、という問いが質問票である。予想を超える40人くらいの人が、ぎっちり小さな字で書き込んでくれた。
「忘れてしまってはいけないことだ。学校で教えらないことを、恥じている」と、ほとんど全員の日本人が、おおよそそう言う趣旨で書いていた。総懺悔状態......。
しかし、彼も私たちも、被害者、加害者の当事者ではない、なんか無理がある。国家(nation)の問題を個人が答えるのは「不自然」な気がする。私たちは、これを強制してしまったようで、少し、申し訳ない気持ちにもなった。しかし...... いろいろ考えたが、.........やはり、私達は、自分の属する集団の責任も背負っていると私は思う。「責任」というのを考えるために、「私たち」という概念がどう形成され、市民としての「責任」が何なのか、考えなくてはならない。

「私たちの」感情というのは、どうやって私たちの中に生まれるだろうか。


そして、ディスカッションの日に、観客のひとりとてして、香港出身のアーティストが入ってきた。「私は、アートは個人的なことをすれば良いと考えます」。そう発言すると、すぐに帰って行った。勿論、その通りだと、私は思っている。アートは、個人的なものだ。そのためにあると言ってもいいくらい。

そして、さらに、もう一歩すすめて思う。


個人の感情は、本当に社会の感情に影響されず、個人のままでいられるのだろうか。確かに、みんながオリンピックに沸いている時に、全く乗れない気持ちというのはある。そればかりか、私たちはしばしば、すべての世界の中で、自分が孤立していると感じることもある。

だが、それは本当に「私の感情」だろうか? むしろ、それは何に属しているのだろか、と考える。私は私を考えているようで、私を私だと感じることなど、むずかしい。私の頭に中に沸いて来る思いなど、私にはコントロールすることはできない。 しかし...... 全く、このごろのことなのだけれど、「感情」をながめることは可能だと思うようになった。


その上で、再配置は可能か? 作品の計画である............


12.8.12

自分の血をしぼれ Squeeze your own blood




東京にいる時、自分の作品よりも誰かのことをしている傾向にある。



なぜ、自分自身に集中できないのか。


いろいろ考えるが、一人で戦うのは、怖いんだろうね。他人をダシにしていると、それだけで、他人に感謝される。その感じに、甘んじているんだろう。.... 


やりなおし。

自分の血をしぼれ。

photo by Kenp Suzuki

 Tomato Juice never be blood, please don't misunderstand it.

11.8.12

ターゲティングジグザグ動画アップしました。Targeting Zigzag


今年の4月15日(日)に行なったパフォーマンス「ターゲティングジグザグ Targeting Zigzag」のビデオを編集して、Youtubeにアップしました。
けっこう、気に入っている作品です。

記録ビデオにすることを前提に、行なったパフォーマンスでもあります。
撮り方の注文をあれこれさせていただいたので、ビデオ撮りは、楽ではなかったと思います。岩田さんありがとうございました。リハーサルは前日の14日土曜に、チトゥ氏と1時間くらいやりました。当日も、結局最初の1時間くらいは、リハーサルに等しい状況。おかげで、最終的に迷いのない動きができたと思います。
パフォーマンスアートは練習しないものだと言われますが、場数はふまないとできないことは多いのでは?とあらためて、思います。

だだっぴろい駅前の橋がある場所でしようと思いました。パンダ橋はぴったりです。パフォーマーはななめに横切ります。予め、歩き始める時に、どの人(人たち)に向かって歩くのか、私と相方のチトゥさんとで、合図しあって決めます。通行する人から見ると、斜め前方の左右から私たちがやってきて、ぶつかりそうになりますが、二人は彼等の後方へ抜け、すぐ後ろでクロスし、また離れて行きます。
通行する方たちには、ちょっと怖い、あるいはへんな経験かもしれないです。

私たちは、決まった動きしかしませんが、通行する人たちはみんな違う様子なのが、興味深いです。敏感に反応して避ける人は少ないですが、通りすぎたあとの様子がまちまちで面白い。私たちの動きとのコントラストがあっていい。





6.8.12

広島、友情、アート





  2005年10月に来日したドイツのアーティストのボリス・二ーズロニーは東京と長野、京都での公演の後、広島に行き
たがった。そして、この小さなパフォーマンスを、観客な
しで行った。カップに入れた米を、一粒ずつ耳の上にのせる。30分くらい。彼は、原爆を発明したドイツ人として、謝罪をしたいと言った。

今の私は、謝罪とは何なのかよくわからない。アインシュタインを憎んでいる日本人はいるか?

そして、日本人が、自分たちを被害者と感じることに対して、違和感を感じる人たちの憎悪を、私たちがどうすることができるのだろう。
 それらは、その「はじまり」とはまったく関係なく、むしろ、言説や政治よって増幅されて行く。今年の私のこの数ヶ月の活動を通して、アートも友情も、この問いに対して、全く無力であったことを、あらためて感じる。だが、それは悲しいことでも、残念なことでもない。むしろ、喜ぶべきかも知れない。

それとは全く関係なく、人と人に橋をかけることは、誰にでも絶対できる。でも、それはアートが使えるということは、確かじゃないし、試さなくてもいいかもしれない....

3.8.12

「豊饒の海」を思い出しながら。

日比谷ダイビルのブタさん



たいして三島由紀夫ファンでもないのですが、人生を少しは長く渡っていると、この小説「豊饒の海」のことをしばしば思い出します。文庫本4冊のこの小説。高校生の時に読みました。なかなか面倒くさい小説ですが、最終巻を読んでびっくりしました。輪廻転生などの様々な出会いの数々の果てに、実はそのようなドラマは「何も起きてはいなかった」と気づかされる、というストーリーです。高校生の私にはあまり理解できなくて、その女の人はうそを言っているだろうか、読者を驚かせるためにそうしたのかしら、とすら思いました。
でも、最近は、そういう感覚、よくわかります。しばしばあることですね。家にいて、どこかにでかけた妄想をするということではなく、実際に、いろいろな活動があり、様々な人に会い、様々ことをし、確かな何かに向かって、...そのひとつひとつの意味の受け取り方が、その時と、それが過ぎ去った時に、意味が違ってきてしまう。そして、総体として、まったく何事も起きていなかったに等しいと気づく...。そして、それは実際、無に帰したというわけではないのです。それは、ある種の経験です。
三島由紀夫自身、私などから見るとほぼフィクションに見えるような理想と、彼自身の人生というノンフィクションに橋をかけて、自ら死を選んでいる。しかも、とてつもなく、作り物臭い、死に方です。

面白いことだと思います。