6.8.12

広島、友情、アート





  2005年10月に来日したドイツのアーティストのボリス・二ーズロニーは東京と長野、京都での公演の後、広島に行き
たがった。そして、この小さなパフォーマンスを、観客な
しで行った。カップに入れた米を、一粒ずつ耳の上にのせる。30分くらい。彼は、原爆を発明したドイツ人として、謝罪をしたいと言った。

今の私は、謝罪とは何なのかよくわからない。アインシュタインを憎んでいる日本人はいるか?

そして、日本人が、自分たちを被害者と感じることに対して、違和感を感じる人たちの憎悪を、私たちがどうすることができるのだろう。
 それらは、その「はじまり」とはまったく関係なく、むしろ、言説や政治よって増幅されて行く。今年の私のこの数ヶ月の活動を通して、アートも友情も、この問いに対して、全く無力であったことを、あらためて感じる。だが、それは悲しいことでも、残念なことでもない。むしろ、喜ぶべきかも知れない。

それとは全く関係なく、人と人に橋をかけることは、誰にでも絶対できる。でも、それはアートが使えるということは、確かじゃないし、試さなくてもいいかもしれない....