午前中は時間があったので、近所をじっくり散歩しなおしました。旧日本第一銀行だと説明されていた建物の前に行ってみると、なんと、「朝鮮銀行」ではないですか。看板を読むと、第一銀行として作られて、その後、朝鮮銀行になったと。朝鮮銀行は名前に反して、日本の銀行です。わたしのおじいさんが勤めていました、大連で。大連とインチョンは目と鼻の先ですから、来たことがないはずはないなと思います。思いがけない出会いに、ちょっと涙が出ました。この銀行跡は、今年中に歴史博物館になる予定だそうです。この町に住みたいなあ。
参考に、ソウルにある朝鮮銀行。
次はきのうの夜写した写真ですが、今、開港近代建物博物館になっている、日本第18銀行に行きました。狭い展示ホールながら、ビジュアル効果満点の展示で、インチョン港の地理全体を理解しました。しかも、時間軸としても、理解。1876年に日朝修好条約、1883年にインチョンに港を築くために、日本はいち早く、オフィスを建てる。単なる漁村でしかなかった仁川(インチョン)に、前の第一銀行など、日本の建物が次々たち始める。
次の写真は、今の中区役所。かつては、仁川府庁舎。日本のオフィスです。1883年に建てられた木造のものを、1933年に建て替えた。たしかに、上の1883年の堅牢な西洋スタイルと比べると、かなり軽い。たぶん、あちこち、使いやすいように直したのではないかな。エントランスにだけ、面影。
以下は、今回の仕事先の新興初等学校。1890年から1945年までは日本人学校だったそうだ。今日、校長室で聞きました。むずかしいことになったなあ。先生たちは、歴史も大切にして欲しいと言うのだ。
それでも、今日のミーティングでわたしたちのミッションがようやくはっきりしたのは良かった。私たちは、クラスをひとつ持ち、4時間ほどワークショップをして、それを通して、子供たちが何を考え、何を感じているか知り、それをもとに、校門のデザインの提案を相談しあう、ということ。わたしは、5年生を受け持つことになった。
以下の写真は昨日行った変わったカフェ。ロシア人の船乗りがたむろっている。Missing in Yokohamaの作品のために、写真を撮っておいた。このふたり、ふたりでウオッカを2本空けたらしい。へべれけでしたから、ちょっと怖かったけど、あくまで、写真のために、寄り付いてみました。