8.9.09

デュシャンとケージ

きのう、「ギャグとしてのジョン・ケージ」という投稿をのせたら、mixi 友達が、たくさん、アクセスしてくれた。みんな関心があるんだね。はじめの4分くらい、トークばかりで、途中であきらめた人もいたかな。後半にパフォーマンスあります。ケージは、特に、ギャグというつもりでやっていないが、お客がアートのお客ではないので、笑うのである。でも、トークの時に、ケージが言っていたように、笑いも、音の一部になりえる。
アートのお客でも笑える時は、笑えばいいと思う。
先月わたしの通ったイメージフォーラムの講座の時、わたしが笑いたい時に、誰も笑ってないので、ちょっと窮屈だった。それで、一番、前に座ることにして、遠慮なく、笑わせていただきました。そしたら、少しは、後ろの人もつられて笑えるようになったみたい。満員電車に乗り過ぎで、自分を消す、習慣がついているのかな、皆さん。どしどし、出しましょうよ。

今日のネタは、デュシャンの作品をダダのアーティスト、ハンス・リヒターたちが映像にしたものに、ジョン・ケージの音楽がつけられている。
ちょっとなぞなのは、ケージの音をどういうつもりでつけているか、なんだ。一見、合っているように見えるけど、効果音にされているようにも感じる。よくあることなんだけど、わたしの耳には、映像より強烈に入ってきてしまうので、時に、邪魔なんだ。この場合は微妙なんだけど。それとも、ケージがつけたの?まさかね、わかる人は、教えてください。ハンス・リヒターとケージでは時代が違うから、一緒に仕事をすることはできないはず。
「夢」として、それらを構成しているのもなんとなくいや。まあ、いいか。いったい、誰がつくったんだ、このビデオ?



さて今度の日曜です。3時から。
わたしのパフォーマンスです。
音系、物移動系、もそもそ動く系のパフォです。よかったら遊びに来てください。マテリアルとして使うのみもの、たべもので、後で、おしゃべり会します。

こういうところに掲載されている。

きのうは3つも投稿したので、mixiから来たみなさん、2つほど、見てないかもしれない。ひとつの投稿しか表示されないからね。
よかったら、さかのぼってみてね。