Emotion について、いろいろな人と話す。「?」というのが、皆さんの反応で、その考えのずれを埋めたり、それぞれの考えを述べ合ったり、面白い。インド演劇の伝統では、「感情」をいくつもに分類し、見せ方の作法があると、友達は言っていました。
パフォーマンス作品の中で、emotionがどう配置されたかは、わからなくても、その効果によって、「怖かったり」「美しく見えたり」「物たちが拷問されているみたいだ」と、それぞれが想像を働かせてくださってれば充分で、その私の中で、用意した意識は、見えなくてよいと思う。
感情の流れや質を、時間、空間にデザインする、みたいな感じ。床にチョークで描いた、碁盤の目は、それが今、どの辺で、発信されているの、指標としてみた。今は、テーブルのはじっこのあたりだとか、下に落ちたとか、天井に上りかけているとか、私の中では、そうやっていた。観客Aさんの手のひらに落ちた、とか。
壊滅的になった後、町が再生される。生き残った物たちで、無事を祝う。
emotionの配置、とは、まあ、フィクションのようなものかもしれない。
以下の写真も面白かったので、アップ。どろどろ色になったテーブルクロスに、グラスが何個か、まきこまれている。許してくれと、わたしに哀願している。